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■ 33.きっかけの爆弾

最終試験の課題は負けあがり式のトーナメント戦。
ハンターとしての資質によって挑戦できる回数にばらつきがあるようだが、詳細な判断基準は秘密らしい。キルアだけは不満そうな顔をしていたものの、他の受験生は1勝さえすればいいという条件に希望を見出したようだった。レオリオなどはその最たる例だろう。
しかし実際にいざ試合が始まってみると、話はそう単純なものではないとすぐに明らかになった。

第一試合のゴン対ハンゾー戦。
勝利の基準は“相手に参ったと言わせること”だが、この最終試験で“殺し”は即失格である。ここまで残ったような人間は、良くも悪くも自分の負けをあっさり認めない頑固者ばかりなので、この第一試合はかなり時間がかかっていた。

会場が自然とゴンを応援する雰囲気になっても、イルミだけは相変わらず興味がなさそうに事の成り行きを見守っている。試合前のなまえの挑発も、一体どういう風に受け取ったのかわからない。

最終的にゴン対ハンゾー戦はゴンの粘り勝ちとなったが、ゴンは我儘を言いすぎたためそのまま医務室へ。続く第二試合もヒソカがクラピカに勝ちを譲り、死者を出さないルールを守ったうえで、交渉や脅しを駆使して次々と勝負が決まっていく。最初の二試合で負けあがったハンゾーとヒソカは、第三、第四の試合で実力通りに合格を果たした。

そして、第五試合、ポックル対キルア。
なまえはこのトーナメント表を見たとき、キルアの勝ちを確信して完全に安心しきっていた。まともにやれば、キルアが負けるはずのない相手だ。イルミはキルアにライセンスを取ってほしくないようだったが、会長たちもいるこの衆人監視の状況ではさすがに手を出せまい。今回、イルミがキルアを家に連れ戻したとしても、今後キルアが自由を掴むうえでライセンスは必ず役に立つときが来るに違いなかった。


「参った」

だが、リングに上がったキルアは、試合開始の合図とともにあっさりとそう告げてポックルに背を向ける。その行動は戦っても面白くなさそうだからという、随分とふざけた理由だった。対戦相手のポックルも唖然としただろうが、なまえもそれを聞いて愕然としていた。
もしもなまえの作戦が失敗した場合、なまえが負けてキルアと当たるのはまだいい。しかし今の状況では、イルミがキルアと当たってしまう可能性もゼロではないのだ。それだけは何としてでも阻止しなければならない。

なまえはイルミと向き合うと、審判が口を開くよりも先に彼に向かって小さく頭を下げた。

「お願いがあります。どうか先ほどのキルアVSポックル戦のようなことはしないでください」
「……」
「あいつそもそも喋れんのか?」

レオリオのツッコミはさておき、そのまま試合は開始される。
先に挑発をしていたお陰か、イルミはなまえの出方を窺っているようだった。なまえが普通に攻撃を仕掛けても、防戦一方で全てかわすか受け止めるかしている。
しかしこれはなまえにとって好都合だった。試合がちゃんと行われていたと周りに認識してもらうことが重要なのである。
なまえは戯れのような攻撃を繰り返しながら、徐々にオーラを練り始めた。当然、痛みが身体を苛み始め、額にはじんわり脂汗が浮く。

「おい、なんかなまえの様子おかしくないか?」

これがもし単なる演技だったら、医者志望のレオリオには見抜かれてしまっていたことだろう。けれどもなまえは本当に苦しんでいる。見かけ上イルミは何もしていないが、イルミとの試合中になまえが苦しんでいる、という事実が必要なのだ。

「っ!私に……なにを、したの」

なまえはとうとう耐えきれなくなって膝をついた。痛みで思考が飛びそうになるが、それでも言おうと思っていた台詞だけは言った。これでなまえのこの症状が急に起こった体調不良なんかではなく、人為的なものであると印象付けられるはずだ。
後はこのままここでなまえが死ねば、皆イルミの仕業だと思うだろう。そうなればイルミは失格になる。

