- ナノ -

■ 01.忍び寄る異物

家の中で、他人の気配がするのはよくあることだ。

そう言うと不思議に思われるかもしれないが、一人一人の執事を覚えているわけでもなく、ましてや家族とも思っていないイルミにとってはそれらの気配など判別がつくはずもない。
だからたとえ見知らぬ気配が家の中にあろうと、普段は少しも気にしないのだ。いや、いちいちそんなことを気にしていたら流石に気が休まらない。侵入者を寄せ付けないためにあの重い門と教育された執事を置いているのだから、そんなことにまで煩わされたくない。

しかし、その日仕事から帰ったイルミはどうしてもある気配の正体を確かめたくなった。というのも、その気配はここゾルディックにおいて"異質"の一言に尽きる。執事たちは同じ養成所で訓練されるため、皆多かれ少なかれに似たような気配の消し方をするのだが、たった一つ、群を抜いて微かな気配があるのだ。

微かなものが逆に意識に引っかかる、というのはなんだか矛盾しているようだが、それはイルミが暗殺者だからこそ。大っぴらなものよりも、隠された方がかえって気に障る。熟練した執事の上手さとはまた違った気配の消し方は、どちらかというと野生動物のそれに近かった。それゆえ、時折勝手に連れてこられる婚約者候補などの同業ではないのだろう。

イルミは何故か胸騒ぎを感じながら、神経を集中させ気配を辿った。幾重にも守られた家の中だ、そう危険はあるまい。そうは思っていても、何故だか嫌な予感がつきまとう。イルミは勘なんてものを頼りにするたちではなかったが、どうにもこの気配の相手はゾルディックにとって良くない相手だと思った。

そして、その予想が外れていなかったことはすぐに明らかになった。

「まぁあ!イルミ、ちょうど良かったわぁ!!今あなたを呼びに行こうと思ってたの!!」

例の気配は母親――キキョウとともにあった。場所は滅多に使われることのない客間だし、尚更イルミが警戒する必要があるとは思えない。それでも念のため扉をノックしようとすれば、それより先にキキョウが中から出てきた。

「誰が来てるの」
「ええ、紹介するわ!!流星街時代に縁のあった人でね!あ、ええと、今日訪ねて来てくださったのはその方の娘さんなんだけれど!!」

元より騒々しい母親だが、機嫌がいいのかいつにもましてよく喋る。けれどもイルミはその半分も聞いておらず、意識は部屋の中の人物に向けたままだった。「さぁ、入って!!」力強く腕を引かれなくとも、イルミは初めからそのつもりである。自分の目でこの”異物感の正体”を確認せずにはいられなかった。

「なまえさんよ!!こちらはうちの長男なの!!」
「初めまして。お邪魔しています」
「……」

そう言って、ぺこりと頭を下げた女はごくごく普通の人間のように思われた。一応ここまでやってくるだけのことはあって念能力者ではあるようだが、イルミが脅威を感じるほどではない。けれども顔をあげた女と目が合って、イルミはやはり気に入らない、と思った。何が、と言われれば困るが、強いて言うなら目だ。人好きのしそうな柔らかい笑顔を浮かべているくせに、その瞳の奥はどこか虚ろに感じる。

「なまえさんはお母様生き写しなの、一目見てびっくりしちゃったわ!!まるで昔の友人が訪ねてきたみたいなんですもの!」
「母と過ごした時間は短かったのですが、キキョウさんのお話はよく伺ってました。お会いできて光栄です」
「いいえ、こちらこそ会えて嬉しいわ!私が流星街を去ってからの話、聞かせてちょうだい!!」

紹介するだけしてもうイルミのことなど忘れてしまったのか、キキョウはなまえと話すのに夢中なようだった。イルミは母親が流星街出身であることを知っていたが、特に思い出話など聞いたことが無い。そもそも、噂を聞く限りあまりいい思い出のあるところではないだろう。
けれども今、キキョウの喜びようを見ていると、なまえの母親とはかなり懇意にしていたらしい。注意深く観察していると、またなまえと目が合った。「お忙しいところ、すみませんでした」彼女はちょっと困ったように微笑んで、それからキキョウに勧められるままに席につく。今が退出するタイミングだ、と言われたように感じたのは単なるイルミの被害妄想だろうか。

しかし実際のところ、イルミがこのままここに残る理由は無い。母親の長い話に付き合うのはごめんだし、一応”異物感の正体”も確認した。未だにもやもやとはするものの、客人として歓迎されているなまえを勝手に追い出すことはできないし、これといって追い出す理由もない。
どうせそのうち帰るだろう。不快ならば視界に入れないようにするのが得策だ。

そう考えたイルミは、話し込む母親に声をかけず部屋を出た。今日は深夜にもう一件仕事があるのだから、今のうちに身体を休めておこう。
しかし気にしないように努めれば努めるほど、さっきの女が気にかかった。

漠然とした嫌な予感ほど、気持ちの悪いものは無いのだ。

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