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■ 04.消える過去馳せる過去

マチの慰めで少しは元気を取り戻したなまえだったが、依然としてまだ働く気にはなれないでいる。そう言うと元々怠け癖があるみたいだが、なまえはこれでも勤勉なほうであった。

というのも流星街にいた頃、働かない者に待っているのは死のみだった。毎日僅かな食料を手に入れるため、できることはなんだってやったし、遊んでいる暇も余裕もない。それどころかお人よしな性格が災いして、他の子供の面倒まで見ることもあった。

その中で、シズクは特になまえが放っておけないと思った子だった。二つ年下の彼女はどこか他の子供とは違ってぼんやりしたところがあって、生き物である以上当然逃れられない飢えにすら無頓着。そのうえ忘れっぽくて、なまえは何度自己紹介したかわからない。
それでもめげずに彼女の世話を焼いていたら、いつの間にかシズクといるのが当たり前になっていた。そして無防備に見える彼女が今まで無事だった理由──念というものを教えてもらったのだった。



「なまえ、デメちゃんに任せなよ」

相変わらず自分の世界を持っている彼女は、その日、なまえの家を訪ねて来るなりそういった。
もちろんなまえにはなんのことかわからず、首を傾げるしかない。マチから聞いて励ましに来てくれたのであろうことはわかるが、どうしていきなりそこでデメちゃんが出て来るのだろうか。

シズクが旅団に入るまでは、二人で盗賊まがいのこともしていた。彼女の念で金品を吸い取り、なまえがそれを売りさばく。なまえは強くないので蜘蛛には入らなかったが、今度は団長のクロロから大口の依頼を受けるようになっただけのことだ。
それ以外のことは何も変わっておらず、ぎょぎょ、と鳴き声なのかわからない音を発した掃除機は、早く吸いたいとばかりにせわしなく目を動かしている。

「デメちゃんに、って何を?」
「いつまでもこんなものがあったら忘れられないでしょ」
「こんなものって?」
「なまえを捨てたアイツの私物だよ」

気を遣うことなくはっきり言った彼女に悪意はなく、それどころかこれは親切心なのだろう。確かにデメちゃんでイルミにまつわるもの全てを吸ってもらうのは手っ取り早いかもしれない。だが、何の躊躇いもなく構えたシズクを見て、なまえは慌てて制止した。

「ちょっ、待って」
「どうして?もういらないじゃない」
「それはそうだけど……」
「あってもなまえが辛いだけだよ。本当はアイツを吸ってやりたいけど、デメちゃんは生き物は吸えないから」
「う、うん」

真剣な表情でそう言ったシズクに、なまえは苦笑いするしかない。相手がもしイルミでなければマチもシズクも本当に殺しに行っていただろう。持つべきものは友達だと喜べばいいのか、なまえはわからなくなってしまった。

「ありがとう、気持ちは嬉しいけど……」
「だったら捨てちゃえばいいよ。なまえには早く元気になってほしいから」
「……そう、だね。もう、いらないもんね」

イルミはさっぱりした性格だから、もう二度とここに来ることはないだろう。忘れ物を取りに来るなんてこともない。必要なら、彼はまた新しく買い足すだろう。それこそ奥さんが彼の為に見繕うかもしれない。
そう考えると、いつまでもこうして彼の物を置いているだけ惨めだ。なまえは未練を断ち切るように、最後に一度だけ部屋を見回した。

「うん……シズク、お願いできる?」
「いいよ。”この部屋にある、イルミ=ゾルディックが使用したものを全部吸いとれ”」
「えっ!?」

使用したもの?それではイルミの私物だけでなく、ほとんどの家具も含まれてしまう。驚いて声をあげたなまえだったが、その声すらもぎょぎょ!という了解の合図にかき消された。みるみる部屋は空になっていき、後には呆然とした表情のなまえと、真顔のシズクが残された。

「あ、結構使ってたんだね」
「うん……だって、3年も一緒にいたし」
「ちょうどいいんじゃない?引っ越しなよこんなとこ」
「そうだね……」

なまえはほとんど何もなくなった部屋を見て、瞬きをする。だがその後襲ってきたのはあのどうしようもない虚無感ではなく、妙に晴れ晴れとした可笑しさであった。

「ありがと、シズク。なんだかすっきりしたかも」
「でしょ。次の家が見つかるまで旅団においでよ。団長もなまえに見てほしいものがあるって言ってたし」
「うん」

頷いたなまえに、シズクがよかった、と呟く。

「ようやくなまえが笑ってくれた」


▼▽


「初めましてイルミ様。ケイナと申します、あなたの妻の」

付け加えられた言葉に、内心で押しの強い女だな、と少し呆れる。初めて会った未来の妻は余程このゾルディック家に嫁ぐことが誇らしいらしく、執事に対してやけに居丈高な態度をとってばかりいた。
イルミとしては条件が合っただけで自分で選んだわけでもなく、正直女のことはどうでもいい。それなのに自分は”選ばれたのだ”と言わんばかりの女の態度が、どうしても鼻についた。

「そう、じゃあ式のときはよろしくね」
「ええ、もちろんです。でもその前に色々とご相談がありますの」
「なに?」
「なにってもちろん、ドレスやその他、後の披露宴のこととか、決めなければいけないことは山ほどありますわ」
「あぁ、そういうの母さんと決めてくれる?」

そもそも相手に興味が無いのだから、その女と行う式やパーティーなど本当にどうでもいい。だが母さんと意気投合するだけあって、女はどうも派手好きらしかった。

「私、お色直しは30……いや、50回くらいはしたいんです」
「そう」
「イルミ様もよろしかったら、ドレスを選ぶの手伝ってくださらない?」
「悪いけど、オレこれから仕事だから」
「まぁ、お忙しいのね」

ちょっぴり拗ねたような顔をされるが、そんな不毛なドレス選びは絶対に付き合いたくない。第一、披露宴でそんなに着替えるとすると、一体何時間かかるのだ。その間待っていなければならないこちらのことを考えてほしい。
イルミはとりあえずこの場から逃げようと思って、足早に歩き出した。流石母さんが選んできただけあって、かしましい。干渉されるのが好きでないイルミは、早くも先行きを不安に感じ始めていた。

「待ってください、イルミ様!」
「……なに」
「私もお仕事ご一緒しますわ」
「は?いいよ別に。オレ一人で十分だし」
「いいえ、是非イルミ様に私の暗殺術を見てもらいたいんです!私だってそれなりに教育は受けてきましたから」
「いや、いいよそういうの」

イルミは断ったが、女はなかなか引き下がらない。とうとうイルミは面倒くさくなって、勝手にすれば、と折れた。もし何か彼女がミスをすれば、それを口実に破談に出来るかもしれない。

「ふふっ、頑張りますね!」
「……」

せめてもう少し静かな女だったら……。
こめかみを押さえたイルミは、ふと、なまえのことを思い出した。

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