- ナノ -

■ 20.内側になりたい

「なんだ、結局引っ越すんだ」

新しいマンションは、気休めでしかないとわかっていてもセキュリティーの厳重そうなところにした。荷物運びを手伝ってほしいと頼んだのはなまえだったが、実際にまとめた荷物は驚くほど少なく、シズクの能力で運ぶまでもないかもしれない。

「うん、思ったより少なかったけどお願いしていい?」
「いいよ。デメちゃん、」

彼女が具現化した掃除機は、みるみるうちになまえの荷物を回収する。今更ながらよくできた能力だと思った。盗賊を生業とする蜘蛛にとって、まさにおあつらえ向き。クロロが彼女をスカウトしたのも頷ける。

――もしも、自分にも皆に役立つような念があれば……

なまえも一応念能力者の端くれだ。系統で言うなら変化系で、形状変化と性質変化を生かして物体をコーティングし、保護する力を持つ。変化系の弱点として身体から離したオーラの維持が苦手ということがあったが、なまえが主に保護する希少な商品たちはそれ自体がオーラを纏っている場合が多く、元からあるオーラの性質を変化させて保護する分には何の問題もなかった。

実際のところ、なまえは自分の念が嫌いなわけではない。コレクターや学者から念による保護の依頼を受けることもあるし、自分の扱う商品の信頼にも繋がっている。

けれどもクロロはシズクだけを誘って、当時一緒にいたなまえを蜘蛛に誘わなかった。それがなまえが役に立たないことを証明する、何よりの事実であるように思われる。収集癖のある彼からしたら、決してつまらない能力というわけでもないだろうが、所詮12本の足に含めるほどの能力ではなかったのだ。

なまえはもともと入団希望者ではなかった。蜘蛛に入らなくても取引はできるし、保護なんて念を生み出してしまうくらい荒事は苦手だ。だからシズクだけが蜘蛛に入ったことについて、これまで特に羨むこともなければ劣等感を感じることもなかった。

だが、

――俺たち、本当につき合わないか

恋愛のことと仕事のことは別だ、とわかっていても、今更クロロに必要とされた意味が分からない。ふさわしい返答を思いつけなかったなまえに、彼はすべて予想していたかのように「待つよ」と苦笑した。それはまるで、前から彼がなまえのことを好きだったみたいに理解のある笑みだった。

シズクが蜘蛛に入ったのは3年ほど前。なまえがイルミと付き合い始めたのはそのすぐ後で、同じく当時旅団に入ったばかりだったヒソカによってできた縁だ。
クロロが一体いつからなまえのことを好きなのかは知らないが、恋人のいたなまえはこの間ずっと他の男性を意識する、というようなことがなかった。

だから、正直なところ嬉しさよりも戸惑いが大きい。最近彼に少しどきどきしていた自分を棚に上げて、どうして?と思った。
クロロにとってなまえは取引相手で、同郷の友人ではなかったのか。仲間にいれるほどではないけれど、一緒に酒を飲むには楽しい。そういう立ち位置ではなかったのか。

そもそも彼は本当になまえのことを好きなんだろうか。

「なまえ、」
「……」
「なまえ、どうかした?」
「え、あ、ぼうっとしてた……ごめん、なに?」

不意に名前を呼ばれて我に返る。シズクがきょとんとした表情でこちらを覗き込んでいた。

「なまえの部屋って、広さどれくらい?」
「あぁ、普通に一人暮らしだし、1DKだよ」
「一人で住むの?」
「そうだよ」
「でも、団長と付き合ってるんでしょ?」
「え」

シズクとは幼い頃からの付き合いだが、彼女から恋愛関係の話題をふってくることはなかった。なまえだってイルミと付き合ってはいたものの、細かいあれやこれやを彼女に話して聞かせるようなことはない。だから思いもよらない彼女の発言に固まってしまった。しかも、なまえはたった今そのクロロのことを考えていたのだから。

「ち、違うよ、あれは私を守るための嘘なんだって。クロロと付き合ってるってことにしたら、イルミも面倒になって殺すの諦めるかなって」
「あれ?そうだったんだ」
「そうだよ、誤解」

なんとなく動揺したことを誤魔化したくて、なまえは無理に笑った。別に嘘じゃない。あくまであれは恋人のふりでしかなかった。今、その”ふり”を本当にしないかと言われているだけで。

「ヒソカにも聞かれたんだよね。ちゃんと訂正しないと、他にも勘違いしてる人いるかも」
「でも、わざわざそんな嘘ついて守るくらいにはなまえのこと好きなんだね、団長って」
「それは……どうだろう」

仮にクロロがなまえのことを前からいいなと思っていたとする。
その場合、今回のなまえとイルミの破局はチャンスでしかないだろう。これを機会に、という気持ちは理解できる。理解はできるが、どうしてもそれをクロロにあてはめて考えることができなかった。
彼の性格上、本当に欲しければ待つようなことはしないのではないか。

だからクロロがなまえを欲しがったのは、一時的な感情かもしれない。憐れみか、好奇心かは知らないが、大事に愛でていた宝だって売り払ってしまうようなひとだ。飽きれば簡単に捨てられるだろう。
クロロのことを悪く言いたいわけではなかったが、なまえは臆病になっていた。また誰かに期待して、苦しい思いをするのが嫌だった。

「団長、おすすめだよ。強いし」
「強いって……」
「守ってくれると思う。あれで内輪には甘いから」

知っている。クロロは冷酷に見えて仲間意識が強い。それが流星街出身という生い立ちからのものなのか、本人の性格なのかはともかく、自分自身以上に仲間を大事にするひとだ。でも問題なのはなまえがその彼の”内”に分類されるかどうか。現になまえは自分自身以上に”家”を大事にする男と一緒にいたが、残念ながらなまえはその”家族”になれなかった。

クロロだって、既に蜘蛛としての”内”からはなまえを外している。

「守ってもらうだけじゃ、ダメなんだよ」

もしも自分が暗殺家業だったら。
もしも自分に有用な念があれば。

こんな思いをすることはなかったのだろうか。もっと幸せになれたのだろうか。

なまえの呟きに、シズクは小さく首を傾げる。なまえは何もなくなったアジトの部屋をゆっくりと見渡した。

「あぁ、デメちゃんってやっぱり便利でいいなぁ」

それは誤魔化しだったけれど、限りなく本心に近い言葉だった。

[ prev / next ]