- ナノ -

■ 25.柄にもなく

試験官いわく、二次試験は12時にならないと始まらないらしい。

ここまでたどり着けた受験者はだいだい3分の1というところか。走るだけならともかくも、湿原の生物たちは実戦経験が少ない者にはかなりの障害になったと考えられる。ヒソカが妨害したせいもあるだろうが、あれほどわかりやすい殺気を察知できずもたもたとしているような奴は、どのみちこの先の試験で落ちることになっただろう。
しかしそんな冷めた結論を下した理性とは裏腹に、キルアは残してきたゴンたちが気がかりで仕方なかった。

自分でもおかしいと思う。なまえのことはともかく、ゴンたちはほんのついさっき知り合ったばかりでどうなろうと知ったことではない。他に同い年くらいの子供がおらず物珍しかったから声をかけただけで、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
ゴンの身体能力はなかなか見どころがあったが、残ると言って聞かなかった状況判断の甘さには正直がっかりせざるをえない。あの場は逃げるのが正解だった。自分は間違ってない。頭ではわかっているのに、どうしても胸の奥がもやもやとする。

「ていうか、こんなもんでほんとに来れるのかよ……」

あの火急の場でゴンに渡されたのは、レオリオの鞄に入っていたオーデコロンのボトルだった。身だしなみかなんだか知らないが、わざわざ試験にこんなものを持ってくるレオリオもレオリオだし、匂いを追うから道しるべとして垂らしてくれと頼むゴンもゴンだ。とりあえず、約束通りキルアは定期的にコロンを撒いて走ったが、この広大な湿原においては数敵の香りがさほど役に立つとも思えなかった。


やがて、落ち着かない気分で霧の向こうを見つめていると、背の高い男のシルエットが浮かび上がる。ヒソカだ。奴が来ること自体にはさほど驚きはなかったが、その腕に抱えられたなまえの姿にさすがのキルアも度肝を抜かれる。他の受験者たちもざわめき、遠巻きにしつつも二人の関係を訝しんでいるようだった。
キルアも本当ならすぐにでも駆け寄りたかったが、結局なまえをおろしたヒソカが離れていくまで近づけなった。

「なまえ!」
「キルア!よかった、たどり着けてたんだね」

なまえもこちらに気付くと、あからさまに安堵した表情を浮かべる。捻ったらしい彼女の足首は青く腫れあがっていたが、それ以外で目立った怪我はなさそうだった。

「それはこっちの台詞だっつうの!どういうことなんだよ、なんでヒソカがなまえを運んでくるんだよ」
「実は私とヒソカはちょっとした知り合いでね。前に仕事を依頼したことがあるの。
 で、私が足を痛めているのを知った彼が助けてくれたってわけ」
「……あいつがそんな親切な奴には見えないけどな」
「まぁ、他人を蹴落としてなんぼの試験では、合理的な行動ではないね。でも、それはキルアもでしょ?」
「……」

なまえの視線が中身の減った香水の瓶を捉えていることに気付いたキルアは、なんとなく気まずい思いを味わう。しかし別になまえが責めているわけではないということくらい、ちゃんと理解はしていた。

「大丈夫。ヒソカはゴンたちを殺さなかったよ」
「……まあでも、この分じゃあいつらは脱落だろうな」

建物にかけられた時計を見る限り、時間はもうほとんどなかった。なまえが残っただけでもましだろう。
そう無理矢理思おうとしたとき、うぉぉおおお!やったらぁぁああ!という男の奇声が遠くの方から聞こえてきた。

「この声……」

思わずなまえと顔を見合わせ、すぐさま目を凝らす。霧の中に浮かぶ3つのシルエットがだんだんと濃くなり、その姿がはっきり見える頃にはキルアの胸は喜びに高鳴っていた。「ゴン!」自分でも無意識のうちに、彼の名を叫ぶ。

「キルア!」
「よっしゃ!やっと着いたのか!!」
「まさか本当に辿り着いてしまうとは……」

驚いているのはなにもキルアだけではなかったが、駆け寄ってゴンを捕まえ、その特徴的なつんつん頭を拳でぐりぐりといじめる。会場に着いたとわかったレオリオは、途端に地面に足を投げ出して座り込んだ。

「はぁ〜!!流石にもう駄目かと思ったぜ!」
「お前マジかよ、ほんとに人間か?信じらんねー!」
「レオリオのコロンが特徴的だったからだよ」
「いやいや普通無理だっつうの……」
「私もゴンの鼻は野生並みだと思うぞ」

ゴン以外の全員が呆れていたが、同時に興奮もしている。最初は落ち着いている印象を受けたクラピカでさえ、今は年相応に声が明るく弾んでいた。

「でもキルアが残してくれなかったらたどり着けなかった!ほんとにありがとう」
「いや、俺は別に……」

しかし気分が高揚していたのも束の間、ゴンにお礼を言われ、複雑な気持ちになる。ゴンは素直に感謝してくれているが、たとえそういう役割でなかったとしてもおそらく彼らを残して先に行っていたと思うからだ。キルアが一人で進んだのは自分の為であって、彼らの為ではない。仲間のために、脱落するどころか落命するリスクまで背負って、あの場に残ったゴンと自分は違うのだ。

