- ナノ -

■ 07.黄泉間違い

「一体どうしたのかしら……」

キキョウの心配そうな呟きを横で聞きながら、イルミは上機嫌で針の手入れをしていた。普段は母親のとめどない長話を避けるため、仕事終わりはさっさと自室に戻るのだが、たまにはこうして愚痴を聞いてやるのも長男の務めだろう。

――ちょうど”聞き役”もいなくなってしまったことだし。

イルミはそう考えて僅かに口角をあげたが、幸いにもキキョウは気づかなかったようでしゃべり続けていた。

「連絡がつかないのよ。この前約束した日もいくら待ってもいらっしゃらなかったし、私心配だわ。何かあったのかしら?」
「さぁ、忙しいんじゃない?」
「でも、それならそうとお断りの連絡でもいれるでしょう?なまえさんはそんな約束をすっぽかすような方じゃないもの」
「へぇ、そうなんだ」
「……何かあったんじゃないかしら!?だって最後にお会いしてからもう一か月にもなるのよ?きっとそうだわ!どうしましょう!!!」

自分で自分の疑問に答えを出して大騒ぎするのは、キキョウの悪い癖だった。もっとも、今回その予想は当たっているのだが、イルミとしてはあまり大事にしてほしくない。「きっとなまえだって色々あるんだよ」たった今オーラを込めたばかりの針の出来を確認しながら、イルミは宥めるようにそう言った。

「確かなまえも一応裏稼業なんでしょ?誰とも連絡を取らず潜伏してるとかなんじゃない?」
「あら、あなたたち仲良くなったの?」
「別に。皆があれこれ言うから少し話しただけだよ」
「そう!それは良いことだわ!彼女、いい人でしょう?」

「そうだね」

これで使った分の針の補充は完璧だ。

イルミは全く心のこもらない相槌を打つと、ようやくキキョウへと視線を向けた。

「それより、キルの訓練のことだけど、そろそろ少しレベルを上げようと思うんだ」

認めたくはないが、あの女のお蔭でやる気を出していた分、最近のキルアの成長は素晴らしかった。あの女が訪ねてこなくなってからやや熱意が薄れかけているようだが、できればここで負荷をかけ、今の状態を維持したい。

「ええ、イルに任せるわ。ほんとなまえさんのお蔭ね!」
「……そうだね」

忙しい合間を縫って、実際に訓練をつけているのはイルミだ。それもキルアが産まれてからずっと。年齢差があるせいで、それこそもう一人の父親だと言ってもいい。
それなのに急に現れたあの女のせいで、イルミのこれまでの努力を踏みにじられたような気がした。

何もしていないくせに。
ただ言葉で甘やかしただけのくせに。
嫌われてでも、生かすための術を教えなかったくせに。

再び、あの女に対する憎しみがふつふつと湧いてきて、イルミは小さく息をはいた。
が、こんな感情は馬鹿馬鹿しい。あの女はもういないのだ。自分が殺した。そう考えると凝り固まったはずの表情が緩みそうになる。

「キルはきっといい暗殺者になるよ」

だってイルミがそう作るから。
そのためなら、どんな些細な障害でも排除してみせる。

「早速、キルの様子を見て来るね」

立ち上がったイルミに、嬉しそうに頷くキキョウ。ついさっきまでなまえのことで大騒ぎしていたのに簡単なものだ。

――所詮、キルに比べたらその程度のことなんだよ。

呑みこんだ言葉は、すとんと胸の深いところに落ちた。


△▼


今日の訓練はいつも以上に厳しい。

(俺、何か気に障るようなことしたか……?)

キルアは思わず自分の行いを省みたが、これと言って特に思い当たることは無かった。
少し前までなら――なまえがよく家に遊びに来ていた頃ならわからなくもなかったのだが、彼女の姿はここしばらく見かけていない。
しかもよくよく見れば、兄は不機嫌どころか機嫌が良さそうである。表情からは伺えないので、あくまでこれは家族の勘だけれども。

「キル、ちゃんと集中しろ」
「っ、わかってるよ」

注意とともに、電圧が上げられる。身体を流れる痛みに、嫌でも思考は霧散した。まさか殺されるということは無いだろうが、やはり今日は意図的に負荷をかけられている。

「ぐっ、う……」

耐え難い苦痛に思わず声が漏れ、キルアの奥歯は噛み締めすぎて嫌な音を立てる。一瞬でも気を抜けば意識が飛ぶだろう。そうやって今すぐ楽になりたい気持ちと、後でさらに増やされる訓練を天秤にかけ、ギリギリのラインで踏みとどまっていた。

