- ナノ -

■ 27.心当たり

「おはよう、キルア」
「あぁ。っと!」

時刻は朝の7時半。なまえに声をかけられ振り返ったキルアは、ぱしゃり、という音と共に写真を撮られ、思わず眉をしかめる。告知では朝の8時に連絡があるとあったため、既に起きていた受験者たちの視線を一身に浴びることになったキルアは、恥ずかしさと呆れからなまえをぎろりと睨みつけた。

「おまっ、そういうのはひと声かけてからやるもんだろうが」
「えー、今かけたじゃん」
「写真を撮っていいかってことだ!」

彼女のこの行動はイルミへの定期報告のためだ。写真を撮ることに協力するとは言ったものの、普通ならゾルディック家の人間には顔写真だけでもいい値がつく。けれどもなまえは悪びれた様子もなく、にっこりと笑って見せた。

「だって、撮るよって言ったって、別に笑顔くれるわけでもなんでもないでしょ」
「あたりめーだろ」

写真の行きつく先はあの兄貴なのだから、考えただけでも気持ちが悪い。キルアが想像で身を震わせていると、飛行船の窓から外を眺めていたレオリオが呆れた顔で振り返った。

「なんだオメーら、観光気分かァ?のんきに写真なんて取りやがって。こっちは昨日これからの試験のことを考えてろくに眠れなかったっつうのによぉ」
「眠れなかっただと?だったらあの獣のようないびきはなんだったんだ」
「誰が獣だ!誰が!なぁ、なまえも昨日近くで寝てただろ?俺、いびきなんかかいてたか?」
「うーん、私もぐっすりだったからわかんないな」

そう言ってなまえが困ったように笑うと、クラピカの表情がわずかに陰った。なまえの同意を得られなかったからかもしれないが、レオリオがいびきをかくさまはいくらでも想像できるのでクラピカの証言が正しいのだろう。「ほらみろ、やっぱてめーが神経質すぎるんじゃねーか?」なまえの言葉を聞いたレオリオはますます勢いづき、代わりにクラピカはうんざりした表情になった。

「そうだな、貴様より繊細であることは認めよう」
「ちっ、口のへらねぇ野郎だぜ。
 と、それより、ゴンの姿が見えねーが、キルア一緒じゃなかったのか?」
「あぁ、あいつはたぶん、どっかその辺で寝こけてると思うぜ。昨日は一晩中、会長相手に動き回ってたみたいだからな」

昨晩、ゴンと共に会長のゲームに参加したことを思い出して、キルアはもやもやとした気持ちを抱えた。初めこそボールを取るだけで合格という破格の条件に目を輝かせたものの、今では明らかに遊ばれていたとわかる。格が違いすぎて、そもそもゲームとして成り立っていないのだ。そういうわけで不毛だと見切りをつけたキルアはしばらくしてゲームから降りたが、ゴンは結局あの後も長く続けていたようである。キルアが離脱する頃には、会長に右手を使わせるというふうに主旨は大きく変わっていたようだが。

「なんじゃそりゃ。じゃあ早いとこ見つけて起こしてやったほうがいいんじゃねーのか?もう次の試験まで30分もねーぜ」
「だな。俺となまえで探してくるよ」

おそらく、ゴンはあのゲームの部屋にまだいるはずだ。ちょうどなまえと二人きりで打ち合わせがしたかったので、これ幸いとキルアはなまえの腕を引く。

「出た、シスコン野郎」
「うっせ!そんなんじゃねぇ!」

しかしそのせいで要らぬ誤解を受けたキルアは、朝一番から大声をだす羽目になり、肩を怒らせて廊下を歩くこととなった。なまえもキルアの意図がわかっているため誤魔化すための苦笑しか浮かべないし、やれやれとしか言いようがない。ほとんど八つ当たりに近かったが、からかわれた気恥ずかしさのせいでキルアは自然とぶっきらぼうな口調になった。

「で、兄貴はなんて?」
「試験でキルアと合流したことを伝えたら、そのまま協力するふりして監視しろって。どうやら大事な仕事中でしばらく手が離せないみたい。
 それに、ハンター協会と揉める気もないみたいだよ」
「じゃ、何か仕掛けてくるにしても試験後ってわけか」
「たぶんね。とりあえず次は三次試験だって伝えるけど?」
「オッケー」

予想通り、試験中は手を出してこないらしい。それはこちらにとっても非常に助かる話だった。あとは最終試験の前になまえに嘘の場所を伝えてもらって、ライセンスをゲット次第即逃亡というのが一番いいだろう。キルアはなまえの裏切りがバレないよう、定期的に写真に協力してやれば完璧だ。