「ところでなまえは?ヒソカと一緒に行くからって、オレたち別れちゃったんだ」
「え、あいつならさっきまでここに、」

しかし、沈みかけたキルアの思考は、ゴンの一言によって引き戻された。振り返ればいると思っていたなまえの姿が見えない。どこへ行ったんだ?ときょろきょろと辺りを見回したところで、突然地鳴りのような音が辺り一帯に響き渡った。

「な、なんだァ?」

時計を見ればちょうど12時。二次試験開始ということだろう。一斉に身構えた受験者たちの前に姿を現したのは、気のきつそうな若い女と山みたいな巨体を持つ男だった。どうやら今の音は男の腹の音だったらしく、説明によると彼らが次の試験官だそうだ。

「二次試験は料理よ!」

最初からなんでもありの試験だと聞いていたが、まさかの内容に受験者がざわつく。しかし初めのオーダーは豚の丸焼きというもので、さほど料理の腕自体は関係なさそうなのが救いだった。

「じゃあ豚を得るのが難しいってことなんだろうね」
「おまっ、一体どこから……」

試験官の話に気をとられていると、なまえがひょっこり現れて会話に参加してくる。キルアは思わず半眼になったが、元気そうななまえの姿を見てゴンたちも安心したらしかった。

「よかった、なまえも無事だったんだね!」
「うんありがとう。心配かけてごめん」
「つーかお前、どこ行ってたんだよ」
「ちょっとそこの川で手を洗ってきたの。ヒソカに触っちゃったし」

なまえは後方の森を指さすと、小さく肩を竦めた。仕事の依頼をしたことがあると言ったわりには随分と酷い扱いである。しかし、手を洗いたくなる気持ちはよくわかったので、キルアは「そういうときはなんか言ってから行けよ」と言うにとどめた。

「なんだぁ?姉離れできねぇってわけか?」
「そんなんじゃねぇよ。なまえは弱いから、いざってとき俺が守んなきゃなんねーだろ」
「はいはい、生意気なガキだと思ったが案外可愛いとこあんなぁ」
「だからそういうんじゃねぇって!」

にやにやしながら、ここぞとばかりにからかってくるレオリオが鬱陶しい。なんにも知らないくせに、と思う。なまえは確かにここにいる受験者の大半より高い身体能力を持っているだろうが、彼女を巻き込んでしまったキルアには彼女を守る責任があるのだ。だからさっきみたいになまえを置いて逃げるというようなことは二度としたくなかったし、あの時説得されて置いて行ってしまった自分にも正直腹が立っていた。

「私はちゃんとわかってるよ。キルアは心配してくれたんだよね」
「心配って言うか……」

「それより、なんだか変な音がするよ」

ゴンの耳が、獣のそれのようにぴくぴくと動く。確かにごく僅かだが、不規則に地面を踏み鳴らす音と身体に伝わる揺れが感じられた。
これは、この数は――

「あぁ、私も気になっていた。だんだんこちらに近づいてくるな」
「お、おい!あれって!」

レオリオが指さした先には、こちらに突っ込んでくる豚の大群が見えた。その数と勢いに気圧されて、何名かは悲鳴をあげて逃げ出す。しかしここにいる面子はみな、食材が向こうからやってきたことに喜色を浮かべたのだった。

「えっと、一人一頭やればそれでいいんだよね?」
「よし!やるか!」
「……なまえ、その足でいけるか?」
「うん、とりあえずやってみる」

ちらりと伺った彼女もまた、その表情に怯えなど一切見られなかった。確かに兄貴に脅されていたことに比べたら、今更あんな豚くらいどうってことないのかもしれない。

「無理そうだったらすぐ言えよ」

それでも、ちょっとくらいは頼ってほしい。
そんなふうに思ってしまうのは、幼い我儘なのかもしれなかった。

▲▽


試験終了の10分ほど前にやってきたヒソカとなまえは、その組み合わせと格好のせいで馬鹿みたいに目立っていた。
いや、ヒソカが目立っているのは元からなので、どちらかと言えばそのヒソカに姫抱きにされていたなまえのほうに注目が集まっている。当然、あちらこちらで二人の関係を訝しむ声が聞こえてきて、イルミは”ギタラクル”の仮面の下で眉をひそめた。

うまくヒソカに利用されたことも癪だし、あの分ではヒソカはこれからもなまえにちょっかいをかけ続けるだろう。ひとまず彼女がちゃんと二次試験会場までたどり着いたことには安堵したが……。

そこまで考えたイルミは、安堵?と首を捻った。確かにほっとはしたが、それは正確な表現ではないだろう。自分の計画に綻びが出るのが嫌だっただけだ。
もしもここであっさりなまえがヒソカに殺されたりしたら、今までのイルミの努力や労力が水の泡である。仮に殺されなかったとしても、脱落されるようなことがあればせっかくかけた保険の意味がない。

