- ナノ -

■ 26.遊行

「次の目的地へは明日の朝到着予定です。こちらから連絡するまでは、各自自由に時間をお使いください」

協会側からのそんなアナウンスを受け、まるで針鼠のようにピリピリしていた受験者たちの空気も少しは和らぎを見せる。乗り込んだ飛行船の行き先は次の第三次試験会場らしいが、到着が明日ならばビスカ森林公園からはかなり離れたところにあるのだろう。試験ごとに会場の位置が大きく変わるのは、失格者の介入を防ぐという目的もあるのかもしれない。

「ゴン!飛行船の中探検しようぜ!」
「うん!」
「元気な奴ら……俺はとにかくぐっすり寝てーぜ」
「私もだ、おそろしく長い一日だった」

一度は合格者0で終了し、どうなることかと思った二次試験だったが、会長による再試験のお陰でゴンやレオリオ、キルアもなまえも皆揃って先に進めることになったのだ。それでも、あたりを見回してみれば今や残っている者は初めの10分の1ほどしかおらず、改めてハンター試験の厳しさを痛感させられる。
よっこいしょ、と年寄り臭い掛け声を発したレオリオが廊下の端にどっかり腰を下ろし、探検に加わらなかったクラピカとなまえも一緒になって休憩することにした。

「あっ、そうだ。なまえ、足見せてみろよ」
「えっ」
「これでも俺は医者を目指してるんでな。こいつん中には湿布とか包帯とか、色々入ってんだよ」

レオリオはそう言って、アーガイル柄の派手なスーツケースを叩く。ちなみに、ヌメーレ湿原で道標としたオーデコロンはここから出てきた代物だ。正直なところ試験を受けに来たにしては荷物が多いと思っていたが、なるほどそういう事情があったのなら頷ける。
なまえの足首を固定するその手際の良さからも、普段から彼がこうして人助けをしていることが容易に想像でき、クラピカは思わず微笑を浮かべた。

「やはり、金がハンターになる志望動機だなんて信じられないな」
「……いいや、オレの目的は金さ。物はもちろん、夢も心も、人の命だって金次第だからな」
「命だと?医者になりたいと言っておきながら何を!撤回しろ」

クラピカの志望動機は、船上でレオリオも聞いているはずだ。詳しいことまでは述べていないが、幻影旅団に同胞を皆殺しにされたという話はした。それなのに、命を金で買えると言われては流石に黙ってはいられない。まるで嵐の夜の決闘を再現するかのようにクラピカは憤ったが、対するレオリオはあの時と違って苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「事実だ!金がありゃ、オレの友達は死ななかった!」
「……病気か何かだったの?」
「そうだ。だけど、決して治らない病気なんかじゃなかった!問題は法外な手術代さ!」

吐き捨てるようなレオリオの口調に、クラピカの怒りは潮が引くように冷めていく。馬鹿げた発想だが、もしもその友人の病が治療法のない難病だったなら、ここまで無力感に苛まれることもなかっただろう。痛ましそうな表情になったなまえを見て、クラピカは自身もきっとにたような顔をしているに違いないと思った。

「オレは医者になって、ダチと同じ病気の子供を治して、”金なんていらねェ”って言ってやるのが夢だった。だがよ、そんな医者になるためには、さらに見たこともねェ大金がいるそうだ」
「……」
「わかったか?この世は金!金!金だ!オレは金が欲しいんだよ」

レオリオはそう言って、乱暴にスーツケースを閉めた。それでもやはり、他人を蹴落とすことが想定される試験において、救急道具を持ってくるのがこの男の性質なのだろう。

「やはり貴様は嘘つきだ」
「……」 
「が、なれるといいな、医者に」
「手当てしてくれてありがとう、レオリオ」
「……おうよ」

礼を言われて照れくさいのだろう。「そ、そういやひとつ気になるんだけどよぉ、試験ってのは何次まであるもんなんだ?」レオリオがあからさまに話題を変えたのはわかったが、その疑問はクラピカも抱いていたもの。やや声が大きすぎたせいで周りの注目を集めてしまったが、今回ばかりは咎めることはしなかった。