「じゃあ、あとは試験に受かるだけだな」
「二次試験、正直やばいって焦ったけどね」
「まぁな。なんでもアリだってのはわかったよ。正直、三次も何が来るか……ま、こいつはほんとに気楽そうだけど」

会長とゲームをしていた部屋の扉を開いたキルアは、中で気持ちよさそうに眠っているゴンを見てため息をつく。靴も上着も脱ぎっぱなし、タンクトップ姿で大口を開けて眠るゴンには、今が試験中だなんていう緊張感が欠片もないのだろう。キルアの家族のことを伝えた時ですら特に驚いた様子はなかったし、大物なのか何も考えていない馬鹿なのかいまだによくわからない。
ただ、正直面白い奴だと好ましくは思っている。

「うわ、爆睡してるね。とりあえず見つけたし、着いたら起こすって感じでいいかな」
「そうだな。こんだけ気持ちよさそーに寝られたら、起こすのなんかちょっと気が引けるし」

なまえと顔を見合わせて苦笑したが、実際、二人の判断は正しかった。
会長の計らいか、単に運航に遅れが出たのか、三次試験会場に到着したとアナウンスが流れたのは告知よりも一時間半も遅い、9時半だったのだ。


▲▽


三次試験の会場はトリックタワーという名の、ただひたすらにつるりとした塔のてっぺんから始まった。来るときに飛行船から見た限りではタワーに窓のようなものは一切なく、タワーというより巨大なコンクリートの柱だと言われたほうがしっくりくる。

飛行船から降り立った受験者たちはみな辺りを見回し、何が行われるのか推測しようとしていた。クラピカも同様に何か手がかりがないかと注意深く観察していたが、いっそ拍子抜けしてしまうくらい何もないのである。
タワーは結構な高さであり、遮るものが何もない分、吹きつけてくる風は強かった。

「これ、受験者同士で落としあいとかだったらどうしよう」
「三次試験まで来て、そんな単純な方法で数を減らすとは思いたくないが……」

恐る恐る下を覗き込んだなまえの呟きに、クラピカはやんわりとした否定を返す。二次試験のことがあるから、ハンター試験は単純に強さだけを試されるものではないのだろう。

やがて、受験者全員が降り立ったところで、試験内容が告げられる。未だに試験官の姿はなく、豆のような姿かたちの進行役が口を開いた。

「さて、試験内容ですが試験官の伝言です。
“生きて下まで降りてくること。制限時間は72時間”」

内容はいたってシンプルだ。その意味を理解しようとした受験者たちの間には一瞬の沈黙が生まれたが、進行役はそれ以上詳しい説明をすることもなく開始を告げる。
ほどなくして、外壁を伝って降りようとする猛者が現れたが、残念なことに彼は怪鳥の餌となってしまっただけだった。

「きっとどこかに下へと通じる扉があるはずだ」

今回設けられた制限時間は3日間。
これまでの試験に比べると随分と長い設定だが、それだけこのタワーを降りるのにいくつかの仕掛けを突破しなければならないということだろう。
朝9時半に開始して3日ということは、当たり前だが3度の夜を迎えることになる。クラピカは隠し扉を探しつつ、ちらりとなまえのほうに視線をやった。

あの後、夜明け過ぎに目覚めたらしいなまえはやはり自分の行動を覚えていないようだった。ただ、起きるなり辺りを見回して場所を確認しているようだったので、自分の症状は自覚しているようである。異変がないとわかったなまえは明らかに安堵の表情を浮かべていて、クラピカは昨日のことを言えなかった。言ったところで本人にもクラピカにもどうしようもないことだし、寝る前に症状を相談してこなかったなまえはきっとこの話題に触れられたくないだろうと思ったからだ。

「キルア、ちょっといいか?」

しかし、この先試験が進めば進むほど、おそらく夜を越す機会は多くなる。手分けして扉を探す中、クラピカはさりげなくキルアの近く寄ると小声で話しかけた。もしキルアがなまえの症状を知っているなら昨夜に別行動をするはずがないので、なまえが嫌がろうがキルアだけには言っておかなければならない。

「見つけたのか?」
「いや、そうではない。なまえのことだ」
「は?なまえ?」

キルアは怪訝そうな顔になると、離れたところで床を叩いてまわっているなまえに視線を向ける。あえて彼女が離れているときに話を持ち掛けたということで、キルアも自然と声を落とした。

