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■ 06.挑発と本性

その後、イルミはミルキから渡された資料やデータを全て自分の目で確認した。
が、弟の言う通り、特に不審な言動は無い。それどころか録画された映像はゾルディック家流とはいえ普段の日常そのもので、これではまるでただのホームビデオだ。
女は育った環境のせいか多少の毒ならば平気なようで、食事も普通にしている。つまり、毒殺を狙うには確実性が低いということだ。

イルミはそこまで考えて、いや、なるべくなら殺さないようにしなければいけないと考え直した。それは別に無駄な殺しをしたくないとか、ましてや女が可哀想というわけではない。もし今、家族に好かれている状態の女を殺せば、自分が非難されるのが目に見えているからだ。

それはイルミの望まないところだった。結果的に家族の為になるなら多少嫌われたところで気にしないイルミだが、果たして今回はそこまでの危険を冒す必要があるだろうか。得体のしれない気味悪さはあるものの、ナニカほどの脅威ではない。所詮ただの女だ。そんな下らない女の為に家族から非難を浴びるのはどうも割に合わない気がする。

というわけで、できることなら女には自分から出て行ってもらうように仕向けたかった。幸い、イルミは操作系であるため、針を使って女を操れる。父や祖父がいればわずかな念の針にも気づくだろうが、それなら不在の時を狙って刺せばいいだけのこと。

(なんだ……思ってたより簡単じゃないか)

自分は何をそんな苛立っていたのだろう。ひとたび解決策が見つかると、今まで悩んでいたことが馬鹿らしくなるくらい些末な問題だった。
イルミはにわかに機嫌を回復させると、早速計画を立てることにした。まずはあの女が次にいつうちへ来るのか知らなければならないし、イルミ自身のスケジュール調整も必要になる。女の予定に関してはそれとなく母や弟たちから聞き出せばいいだろう。そしてその日に父や祖父がいなければ決行だ。

イルミは何種類かある針を取り出すと、中でもひときわ禍々しいオーラを放つものを手にした。

(気分的にはこれを刺してやりたいところだけど、即死されたら面倒だしな……)

録画された映像を見ていると、だんだん憎しみすら募っていく。部外者のくせに、うちの家族と仲が良さそうにしているのは許せない。本来ああしてキルア達と過ごすべきは兄であるイルミの方なのに、当たり前のように馴染んでいる女を容認できない。

結局、最大限の譲歩として、イルミは二番目にオーラの込められた針を使うことにした。即死されるのは困るけれど、さっさと死ねばいいのに、という気持ちは変わらない。いつもは殺しをしても特別な感情はわかなかったが、きっとこの針をあの女に突き立てる瞬間はさぞ楽しいことだろう。その時が来るのが待ち遠しくて待ち遠しくて仕方がなかった。

▼△


「あ、こんにちは。珍しいですね、これからお仕事ですか?」

女の訪問は、イルミが食事の席で苦言を呈してからちょうど2週間後のことだった。今まではもっと頻繁に訪ねて来ていたようなので、前回イルミが牽制したのが効いたか、それとも母の方が節度を守るようにしたのかわからないが、どちらにせよ久しぶりの訪問であることには変わりない。
そして都合がいいことに、この時間は父も祖父も仕事に出かけていた。本来ならイルミも仕事のはずだったが、今日はわざと入れていない。

「仕事だったら良かったんだけどね」

一対一でまともに会話をしたのはこれが初めてかもしれない。今日は女を一歩も敷地に入れるつもりは無く、イルミは試しの門の前で待ち構えていた。
相変わらず物怖じするということを知らない女はごく普通の世間話のように話しかけてきたが、そのこと自体も正直面白くなかった。

「あれだけ言われて、まだそれでも来るって相当な神経の太さだね」
「お招き頂いたから来た、それだけですよ。扉だってちゃんと開けて入ってますし問題ないはずですよね」
「はは、入るのはさほど難しくないよ。ただ入って出てきた者が少ないって話。この意味わかる?」
「あなたが排除している、ってことですか?」
「オレが直々に手を下すことは基本的にないね。大抵執事で十分。だから誇りに思っていいよ」

もし女がここで逃げたなら、イルミは追わなかった。憎しみはあるものの、結果的に二度と我が家に介入してこないならそれはそれでいいからだ。
だが、女は一歩も動かずこちらをまっすぐに見つめ返す。その表情から察するに、怖くて身動きが取れないというわけでもなさそうだ。

「でも、いいんですか?私を殺して」
「……仕事以外での殺しはやらないとでも?何事にも例外はあるよ」
「いえ、私が心配してるのは”この家での貴方”についてですよ」

「それ……どういう意味?」

女は食事の席でのイルミの孤立など知らないはずだ。それなのになにもかも見透かしたかような物言いに、思わず声のトーンが下がる。
まさか女は全てわかったうえで、こちらを挑発しているのだろうか。大々的にイルミが女を殺せないのがわかっていて、冷めた笑みを浮かべているのだろうか。

そうだとしたら、舐められているにも程がある。

「あのさ、どれだけお前が家族に取り入ろうとオレだけは騙せないよ。この場で殺す以外にもいくらでも方法はある。オレを誰だと思ってるの?」
「ではさっさとその方法とやらを試せばいいでしょう。それとも殺しの前に会話を楽しむ趣味でもあるんですか?」
「……本性はそれだね、よくわかったよ」

なにがなまえさんはいい人よ、だ。聞いて呆れる。こいつはやはりイルミが睨んだ通りとんでもない女だ。
そうとわかれば早く騙されている皆の目を覚まさないと。


イルミは女に近づくと、おもむろに首を掴んで片手で持ち上げる。普通なら暴れるところだが、針を取り出してもなお、女は締めあげられた状態のままろくに抵抗もしなかった。

「無いとは思うけど、簡単に抜かれちゃ困るからね」

側頭骨と頭頂骨の間辺りを狙って、容赦なく針を突き立てた。念で覆った針なら、骨も肉も変わらず簡単に貫ける、本当はまっすぐ刺し込んで埋めるだけでよかったのだが、イルミはわざとぐりぐりと中身を抉ってから全て埋め込んだ。

「……うん。やっといい表情になったね」

気に入らなかった女のあの目は、今やもう何もない虚空を見つめている。機能的には死んでいないものの、もはやこれはあの女の形をした人形に過ぎない。イルミが手を離すと、女はぐらつきながらも地に足をつけて立った。そうして律儀にイルミの命令を待っている。

「二度とゾルディック家に関わるな」

そう言うと、女はゆっくりと頷き向きを変えた。元来た道をふらふらな足取りで引き返すさまは無様で胸のすく思いがする。
イルミは女の後姿が見えなくなると、自分も門の内側へ――大事な家へと戻ろうとした。
そして門を軽々と開けたところで、ふと思い出した。

「ゼブロ、お前は何も見ていないし聞かなかった。いいね?」
「……はい」

ゾルディック家の使用人は、門番に至るまで優秀だ。もし優秀でないのなら、ここまで生きてはいられなかっただろう。

聞こえてきた返事に満足したイルミは今度こそ門をくぐった。こんなに気分がいいのは久しぶりだった。

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