イルミはその場にとどまって、なまえに駆け寄るキルアを観察していた。そう、結局のところなまえは保険でしかなく、あくまでイルミの本命はこちらである。流石にただ走るだけの試験はゾルディック家の教育を受けた者にとっては簡単すぎたようだが、どうやら一緒に走っていた奴らのことも気になるらしく、キルアは未だにどこかそわそわしている。

イルミは弟のそういうところが”異質”だと思っていた。あれほどの才能が有りながら、暗殺者として恵まれた環境にいながら、どうして未だに甘さが捨てきれないのだろう。どうして他者を気に掛けるという発想が生まれるのだろう。イルミは自分がそう育てられたように、キルアに対してもしっかり”闇人形”の教育を施した。他に影響を受ける隙などなかったはずなのに、あれは生まれ持っての性格なのだろうか。

試験終了間際に滑り込んだ彼らに見せたキルアの笑顔は、ごくごく普通の子供のように見える。イルミはそれが気に入らなかった。あれは”普通の子供”なんかじゃない。ゾルディック家の後継ぎとなる、”選ばれた子”なのだから。

ざわめく心を抑え込むようにして、イルミはキルアの意識がそれた隙に自身の指輪へ念を込める。そして痛みに反応したなまえがこっちを振り向いたことを確認すると、そのまま森の奥のほうへと進んだ。


「なんなの?ヒソカに関わったのは不可抗力なんだけど」

死角になりそうな木の陰で立ち止まれば、察したなまえが不満げな顔を隠しもせずついてくる。すぐ傍には小川が流れ、先ほどの湿原とは正反対の麗らかさの中、二人は向き合った。

「それはもういい。それよりキルアの様子は?」
「ずっと見てたでしょ」
「怪しまれてないかって聞いてるんだよ。あと、あの周りの奴らは何?」

キルアに余計な交流は不要だ。そんなイルミの想いが伝わったのか、なまえはますますうんざりしたような表情になる。彼女は生意気に腕を組むと、睨みつけるようにしてイルミを見上げた。

「怪しまれたくないなら、こんな風に呼び出さないでくれる?キルアには私が監視役として使われてるとは伝えたけど、あなたがいることは言ってないの。
 それからあの周りの子たちはたまたま知り合っただけ。キルアもちゃんと見捨てて先に到着してたでしょ」

それは投げかけた質問に対する簡潔な答えだったが、腹立たしく感じるのはなぜなのだろう。イルミが黙っていると、なまえは満足したか、とでも言わんばかりに小さく鼻を鳴らす。
実際、イルミにはもう他に聞きたいことはなかったのだが、そこでふと、彼女が不自然に重心をずらしていることに気がついた。

「足は?」
「え?」

その質問は、ほとんど無意識のうちに口から出たものだった。だから、目を丸くしたなまえに見つめられて、そこでようやくイルミはハッとする。しかし今更口に出した言葉は取り消せないので、きまりの悪さを押し殺しながら彼女が答えるのを待った。

「……少し痛むけど、一次試験みたいに走りっぱなしとかじゃない限り大丈夫だと思う」

彼女の方も不意打ちの質問だったからか、戸惑いつつも素直な返事をよこす。心なしか先ほどの険しさも薄れ、キルアといるときのような素の表情だ。

「そう」

まさか、彼女はイルミが心配したとでも思ったのだろうか。そうだとしたら勘違いも甚だしい。なまえのことなんか、心配するはずがない。足の状態を聞いたことには他意などなく、ただ目についたから口にしただけだ。
イルミは自分でもよくわからないまま無性に腹が立って、声色に棘を含ませる。いつもみたいにただ淡々としていればよかったのに、なぜだか攻撃的にならざるを得なかった。

「これ以上足手まといになられたら困るからね。ライセンスもあれば便利だし、わざと落ちたりしたら……わかってるだろうね?」

キルアにライセンスはまだ早いと思うが、できればなまえには今回で取らせたいと思っている。流星街出身の彼女には戸籍や身分証明がないので、結婚するのにもいちいち手間がかかるのだ。いくら金さえだせば身分なんて偽装できるとはいえ、ハンターライセンスほど保証されたものではないし、取れるものは取るに越したことがない。

しかしイルミの言葉を聞くなり、なまえはまたあの仏頂面に戻った。「あぁ、そうだね」一応従うつもりはあるようだが、投げやりな口調は相変わらず反抗的だ。

「私もバレないようにするから、そっちも今後接触は控えて。ヒソカだけでも嫌なのに、あなたみたいな不気味な男と関わりがあるって絶対思われたくない」

なまえは吐き捨てるようにそう言うと、踵を返して去っていった。
おそらく、不気味と称されたのはこの変装のことなのだろうが……。

「そんな言うほど変じゃなくない?」

ちょうど近くを流れていた川に自身の変装である“ギタラクル”を映したイルミは、腑に落ちない、と一人で首を捻った。


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