「なんだよ」
「単刀直入に聞く。彼女が夢遊病かもしれない、ということは知っているか?」
「夢遊病?」

案の定、キルアは何も知らなかったようで、目を見開いてクラピカの言葉を繰り返す。彼女の名誉のために彼女の発した言葉は伏せたが、クラピカはいかになまえの様子がおかしかったかを説明した。

「……ちょっとすぐには信じられないな。あいつ、ここしばらくずっとウチに泊まってたけど、夜中に徘徊してるって噂は聞かなかったぜ」
「キルアの兄なら知っていたのだろうか」
「いや……婚約者って言っても兄貴となまえの部屋は別だったし、知らない可能性が高い」
「そうか。彼女自身、自覚はあるようだったから、家ではなにか対策をしていたのかもしれないな」

たとえば物理的な方法だが、自分とベッドを何かで繋いだり、ドアに複雑な施錠を施せば、出歩いてしまう確率はずっと低くなるだろう。人によってどこまでの行動ができるかは様々だが、あくまで睡眠のさなかにある状態では、起きているときほど複雑な動作はできない。彼女の振る舞いからして初めてのことではなく何度も経験があるようだし、キルアの家ではそうした対策を自主的に行っていたと考えるのが妥当だろう。

「くそっ、なんでそんな大事なこと言わねーんだよあいつ」
「そう言うな、誰しも人に言えない悩みがあるものなのだよ。とりあえず、我々は彼女が危険な目に合わないように気を配る必要があるということだ」
「ゴンやレオリオには?」
「今のところキルアにしか伝えていない。レオリオは医者志望だから彼になら伝えてもいいかもしれないが、こういったものはすぐに治るものでもないしな。判断はキルアに任せる」
「……わかった。教えてくれてサンキューな」

キルアは礼を言うと、しばし黙り込んだ。彼自身が結婚相手ではないとはいえ、なまえの精神に負担を強いていることについてはやはり心当たりがあるようである。
クラピカも一応伝えるべきことは伝えたので、再び隠し扉探しへと戻ることにした。「あっ!」しかし視線を床に落とした瞬間、キルアが珍しく大きな声をあげた。

「どうした、キルア」
「今、なまえが……」
「え?」
「なまえが落ちてった。いきなり床が開いて」
「なに!?」

慌てて彼女がいたほうを見れば、確かに先ほどまであった姿が忽然と消えている。「確かにここなんだ。くそっ、開かねー!」開いたと思われる床を調べたキルアは悔しそうに言う。どうやら隠し扉の使用は一度きりらしく、受験者一人一人がそれぞれの扉を見つけなければならないらしい。未だ扉の形状などのヒントを掴めていなかったこちらにしてはありがたい情報だったが、まさかなまえが落ちてしまうとは。
意図せず落ちたものならさぞ驚いたことだろうし、足を痛めている彼女に着地は厳しい。無事だと良いのだが。

「いきなり別行動か」

呟いて床を見つめるキルアの表情は、予想以上に強張っていた。どういう事情があるのかはわからないが、キルアはなまえのことに関してものすごく気負っているように感じられる。最初の説明では彼女のほうがキルアのお目付け役という話だったが、キルアはそうは思っていないようだ。兄の婚約者ということを差し引いても、確実に守るべき対象として彼女のことを見ている。レオリオはシスコンだとからかっているが、それとはまた少し異なる必死さがキルアにあるように思われた。

「仮に近くに扉を見つけたとしても、そこがなまえのルートと繋がっている保証はないだろう」
「……」
「キルア、幸いにもなまえには症状の自覚がある。危険な状況下であれば眠らないという選択肢もあるし、眠るにしても何らかの対策をとるに違いない」

もう少し早く伝えるべきだったか、と責任を感じながら、クラピカは慰めの言葉を口にした。正直、これが試験である以上、わかっていたとしても共に行動できるかどうかは別の話なのだが、こうもあからさまに落ち込まれては罪悪感も湧く。

「あぁ、そうだよな……。俺たちも早く扉を見つけねぇと」
「キルア―!クラピカ―!」

ようやくキルアが頭を切り替えたところで、ゴンの明るい声が響く。「ちょっとこっち来て!」見ればレオリオも合流しているらしく、早く来いと手招きされる。もしかすると扉が見つかったのかもしれない。

「行こう、キルア」
「あぁ」

キルアはもう一度だけなまえの消えた扉を振り返り、それからゴンのほうへと走り出した。その後に続いたクラピカはふぅと息を吐く。

なまえのことは心配だが、クラピカだってそうそう他人ばかり心配していられない。とにかく今は試験に集中だと、力強く仲間のもとへ駆け寄った。


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