「どうなのだろうな、なまえは何か知っているか?」
「ううん、私も今回の受験が初めてだし、そもそも受験自体も二週間前に決まったばかりなんだ」
「そうか。私も詳しいことは知らないな」

一次試験が終わりの告げられないマラソンだったことから、試験の数が明言されていないことにもそうした意図があるのかもしれない。そもそも段階ごとに定員があるわけでなく、合格者数が変動するので、協会側も臨機応変に対応するしかない。「フフン、お困りの用だな?」声をかけてきたのは、会場に来た途端に怪しげなジュースを飲ませようとして来たトンパという男だった。確か彼は35回の受験経験があると言っていたが、正直信用に足る人間とは思えない。しかしトンパは三人のうろんげな視線をものともせず、饒舌に説明し始めた。

「試験はその年によって違うが、だいたい平均して5つか6つだ。審査委員会が試験官と内容を考慮して加減する」
「それが本当ならあと3つか4つはあるんだな。こりゃなおさら寝ておかねーと」
「だが気をつけたほうがいい。さっきの進行係は“次の目的地”と言っただけ。もしかするとここが三次試験の会場かもしれないし、連絡があるのも“朝8時”とは限らないってわけだ。
 寝てる間に試験が終わっちまったってことになりたくなきゃ、ここでも気を抜かないほうがいいってことさ」

そう言って意味深な笑顔で去って行くトンパに、なるほどやはり親切心で教えてくれたのではないようだと納得する。狙いはきっと試験が不意打ちで行われる可能性を示唆して、受験者の精神を削ることだろう。これは流石のレオリオでもわかったらしく、目を合わせると今の話などなかったかのように、協会側から用意されていたブランケットを取りに行った。

「ほらよ。あんなやつの言うことなんて無視して寝ようぜ」
「……」
「どうした、なまえ。何か気になることでもあるのか?」

見ればなまえはブランケットを受け取りこそしたものの、何やら考え込んでいるようである。それがただぼうっとしているだけならよかったのだが、彼女の表情はもっと深刻なように見えた。

「あー……私は起きていようかな」
「へ?なんでだよ、トンパが言ったこと気にしてんのか」
「そういうわけじゃないけど、眠くないというか寝たくないというか」
「はぁ?あんだけ動いたらフツー眠いだろうが」

確かに女性の彼女からしてみれば、雑魚寝というのはあまり歓迎できる事態ではないだろう。しかし数は少ないとはいえ他にも女性の参加者はいるし、一応ここまでの試験は共に潜り抜けてきた間柄だ。今更そういう意味で警戒されているとも思えなかった。

「心配すんなって。万が一、三次試験が寝てる間に始まるようなことがあれば起こしてやるし」
「一番寝こけていそうなレオリオが言ってもだな……。
 まぁ、私も休めるときには休んだほうがいいとは思う。たとえ眠れなくても、目を閉じてじっとしているだけでも随分と違うものだよ」
「……わかった」

なまえはまだ不服そうだったが、最後には諦めたのか同じように壁に寄りかかってブランケットにくるまる。しきりに唇に触れている仕草から彼女の不安や恐怖心が伺え、もしかしたら”眠る”こと自体に抵抗を感じているのかもしれないと思った。そう思ったのは、自分も以前に悪夢にうなされて、眠るのが辛かった経験があるからだ。


「少しだけ、話してもいい?」
「なんだ?」
「……あのさ、二人はヒソカと私の関係、どうして聞かないの?」

話をすると言ったわりに先になまえが質問してきたので、クラピカもレオリオも一瞬虚を突かれる。確かに気にはなっていたが、あの時のなまえはクラピカ達を逃がすために必死になってくれていたし、怪しむことで彼女の気持ちを踏みにじりたくはない。「聞いてもいいのか?」躊躇いがちにそう聞き返せば、彼女は静かにこくんと頷いた。

「……彼に頼んだ仕事はボディーガードだったの。あれでも強さだけは信用できるし。
 私が家の為に結婚させられそうだって話はしたよね?ヒソカとは、今の婚約者から逃げるために約1ヶ月契約したんだ」
「だけどよ、結局婚約してんだろ?ヒソカは失敗したのか?」
「ううん。私が婚約者に捕まったのは、契約が切れた後なの。それから私はずっと彼の家に軟禁されて、後継者のキルアも似たようなものだった。
 私たちにとって、今回試験を受けることを許されたのは千載一遇のチャンスなの」
「……なるほど。それがなまえの志望動機というわけか」