「その調子だよ、キル。これくらい耐えられなきゃ、立派な暗殺者にはなれないからね」
「……」

暗殺者になんか別になりたいとも思っていない。ただこの家に生まれて、祖父も父もと続いている家業だから、漠然と自分もそうなるのかと思っていたにすぎない。キルアにとっては他にやりたいことがないからそうしているだけで、要は選択肢がなかっただけなのだ。

だから今の苦痛をまるでキルアの願いを叶えるための試練であるかのように言われたら、キルアだって少しは反発したくもなる。食いしばった歯の間から息を漏らして、涼しい顔でリモコンを操作する兄を睨みつけた。

「……っ、立派な暗殺……者なんて、どうでも、いい……ッ!」
「よくないよ。お前はこの家を継ぐんだからね」
「な、んで、俺が……!」

うちは男ばかりの四人兄弟。ただでさえ後継ぎには事欠かないだろう。引きこもりのミルキだって自分なりの方法で殺しはやるし、まだ小さいカルトだってもういくつも仕事をこなしている。目の前のイルミなんて、それこそ暗殺者が天職みたいな男だ。それなのにどうして三男の、それもあまり乗り気ではない自分が後を継がねばならないのか。


――ハンター試験?なんだよそれ?


そのとき脳裏に浮かんだのはなまえの顔。最近見かけなくなったあいつは、面白いことを言っていた。

――毎年数万人の受験者が応募するけど倍率数十万分の一という超難関の資格試験だよ。
徹底的な実力試験で、あまりの過酷さから死者も出るんだって。
――へぇ。で、その資格取ってどうすんの?
――さぁ、詳しくは私も知らない。でもプロハンターはライセンスの持つ絶対的特権もあって莫大な富と名声を得られるんだよ。
なんてったって長者番付上位十名のうち、六名がプロハンターなんだから。
――富ねぇ……その番付、裏稼業含めたらたぶんウチも入るぜ?
――あぁやだやだこれだから金持ちは。住む世界が違うのはわかってますよう。

なまえは呆れたような表情になったが、その態度には今まで腐るほど見てきた拒絶が感じられなかった。住む世界が違うからと線引きをして、キルアを遠ざけようとする様子は少しもない。

――でも、キルアならほんとに楽勝かもね。身体能力高いだけじゃなくって機転も利くしさ。
――なまえは持ってんの?その資格。
――ううん、ライセンスがなくたって仕事はできるしね。変にしがらみできるより自由なほうがやりやすいでしょ。
――ふーん、自由ねぇ……。

今のキルアには程遠い言葉だ。でも自由になったとして、自分にはやりたいこともない。考えたって、思いつくのはやりたくないことばかり。

そう。やりたくないことなら、決まっていたのだ。


「俺は……暗殺者なんか、いやだッ……!」

口に出した瞬間、胸のつかえがとれたような気がした。口に出したことで、自分の本当の気持ちがわかったような気がした。けれども同時に、身のすくむような威圧感がキルアを襲う。

「キル」

ぐい、と強い力で顎をすくわれ、至近距離で視線が合う。食いしばっていたはずの歯の根が合わず、がちがちと無様な音を立てた。

「自分が何を言ってるか、わかってるの?」
「っ、」
「お前は熱を持たない闇人形だ、暗殺者になるために生まれてきた。誰に何を吹き込まれたか知らないけどね」

イルミは”誰に”という部分をやたら強調すると、珍しくその口角をあげた。めったに見ることのない満足そうな笑みに、キルアは魅入られたように視線をそらせない。

「でももう、惑わされる心配はない。全部オレがうまくやってあげたから」
「どういう……?」
「いいんだよ、キルは余計なこと――」

そこまで言って、イルミは不意にぴたりと動きを止める。動きだけでなく、目に見えない威圧感までも嘘みたいになりを潜めていた。

「イル……兄?」

まるでゼンマイが切れたみたいに全てを止めた兄に、キルアは恐る恐る声をかける。それを合図に、ぱっと兄の手がキルアから離れた。

「嘘でしょ、あの女は確かにオレが……」

兄の視線は宙をさまよう。呟きもキルアに向けられたものではない。「でも、この気配は……」イルミは少し考え込むと、リモコンのスイッチをOFFにした。突然、電気から解放され、何が何やらわからないキルアは戸惑うしかない。イルミが訓練をこんな途中でやめるなんて初めてだ。しかも、つい今しがたあれほどの殺気を向けていたというのに。

「キル、悪いけど今日はここまで。続きはまた明日ね」
「ちょ、待てよ!なんだよ、いきなり!」
「少し確認したいことができた。キルは自分の部屋に戻ること、いいね?」
「おい、イル兄!」

拘束が解かれても、身体が痺れてすぐには動けない。
結局キルアは立ち去っていく兄の後ろ姿を、大人しく見送ることしかできなかった。

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