- ナノ -

■ 15.無条件

ターゲットの男が車に乗り込んだのを確認し、なまえは小さく溜息をつく。
そして車が発進した方角へ、ビルの谷間を大きく跳躍した。

まさかこんなことになるなんて……。

いくら相手が一般人とはいえ、尾行のようなことは専門外である。下手にタクシーなどで追跡すれば怪しまれると考えて上から追いかけることにしたが、こういう運動は久しぶり。
なまえは見失ってしまわないよう、懸命に足を動かすしかなかった。


それにしても、どうしてクロロはこんな”くだらない”提案をしたのだろう。
確かに彼にとっての仕事は娯楽の一つであるし、ミステリアスな雰囲気とは裏腹に子供っぽい茶目っ気があることも知っている。
しかしほぼ素人のなまえに、これまた素人の一般人を尾行させたところで大して面白くもないだろう。これがヒソカであったなら単になまえが嫌がる顔を見たいのかと思うが、流石にクロロはそこまで”仕方ない人”ではないと信じている。

では、一体何の目的があったのか。
あれこれ頭を悩ませてみたが、所詮なまえではクロロの思考にたどり着けるはずもない。

しかし、望むと望まざるに関わらず、疑問の答えは程なくして示された。



進行方向に見える不審な人影が複数。時間と場所を考えて、まず一般人でないことは確かだ。気づいたなまえは足を止めたが、なまえが気づく距離ならば向こうも気づいている。
そして待ってましたとばかりに、どんどんこちらに近づいてきた。

「な、んなの……?」

わけのわからない相手と戦うのは得策でない。そんなことを頭で考えずとも、本能的になまえは後ずさっていた。というのも、向かってきた彼らの様子がどうもおかしい。なまえがここまで来たようになんなくビルの間を跳躍してくるのだが、そのたびに身体が不自然にぐらぐらと揺れている。そしてみな一様に、人形のような虚ろな表情をしていた。

――操られているのだ。

操作、というフレーズに反射的にあの男が浮かび、なまえの心を恐怖で凍り付かせた。刺客を差し向けたのでは埒が明かないと、とうとう本人が出張ってきたのだろうか。しかしぐるりと周囲を見渡しても、あの特徴的な長髪は見つけられなかった。なまえを殺すくらいなら操った人間で十分事足りると判断されたのかもしれない。

そうこうしているうちに、傀儡たちがなまえのすぐそばまで迫ってきた。気づけば数も増えていて、囲まれていることにぞっとする。逃げるべきなのはわかっているが、背を向けるのが怖く、目が離せない。「なまえ!」

その時、聞いたことのある声が自分の名を呼んだ。
つられるように視線を向けた瞬間、敵の手が伸びる。それを反射的にかわそうとしたなまえのかかとは、ものの見事に空を踏んだ。

「っ!」

別に、念能力者の端くれならば飛び降りたところでどうこうなる高さではない。しかし自分の意思で飛び降りるのと、踏み外して落ちるのとではわけが違う。

掴むあてもないのに、咄嗟に上空へ伸ばした腕。それは虚しく宙をかいたが、救いの手は上ではなく真横から差し伸べられた。
重力に従うしかなかったなまえの身体は庇うように抱き込まれ、向かいのビルの窓ガラスを突き破る。

「本格的に危なくなる前に助けるつもりだったが、まさか自分で落ちるとはな」

突然の敵、突然の落下、そしてどこからともなく現れたクロロに助けられたこと。一度に色んな事が起こり過ぎてなまえは混乱したが、一方で安心している自分もいた。

そこに理由なんてない。ただいつものように苦笑するクロロの表情を見て、無条件にもう大丈夫だと思えたのだった。


▼△


イルミはその日、仕事だった。
正確に言うならその日も仕事、なんなら3件目だと言った方がいいだろう。
もともと仕事ばかりの生活送っていたイルミだが、婚約者が待つ家に帰りたくないという思いがさらにスケジュールを詰めさせていた。


「さぁ!19番の方、4800万!他にいらっしゃいませんか!」

司会の声に会場の雰囲気が高まる。パーティーとは形ばかりでほとんどオークションがメインな今回の現場は、余計な人付き合いをしなくていい分気が楽だった。他のパーティーとは違って女性の同伴が必須でなく、いざオークションが始まってしまいさえすれば、壁際に男一人で佇んでいても誰も気にしない。
そもそも、ターゲットを殺るのは相手が欲しいものを手に入れて油断した後、と決めていたイルミはほんの数分前に会場に入ったばかりであった。

「5000万、6000万!はい、56番の方落札です!」

イルミ自身は、本場サザンピースのオークションも含め、こういったものに参加したことは無い。言えば大抵のものは執事が用意するし、他人と競ってまで欲しいと思ったものもなかった。
だから会場を包む熱気にはこれっぽっちも共感できず、早く終わらないかなと商品に群がる人々を冷めた目で眺めていた。

と、そこでイルミは自分と同じように、中央の舞台から離れた場所にいる男女に気が付いた。
普段なら、ターゲット以外に意識を向けたりなどしない。が、純粋に今日は暇だったのと、どこかで見たことがある顔だなと思ったからだった。

正直、男の方は後ろ姿しか見えずよくわからない。
ただ、その男と話している、青のドレスの女が目を惹いた。二人は商品にはほとんど目もくれず、親密そうに顔を寄せ合って話している。一体何をしに来たんだか、と自分のことを棚に上げて、イルミはその男女をまじまじと見つめた。


「……まさか、なまえ?」


どうして気が付かなかったのだろう。壁に寄りかかっていたイルミは、思わず身を乗り出して瞬きをした。しかし、見れば見るほど疑惑は確信へと変わる。いつもと違う格好と髪型で気づくのが遅れたが、確かにあれはなまえだ。

でも、どうしてこんなところに。

実際、答えなんて深く考えなくてもわかった。あの男だ。ここから見える男の髪は黒で、そうと思って見れば背格好もクロロと一致する。
あちらも仕事だろうか。通常のパーティーと違ってオークションを兼ねている分、盗賊と出くわしたところで不思議はないのかもしれない。だが、イルミは無条件に忌々しい、と感じた。

イルミはこれまで、たとえ女性の同伴が求められる仕事だとしてもなまえを連れて行ったことはなかった。彼女は別に暗殺者ではないし、特別強いわけでもないからその判断は間違ってないと思う。危険な目に巻き込むのも嫌だし、いざというときに足手まといになる可能性だってあるのだから。

しかしこうしてドレスを身に纏った彼女と並び立つクロロを見て、不快感が胸を満たした。自分が見たことがなかった彼女のドレス姿。しかも、よく見ればクロロが普段付けているピアスと同じ色だ。
存外、”くだらない主張”をする男だ、と思ったけれど、その”くだらない主張”に心乱されている自分に腹が立つ。

なまえはどうしてあんな男と……。


もやもやしているうちに、オークションは終盤へと差し掛かる。先ほど高額商品が競り落とされたらしく、ますます会場は盛り上がっている。

そうだ、今は仕事中なのだ。

イルミは無理矢理二人から視線を剥がすと、ターゲットに意識を向けた。そしてこのままだと八つ当たりをしてしまうかもしれないな、と柄にもなくこれから殺す相手を不憫に思った。

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