自由恋愛が盛んになった現代でも、名のある家では未だに政略結婚が行われるとは聞いたことがある。しかし、それでも軟禁までするなんてよっぽどだろう。ヒソカと繋がりがあることからも、なまえはおそらく裏の世界の人間なのではないだろうか。「でも、どうしてわざわざ自分からそんな話を?」家庭内の事情というのは軽々しく人に話せるものではないし、それほどの家柄ならなまえやキルアを狙う奴が出たっておかしくはない。たとえ殺すつもりがなくても、金と取引できる材料に十分なりえるからだ。

「そうだね。私も誰にもこんなこと話すつもりなんてなかった。でもキルアを見てて少し羨ましくなったの。私も友達なんてろくにいなかったし」

友達などというものは、クラピカにももはやいなかった。5年前の惨劇で、友も家族も故郷すらも失ってしまったのだ。それからはずっと緋の目のためにあまり人と関わらないようにしていたし、復讐の想いだけに突き動かされて生きてきた。
けれども、友達が羨ましいと言ったなまえの気持ちはよくわかる。たかだか1日しか共に過ごしておらず、これから先試験の内容によってはいつ敵になってもおかしくない状況で、手の内を明かすのは愚かな行為でしかないだろう。

だが、それでも――

「……そうか。それでは、私の話も聞いてもらえるだろうか」

他人と心を通わせることの喜びを知っているから、たとえ束の間でもそこに浸りたいと思ってしまう。レオリオが、なまえが、その過去を語って、自分だけ何も話さないで済ますほどクラピカは”ずるい”人間ではない。
それにこうして誰かに語ることによって、この胸の怒りや憎しみが風化してしまわないでくれればいいと思ったのも事実だった。


△▼


就寝後、2時間ほどたった頃だろうか。
隣りで人が動く気配がして、クラピカはそろりと薄目をあけた。特に敵意や殺気などは感じられなかったのでこのまま睡魔に身を委ねても良かったが、なんとなく気になるものは気になるのである。隣のレオリオは相変わらず爆睡していたため、起きていたのはやはりなまえのほう。彼女は何を考えているのか、毛布から出たままぼんやりそこに立っていた。

「眠れないのか?」

あの後、クラピカの語った志望動機に二人は暗い表情になったものの、お定まりの”復讐なんてやめろ”という説教はしてこなかった。もちろん、やめろと言われたところで大人しくやめるつもりも毛頭ないし、復讐が褒められたものではないことくらいクラピカにだってわかっている。しかし、それでも頭ごなしに否定されなかっただけでも、彼らに話してみて良かったと思えたし、互いの事情を話したことで心の距離が近づいたのは確かだ。

最初は眠るのを拒否していたなまえも会話しているうちに不安が紛れたようで、結局三人そろってゆるりと眠りについた。誰かと話しながら、そのうちに眠ってしまうのはクラピカにとっても久しぶりの経験で、あの妙なけだるさが心地よかったのだ。

「なまえ……?」

しかし、なまえはやっぱり眠れないようである。
しばらく見守っていてもそのままの状態でピクリとも動かないので、いい加減クラピカは不審に思って声をかけた。同じ眠れないにしても、そうしてそこで突っ立ているのはおかしな話だ。これからの試験のことを考えるなら、たとえ眠れなくても座ったり寝転んだりして身体を休めたほうがいい。

しかしなまえはクラピカが声をかけたのにもかかわらず、何の反応も示さない。周りに気を遣って声を落としたとはいえ、聞こえない距離ではないはずだった。

「……なまえ?」

もう一度声をかけるがなんだか様子がおかしい。そこでクラピカも立ち上がったが、なまえはまだぼんやりと何もない虚空を見つめている。「どうしたんだ」まさか寝ぼけているというのだろうか。彼女の肩を叩いたが、これまた無反応。いよいよ心配になって強めに肩をゆすれば、なまえはようやく緩慢な動作でクラピカを振り返った。

