■ 08.誰の差し金
「やぁ、なまえはいるかい?」
この前あった蜘蛛の招集は、気分が乗らなかったのですっぽかした。
必ず団長と戦えるならいざ知らず、ヒソカは盗賊家業には全くもって興味が無いので、呼ばれても行かないことが多いのだ。だが、それでも毎回、集合場所だけはきちんと記憶にとどめておくようにしていた。団長とタイマン勝負をするなら、仕事後。解散して団長が一人になったところを狙う方が良いに決まっているからだ。
「アンタ仕事には来なかったくせに、よくもまぁのこのこと」
「悪かったよ、ちょっと立て込んでてね。それより、やっぱりここにいるんだ?」
イルミに言われてなまえのマンションへ行ってみると、そこはもうもぬけの殻だった。
初め、あまりの行動の早さに驚いたが、なまえの狭い交友関係からして次に当てがあるとすれば蜘蛛。そしてそのヒソカの予想は見事に当たり、いつもなら仕事が終わればすぐに解散するはずの彼らがまだ集合場所の近くに集まっていた。
「アンタには関係ないだろ」
ヒソカの登場にいつもながら露骨に嫌な顔をするマチだが、今回はなまえのこともあるのでさらに表情が険しい。慰めにきたんだよ、なんて軽口を叩こうものなら、それこそ追い出されそうな雰囲気である。
だが一方で、そうまでしてマチが守らねばならないほど、今のなまえは落ち込んでいるとも受け取れる。通せんぼするように目の前に立ちはだかったマチに、ヒソカは困ったなぁと眉を下げて見せた。
「それが関係なくはないんだよ。ほら、ボクはイルミと友達だからねぇ」
「だからこそ余計に会わせたくないんじゃないか、アタシはアンタも、そのイルミって奴も気に入らないんだ」
「キミはそうでも、なまえはどうかな?もう完全にイルミのことは吹っ切れたのかい?」
イルミには”なまえはもう他の男を作っているかもしれない”などと言ってみたものの、もちろんヒソカは本気でそんなことを思っていたわけではない。なまえはどう見たってイルミのことを愛していたし、だからこそあんな自分勝手なイルミとこれまで上手くやっていけていたのだろう。ヒソカの言葉にすぐに反論してこなかったマチの様子からしても、まだなまえは少し引きずっているようである。
「安心しなよ、ボクもなまえに諦めさせてやろうと思ってる側さ。イルミは確かに面白いけど、恋人には不向きだからね」
「アンタのいうことを信じろって言うのかい?」
「さぁ。でも少なくともなまえは話を聞く気があるみたいだよ」
ほら、と顎でしゃくって見せると、マチは嫌そうに振り返った。「アンタ……どうして自分から出てくるのさ……」アジトに着いた時からヒソカは気配など消していなかったので、到着はおのずとなまえにも伝わっただろう。マチがこうして止めている以上避けることもできたのにわざわざ自分から姿を見せるということは、なまえの意思でヒソカの話を──イルミの近況を知りたいということだ。
「ごめん、マチ」
「……アンタがいいなら、いいんだけどさ」
久しぶりに会ったなまえは、以前より少し痩せたように見える。だがそれでも蜘蛛の皆のお蔭か、失恋特有の痛々しさはなかった。
強いて言うなら、吹っ切れた感じ。前より少し大人びたように感じる。
奥に部屋を借りてるの、と言った彼女に導かれるようにして、ヒソカは歩を進めた。
「……で、どうやって諦めさせてくれるの?どうせイルミの差し金なんでしょ」
「おやおや、さすが元恋人なだけあるね。キミの言う通りボクはイルミに頼まれてきたんだ」
マンションから引っ越したわりには、部屋の中に荷物が少ない。つまりなまえはまた近いうちにここを出るのだろう。なまえは部屋にあった椅子をヒソカに勧めると、自分はベッドの端に腰を下ろした。
「イルミの割に、詰めが甘いと思ってたの」
「……」
「でもいい加減に焦れたのかな。まさかヒソカを寄越してくるなんてね」
「焦れて?」
なまえは何やら勝手に話し出したが、ヒソカには何のことかわからない。すると彼女はヒソカがとぼけているとでも思ったのか、伏せていた瞳をゆっくりと上げた。
「私を始末してくるように、イルミから頼まれたんでしょ」
「……どうしてそう思うんだい?」
「どうしても何も、現に刺客を差し向けられてるんだけど」
口ではなんでもないことのように言ったが、なまえの表情は固い。
「今までは蜘蛛にいたお蔭で安全だったけど、ヒソカが私を狙ってるなら諦めるよ。これ以上皆に迷惑かけたくないし」
元々なまえは武闘派ではないのでヒソカの興味の対象外だったが、この瞬間のなまえの瞳に、ヒソカは思わずぞくぞくとしてしまった。
「諦めると言ったわりには、随分好戦的な瞳だけどねぇ」
「だって、私だって腹が立つのよ。せめて自分で殺しに来るならまだしも、人を寄越すなんて」
「ククク……そうだよねぇ。でも、なまえは勘違いしてるよ」
「勘違い?」
「ボクはなまえを殺しに来たんじゃない。誓ってもいいよ」
もちろん、信じるか信じないかはなまえ次第だが、はっきり言ってヒソカになまえを殺すメリットは全くなかった。というか、蜘蛛に気に入られているなまえを殺すことは確実にデメリットでしかない。怒りを買うことで戦うことはできるかもしれないが、それではきっとタイマン勝負ではなくなってしまう。他の団員を殺して、蜘蛛全体に喧嘩を売るのと大差がない。
なまえはヒソカの言葉を吟味するように、黙ってこちらを見つめていた。
「ついでに言うと、その刺客もイルミの仕業じゃないね」
「だったら誰が」
「キミだって全く恨みを買ってないわけじゃないだろう?」
「でもタイミングが良すぎる」
「信用無いんだね」
まぁ相手があのイルミだから無理からぬことなのかもしれないが、元恋人に命を狙われているという考えに至るというのも面白い。なまえは少しムッとした表情になったが、どうやらヒソカの言葉を信じたらしかった。
その証拠にふう、と小さく息を吐いて、身に纏っていた警戒を緩める。
「……じゃあ、一体ヒソカは何しに来たっていうのよ」
「言っただろう?キミがもしイルミのことを引きずっているようなら、諦めさせてやろうと思ったんだ」
「……」
「気になるんだろう?今、彼がどうしてるか」
ヒソカの問いになまえの瞳がゆら、と揺れる。ついさっきまで命を狙われているかもしれないと疑っていたくせに憐れなものだ。
「何度も言うけど、ボクはキミの目を覚まさせてやろうと思ってる。それでもいいなら、イルミのこと話してあげるよ」
迷ってはいるみたいだが、なまえが頷くのは時間の問題だ。
惚れたほうが負け、と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、ここまでくると馬鹿だとしか思えなかった。
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