■ 16.失われた信用
全てのオークションが終わり、それと同時にイルミの仕事も滞りなく終わった。
感情に任せて甚振るかもしれないというのは実際には杞憂でしかなく、どちらかといえばいつもよりひどくあっさりと殺したかもしれない。
というのも、イルミはとても急いでいた。
オークションの後、なまえがクロロと別れて一人で会場を出るのを見たからだ。
今の彼女は蜘蛛のところで世話になっているはずだし、なぜクロロと離れたのかはわからない。元々男女同伴が必須ではないパーティーに連れてきたくらいなのだから、仕事をするからといって今更先に帰らせる意味もないだろう。
だが、理由はなんにせよなまえが一人になるのはチャンスである。
邪魔者がいない状況で、彼女と話せる。彼女には言いたいことが山ほどあるのだ。
そういうわけでさっさとターゲットを片付けたイルミは、なまえの後を追った。一応絶で気配を消しているようだが、プロのイルミがもともとよく知っている彼女の気配を辿るのはそう難しいことではない。
しかししばらく進んだところで、どうにも様子がおかしいと思った。
彼女のいる方向に、いくつかの念の気配。けれどもそれは念能力者というより、念のこもった物体と言った方が当てはまる。
少なくともそれらは生きてはいなかった。そして状況から考えて、なまえを害するものであるに違いなかった。
イルミは内心で舌打ちすると、スピードを上げた。
きっとなまえがマンションを出た理由はこれだったのだ。何者かはわからないが、なまえを狙っている奴がいる。それがわかっていただろうに、どうしてクロロは彼女を一人にさせたのか。やはりあいつなんかになまえは任せられない。
「なまえ!」
目を凝らすと、ビルの屋上で”奴ら”に囲まれている彼女の姿が見えた。彼女はじりじりと後退し、どんどんと追い詰められている。戦っていないことにはほっとした。さすがにわけのわからないものに手を出すほど馬鹿ではないらしい。
しかしイルミがほっとしたのも束の間、後退しすぎたなまえはものの見事に足を滑らせた。
「っ、ばか」
大きく跳んだイルミは、着地と同時に敵を薙ぎ払った。それらはやはり人間の死体で、念によって操られているらしい。しかし数を咲いている分脆く、イルミの攻撃ではひとたまりもなかった。術者はかなり遠くにいるのかもしれない。
とりあえず目の前の危険を排したイルミは、ようやくなまえが落ちて行った下を覗き込んだ。
もちろん、この高さなら落ちたところでどうということはない、と判断しての行動だ。もっと危険な状況だったら先になまえを救っただろうし、今回は敵の排除が優先だと思っただけのこと。
しかし暗殺者として正しい判断は、男としてはどうだったのだろうか。
すぐにその答えは明らかになるが、残念ながらイルミがそれを理解することは無い。
「そのまま落ちるんじゃなく横に逃げるなんて、なまえにしてはやるね」
割れた窓ガラスから彼女の行先を察し、イルミは自分も飛び降りた。適度に壁を蹴り、空いた穴の中に飛び込む。
その瞬間、なまえが一人ではないと気づいた。
「なんで……」
なんで、そいつと一緒にいるの。
なまえは一人で行動しているはずだった。だからこそ危ない目に合った。それを助けたのはイルミで、それなのになまえは他の男の腕の中にいる。
「なまえ、」
「っ!」
近づけば彼女は怯えたように息を呑む。クロロにぎゅっとしがみついて、驚愕と恐怖に彩られた瞳をこちらに向けた。
「……やっぱりお前だったんだな。泳がせた甲斐があったよ」
「は?」
イルミがなまえに釘付けになっていると、クロロが軽蔑したようにそう吐き捨てた。けれども、イルミにはなんのことかわからない。クロロからはあからさまな敵意を、なまえからは隠しきれない恐怖を向けられ、ただひたすらに意味がわからなかった。
「俺がいる限り、なまえを殺させはしない。いい加減に解放してやれ」
「何言って、」
「今更白を切るつもりか?あんな人形たちを差し向けて、直接手を汚す気にもならなかったのか」
「違う、あれは」
そこまで言われて、ようやく誤解されているのだと分かった。「オレじゃない」しかしそれ以上の弁解や証明はできなかった。
「そんな言葉信じられるか。お前がこのタイミングで現れたこと、敵が操られていたこと、どうやって説明するんだ」
「ここへ来たのは仕事だったんだ。なまえが一人で帰るのを見かけたからそれで、」
「チャンスとばかりに殺そうとした」
「違う!」
イルミはただ話したかっただけだ。殺そうなんて思っていない。だが、重ねようとした否定の言葉は、なまえの視線に呑みこまざるをえなかった。
彼女の目はイルミを信じていなかったのだ。
「なまえ、どうして……」
「それ以上近づくな」
「オレは本当に、」
投げつけられたベンズナイフに、こんなときでも身体は反応する。間一髪でかわしたイルミはそこで足を止めた。
「お前になまえを殺す気がないというなら、早くここから立ち去れ。今更用なんてないだろう」
「……」
「それとも”仕事”を終えるまでは帰れないか?」
「……わかったよ」
悔しいけれど、今は分が悪いと肌で感じた。なによりなまえが信じてくれないことがイルミにとってはショックだった。
後ろ髪を引かれる思いで、それでも踵を返す。自分の中の冷静な部分が、疑うのも無理はないと必死に囁いていた。イルミだって逆の立場なら疑っただろう。大事なのは真偽でなく、限りなく危険の可能性を排除すること。その意味で、クロロの言動は理にかなっている。
――それでも。
なまえにだけは信じてほしかった、と思うのはイルミのわがままなのだろうか。
[
prev /
next ]