「おかあ、さん」
「は……?」

とっさのことで理解できず、クラピカは間抜けな声を漏らしてしまう。常々、女顔であることを気にしているクラピカ的には、違う意味でダメージも負った。しかし、単なる寝言と切り捨てるには、やはりなまえの様子は異常だ。「なまえ、しっかりしろ」普通ここまで声をかけたり揺すったりすれば起きると思う。第一、なまえの目はしっかりと開いている。

「待って」

クラピカが対処に困っていると、なまえは不意に何かを見つけたように廊下の先のほうへ視線をやった。つられてクラピカもそちらを見るが、もちろんそこには誰もいない。
けれどもなまえはまるでそこに誰かがいるみたいに、ゆらゆらとおぼつかない足取りで歩き始めた。

「おい、一体どこへ、」
「待って……行かないで」
「なまえ、」

状況だけ見れば、恐怖を煽られてもおかしくない。
しかしクラピカは膨大な知識の中から、彼女の状態に当てはまる答えにたどり着いていた。おそらく、なまえのこれは夢遊病なのではないだろうか。よく本人にはその間の記憶がないと言われているが、彼女ほど活発に移動するタイプならば翌朝全く違う場所で目覚めると言うこともあり得る。寝ている間に自分が知らず知らずに行動しているとなれば、彼女が眠るのをあれだけ渋っていたことも理解できた。

だが、夢遊病かもしれないとわかったところでクラピカにはどうしてやることもできなかった。夢遊病は基本的に4〜8歳ころの小児に多い病気であるし、通常青年期以降に自然消失するものだ。原因は身体的、精神的ストレスが関係していると考えられているが、今のところこれといった心理療法や薬物療法が確立されているわけでもない。患者を無理に覚醒させたり制止すると錯乱して攻撃的になる可能性もあるし、逆にあれだけ活動的であればうろついた先で怪我をする場合もあった。夢遊病の最中は痛みを危険に対する状況判断が鈍り、痛みも感じにくくなっているのだ。

とにかく放っておけないクラピカは、黙ってなまえの後を追うことにした。手荒な真似をすれば止めることも可能だろうが、なまえの実力も不明である今、あまり得策とは思えない。通常、睡眠時遊行は長くても1時間程度のものなので、その間彼女が危ない目に合わないか見張っていればいいだけだ。

なまえは相変わらずゆっくりとした動作で、廊下の先を目指して歩いていた。そしてその後しばらく立ち止まったり、また歩いたりを繰り返す。言葉を発したのはクラピカが話しかけたあの時だけで、あとは本当にただゆっくりと徘徊しているだけだ。

夢遊病は夢の中の行動通りに動いているのだと思われがちだが、実際遊行が起こるのは深い眠りのノンレム睡眠中で、患者はその間何の夢も見ていないという。
最近は落ち着いているが、事件直後は緋の目のことでよく悪夢にうなされていたクラピカからすると、彼女が悪夢をみていないのはせめてもの救いのように思えた。先ほどのなまえの言葉から考えて、おそらく彼女の家庭にまつわる心理的ストレスが原因なのだろう。彼女を軟禁していたのはキルアの兄らしいが、実質彼女は家族から身売りされるような形で嫁ぐことになっているのだろう。


やがて、15分ほどあちこちを歩き回ったあと、不意になまえの身体は糸が切れたように脱力した。慌ててクラピカが支えたおかげで床に打ち付けられるようなことはなかったが、腕の中の彼女は今度こそ“眠っている”。

その寝顔は思っていた以上に安らかなもので、クラピカはほっと息をついた。哀れなものだと思えども、彼女とはまだ知り合って1日しか経っていない。さすがにこれ以上は深く事情に立ち入ることもできないし、そもそも今は試験中だ。クラピカにできるのはせいぜい彼女が危ない目に合わないよう見守るくらいのことだろう。

なまえを抱き上げたクラピカは、静かに元来た道を戻る。相変わらずレオリオはぐっすり眠りこけていて、いびきまでかいているくらいだ。

「何も心配せず、眠るといい」

彼女を壁に寄りかからせ、元のようにブランケットをかけたクラピカは小さくそう呟く。それから自身も明日の試験に備えて、再び目を瞑ったのだった。


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