- ナノ -

■ 04.つめたいねぞう

ターゲットの部屋はわかった。あとはどのタイミングで殺すかだ。

依頼されて料金を貰っているのは男のみなので、なるべくなら一緒に来ている女にはどこかへ行っておいてほしい。直接ターゲットでなくても仕事を遂行するための殺人はありだと思っているが、それでも仕事以外での人殺しはただ面倒なだけだった。

あの後、本当に配管を見に行くといったナマエと別れ、イルミは一人で船内を見て回っていた。そして人通りの少ないところや死角になる場所を見つけては、何パターンか殺し方を考えてみたのだが、やっぱり一番都合がいいのはターゲットが部屋で一人になってくれること。
さて、どういうふうにもっていこうか……。
そんなことを考えながら自室に向かっていたイルミだったが角を曲がって廊下の先、扉の前で座り込んでいるナマエを発見した時には呆れかえった。

「……恥ずかしいことしないでって言ったよね」
「いやぁ、鍵持ってないの忘れててさー」
「ていうかなに、汚いんだけど」

仕事熱心なのは評価できるが、もう少し見た目も気にしてほしい。配管の方を調べに行った彼女は─本当に中にまで入ったのか定かではないが─ドレスだけでなくその白い肌までもを汚している。きらびやかな船内で一人薄汚れた女が扉の前で座り込んでいれば、目立って仕方がないだろう。
鍵を開けたイルミは誤魔化すようにへらへら笑っているナマエの背中を押して、早く中に入るように促した。

「でもおかげで内部の構造はばっちり」
「わかったから早くシャワー浴びなよ、汚い」
「その前にお腹すいた」
「その汚れた状態で物を食べようっていう神経を疑うね。ほら、シャワーが先」
「ちぇー」

自分のキャリーに手を伸ばそうとした彼女を押しとどめ、そのまま強引に浴室へと放り込む。本当に、一から十まで手のかかる女だ。そのくせナマエに触れてしまったイルミが洗面所で手を洗っていると、浴室の扉が閉まっているにも関わらず出て行ってよと怒鳴られる。どうせドレスも汚れているのだし、中で脱ぐかイルミが出るまで少し待てばいいだけじゃないか。まったくもって解せない。

「うるさいな、ナマエの裸になんて興味ないよ」
「そういう意味じゃありませーん、プロとして無防備な時に人の気配があると落ち着かないってだけですー」
「は?プロってもしかして暗殺?ナマエが?」
「私を助っ人として呼んでおいてその言いぐさは無いでしょ」
「ナマエは暗殺以外もやるだろ、しかも食事で殺しを請け負うプロなんて前代未聞だよ」
「い、いいじゃん別に!イルミにとってはラッキーでしょ!」
「それはそうだけど」

急に慌てたような声を出して、ナマエは一体どうしたのだろう。が、ナマエはそれきり黙り込んでしまって、うんともすんとも言わない。
結局イルミは首を傾げながら、その場を後にした。

▼▽

シャワー浴び終えたナマエが真っ先にすることと言えば、もちろん持ってきたお菓子の袋を開けることである。
船内にはレストランやバーもあるのだが当然ナマエの口には合わないし、イルミも食に興味が無いので抜くつもりらしい。今彼はナマエと入れ替わりにシャワーを浴びていて、ナマエは心置きなく─つまりはどれだけ食べるんだよという白い目に晒されることなく─好きなだけお菓子を堪能することが出来た。

しかし残念ながら今のナマエでは、口に入っているお菓子の味の半分も分かっていないだろう。元々食べるスピードが早いほうではあるが、それにしても今日は異常な速さでお菓子が消えていく。
それもそのはず、イルミのことを死体や人形と変わらないと評しておきながら、ナマエは彼と一つのベッドで眠ることに緊張していたのだった。

それはイルミのことが好きだとかそういう話ではなく、ひとえに乙女の純情ゆえ……と、本人は思っている。ナマエに至っては男顔負けの食いっぷりを晒しているし、互いに人間扱いすらしていない関係なので今更イルミ相手にそんな感情を抱くはずがない……とも思っている。

つまりは認めたくないだけなのだが、ナマエは彼のことを努めて意識しないように、また意識していると気取られないように振舞ってきた。イルミはあの通り容赦ない性格であるし、万が一にでもナマエが気のある素振りを見せたら絶対に気持ち悪がられるに決まっている。