最期の最期で、なまえはどうしてもキルアを裏切りたくないと思ったのだ。キルアには嘘もたくさんついた。なまえが死ぬことでまた傷つけてしまうかもしれない。それでもこのままイルミの好きにさせて、キルアに幻滅されるくらいなら、少しでも彼がライセンスを取る手助けをしたい。今のキルアにはゴンという友達もいるし、飛行船の中でキルアと会話して、もう自分という存在がいなくても大丈夫だと確信が持てた。それに試験中の死亡ならば、キルアが感じる責任も薄いかもしれない。憎む対象が分かっていれば、罪悪感も薄れるだろう。

実際、なまえの中にはキルアの憎しみをイルミに向けさせ、イルミがこれまで以上に手を焼けばいいという薄暗い感情もあった。
つまりこの作戦でなまえは自分の名誉を守り、キルアの自由を後押しし、なおかつイルミを妨害できる。今後一生飼い殺されることを考えれば、ここで死ぬのもそう悪くないだろう。

「参った」

こちらの意図に気づいたイルミが負け宣言を行うが、もう遅い。
なまえはそのまま試合の勝敗にかまわず爆死するつもりだった。宣言後に死んだとしても、この試合が物議を醸すことは必然。念能力者であればイルミが見たところ念を遣っていないことはわかるかもしれないが、この場にいる大半は素人だ。なまえの死はイルミのせいだと思って、協会側に試験終了を求めるに違いない。

そしてハンター協会が後々調べたとしても、やっぱりなまえの死は指輪の念――結局のところイルミの仕業なのである。上手くいけば、イルミの負け宣言こそがパフォーマンスであるとして、彼に疑惑の目が向くかもしれない。まさか、最終試験まで来てなまえが自殺を図るとは誰も思わないだろう。もし単純にイルミを失格させたいという動機があったとしても、来年になればイルミはまた試験を受けられる。常識的に考えて、一時の妨害に命を懸ける人間などいないと考えるはずだった。

「おい、なまえ!」
「っ、来ちゃ駄目!」

試合終了の判定が下り、レオリオが駆け寄ってこようとする。なまえはそれを気迫で制し、這いずってイルミの足にしがみついた。きっと念でガードされるから爆発には巻き込めない。が、逆に言えばイルミがガードをすることで、周囲への被害を最小限に抑えられる。「よ……くも」最後の力を振り絞って立ち上がり、しっかり彼に抱き着いたなまえは覚悟の上で目を閉じた。

――これで終わりだ。

そのとき包まれた温度に、なんだかどうしようもない懐かしさを覚えた。


△▼


試験内容は面談で予想がついたが、トーナメント表が公開されてすぐのなまえの挑発は謎だった。あの様子からしてイルミとの試合はなまえが希望したことのようだが、今一つその目的がわからない。イルミとぶつかったところでなまえに勝ち目はないし、そもそも論としてイルミはなまえにライセンスを取らせたい。負けあがり方式で自分にはチャンスが三回あるし、一回くらいなまえに譲っても全く問題はないのだ。

しかし試合が始まる前、彼女は殊勝なことに普通に戦ってほしいと頭まで下げて見せた。
どうやらイルミが試合放棄することにより、次の試合でキルアとイルミがぶつかるのを阻止したいようだが、別にイルミになまえの願いを聞いてやる義理などない。
とはいえ、なまえが何を考えてこの試合を望んだのかは正直気になっていた。とりあえず本気で攻撃をしてきてはいるが、様子見で軽くあしらっておく。

状況が変わったのは、なまえがオーラを練り始めたからだった。
そんなことをすれば激痛が走るはずで、案の定なまえの額には運動によるものとは明らかに違う汗が浮かび、顔面も蒼白になっている。

様子がおかしいとギャラリーがざわつき始めたところで、なまえは苦し気に言葉を絞り出した。

「っ!私に……なにを、したの」

イルミはそこでようやく、これがなまえの身体を張ったパフォーマンスであると理解した。さては後程、なまえのを裏切りが露見した時のために、真っ向からイルミに立ち向かったという証拠作りのつもりか。もしくは盛大に被害者ぶって、従わざるを得なかったのだというアピールのつもりなのだろうか。

このときイルミはまさか、彼女が死のうとしているとは夢にも思っていなかった。なぜならなまえが自殺すればキルアの精神に深く傷を残すだろうと試験前に脅したし、それを考えればたとえこの先イルミに飼い殺される現実があったとしても、キルアのことを可愛がっているなまえは自殺を躊躇うはずだからだ。
第一、ここで死ぬことにさほどメリットがあるとは思えない。イルミの妨害にしては賭けるものが大きすぎるし、四次試験の時だって自殺はしないと言っていた。

とりあえず、これ以上はなまえの身体に良くないと思った。そろそろ潮時かと考え、イルミは躊躇いなく負けを宣言する。利用されたことは若干癪だが、まぁこのくらいのパフォーマンスには付き合ってやってもいい。試合が終われば、なまえもこの悪あがきをやめるだろう。
どうせ次はイルミとキルアが当たるのだ。そこでイルミは合格し、キルアの希望を砕いて終わり。

だが、イルミの予想とは裏腹に、なまえは試合が終わってもオーラを練るのをやめようとはしなかった。「来ちゃ駄目!」痛みで集中できないために時間がかかっているようだが、流石にそろそろ指輪が爆発する限界のはずだ。
どうしたのか。何がしたい?まさか死ぬつもりなのか?

――なまえが、死ぬ?

その考えに辿り着いたとき、イルミの胸を満たしたのは恐ろしいまでの焦燥だった。

なまえが死ねば色々と面倒ではあるが、正直そこまで困りはしない。
仕事でライセンスがいるのはそうだが、それだって所詮あれば便利くらいのものだ。一時のことであれば偽造してしまう手もあるし、イルミならば針で操作して資格持ちであるように誤解させてもいい。母親への説明も、試験中の事故ならば諦めてくれるだろう。これまでずっと仲睦まじい演技をしてきたし、同情されこそすれ糾弾されるようなことはないはずだ。あれだけ不安を煽ったキルアの精神的ダメージについても、もしキルアが壊れるようなら針で忘れさせてしまえばいい。

それなのに、イルミはなぜかなまえを止めなくては、という思いに突き動かされた。
死なせたくない。死んでほしくない。

それはもはや理屈ではなかった。イルミの中で彼女はもう、確かに自分の物であった。彼女がゾルディック家の人間を家族として慈しんだみたいに、イルミもなまえを知らず知らずのうちに家族の枠へと含めていたのだ。

――今更、手放してやるものか。

縋りつかれて、その思いは確かなものとなる。
瞬間、からん、と小気味よい金属の音が、緊迫する会場の空気を裂くように響いた。

「なんだ……?何が起こったんだ?」
「あれは……」

ざわつくギャラリーはそこで、イルミの足元に銀色の破片が落ちていることに気付く。それは真っ二つに割れていたが、元がリング状になっていたということは容易に推測できた。

「……試合は終わりでしょ。彼女、医務室に運んであげて」
「えっ、あ、はい!」

ぐったりとしたなまえを抱きかかえたイルミは、まるで何事もなかったみたいにそう言った。先ほど参ったと口にしたはずなのに、審判は初めてイルミが話すのを聞いたかのように飛び上がる。
そしてその時になって周りの皆も気が付いた。全身に針を刺した強烈な印象のせいでそちらにばかり気を取られていたが、彼の左手の薬指にも光るものがある。たった今落ちたなまえの物とよく似た銀色の指輪は引きちぎられて、破片が指の間にかろうじて挟まっているという状態だった。

「なまえ!しっかりしろ!」
「気を失ってるだけだから。担架」
「ご用意しました!」

騒然とする会場を尻目に、イルミはなまえの身体をレオリオに託すと静かに壁際へと戻る。「お疲れサマ」腕を組んだヒソカが声をかけてきたが、イルミはろくな反応を返さなかった。無視をしたわけではなくて、完全に上の空だったのだ。

自分で自分の行動に一番驚いていた。行動だけでなく、そのとき抱いてしまった感情にも。

運ばれていく彼女をぼんやり見ながら、イルミは酷く安堵していた

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