もっとも、普段のナマエはそこまで緊張しなくても普通にイルミと接することができた。売り言葉に買い言葉で口論じみた言い合いになる時はただ思ったことがぽんぽん口から出ているだけだし、イルミの一挙手一投足にときめきを感じているわけでもない。イルミは否定するかもしれないがどちらかといえば友達感覚で、お互い歯に衣着せぬ物言いをする分、居心地の良い相手だった。
しかしだからこそ、こうやって男女を意識させる展開になると妙に落ち着かない。ふとした拍子に彼が男であることを意識させられた時、ナマエはどんな顔をすればいいのかわからなくなる。そして彼を好きだと思ってしまう自分を自覚して、一目散に逃げ出したくなる。

ナマエは自分が彼を好きであると認めたくなかった。というか今更すぎる、と思っていた。
元々ナマエは開けすけな性格であるし、一目惚れしたわけでもない分、ありのままの自分を見せてきた。そしてそれを見てきた彼がナマエのことを女扱いしていないのだから、もうどうしようもないではないか。

それどころか下手に気持ちを悟られれば、今の居心地の良い関係すら壊れてしまうだろう。
幸いにもナマエはイルミのことを好いていたが、彼とどうこうなりたいという具体的な願望までは抱いてなかった。強いていうなら隣で馬鹿をやっていたいだけだ。だから、そう望むなら余計なことは何も言わず今のままの関係でいい。

……だいたいイルミのことはそういう好きじゃないし。

ナマエは無意識のうちに呟いていたが、どうしてもそれは言い訳めいて聞こえた。


「うわ、ベッドの上で食べないでよ。ポロポロこぼれるだろ」

しかし、思考の海を漂っていられたのはそこまで。突然、何の心の準備もなくかけられた言葉に、ナマエは数センチほど飛び上がる。慌てて胸のあたりを抑えたが、どうやら心臓は飛び出していないようだった。

「な、なっ!なに、出てきたんなら一声くらいかけてよ!」
「はぁ?なんでそんなことしなきゃいけないわけ?」
「なんでって、そりゃ、その……マナーだから」
「何言ってんのさ。"プロ"ならこれくらい気づけて当然だろ」
「プロにだって休息の場は必要!」
「ナマエなんていつもマヌケ面晒してゆるゆるじゃないか」
「誰が間抜け面だ、この能面男」
「感情ダダ漏れよりよっぽど"プロ"らしいでしょ」
「あぁもうさっきからプロプロうるさい!」
「ナマエが言い出したんじゃないか」
「そう!だから私以外使用禁止!」
「なにそれ、意味わかんない」

シャワーを浴びたばかりのイルミは男のくせに色っぽかった。そしてそれが余計にナマエを混乱させて、正直自分でも何を言っているのかわからなくなっていた。

「とにかく、ベッドの上で物を食べるのはやめること。そこオレも寝るんだって何回言ったらわかるの?」
「そ、そんな事言われなくたってわかってるよ!」
「あぁそう。じゃさっさと手を洗って寝なよ、明日決行するからね」
「イ、イルミは、」
「オレは髪乾かしてから寝るけど」
「そうじゃなくて、その……イルミは私が隣でも眠れるわけ?プロだったら人の気配とか、気になるんじゃない?」

情けない、自分は一体何を期待しているんだろう。どうせ眠れないと言われたところでそれはきっとナマエの望むような意味ではない。それなのに下らない質問をしてしまった。ベッドがひとつなのをしつこく嫌がって、意識していると思われたくなかったからあっさり受け入れてみせたのに、これじゃ意味がないじゃないか。

だが、それでも発した質問は取り消せない。きっとイルミは今更何を言い出すんだと不審に思っていることだろう。その証拠に彼は、僅かに苛立った気配を滲ませた。

「オレは死体だからね、隣なんて気にしないよ」
「……」

ああそうだったね、といつもみたいに軽口を叩けたら良かった。そうすればイルミもまた何か言い返してきて、この気まずい空気を味わわずに済んだかもしれない。
だがナマエは今回に限って何も言えなくなって、洗面所へと戻る彼の背中を黙って見送ることしかできなかった。いつもどれだけ言い合っても本気では怒らない彼が、このときばかりは怒っているように思えたのだった。

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