- ナノ -

■ 23.事故死の想定

薄暗い地下トンネルの中を、試験官に追走する形で始まった第一次試験。
今年はまず純粋な体力から問うつもりのようだが、本当にただ直線を走っているだけなので周りの受験者にちょっかいをかけるにもなんだか面白味に欠ける。
ヒソカはとりあえずの暇つぶしのつもりで、集団の中でもひときわ目立つ格好をしている、イルミ扮するギタラクルの傍へ近寄って行った。

「キミの婚約者、すっかり弟くんを懐柔してるみたいだねぇ」
「……」

ほんのちょっとした世間話のつもりだったが、イルミからの返事はない。別に変装中は喋れないというわけでもないだろうに、彼はただ真っすぐ前を向いたまま、黙ってペースを早める。もちろん、ヒソカはそんなくらいで諦める男ではないので、まるで無視された事実などなかったかのように悠々とイルミの横に並び続けた。

「でも今年はラッキーだなぁ。キミが受験するってだけでも面白いのに、キミの愛する二人も一緒だとはね」
「……目立つから話しかけないでくれない?」
「ボクが話しかけなくても充分目立ってるよ、キミ」

もっと他にもあったと思うのだが、いかんせんイルミのセンスは理解しがたい。あちこちで新人に怪しげなジュースを配り歩いていた男から声をかけられていないのが何よりの証拠だろう。かくいうヒソカも、初参加となる去年の試験でジュースをもらえなかったくちなのだが。

「ていうか、オレはなまえが嫌いだって言ってるだろ」

しつこいヒソカに根負けしたのか、はたまた周りから遠巻きにされているせいで喋っても大丈夫だと思ったのか、イルミはその姿に似つかわしくない声で話し出す。彼から今年の試験を受けると連絡をもらったときは、へぇ、としか思わなかったヒソカだが、続けて一緒に受ける弟に手を出すな、なまえにも構うな、と言われて随分と驚いたものだ。
そして相変わらずイルミはなかなか詳しいことを教えてくれなかったものの、それでもなんとか”弟が家出した”ことと”なまえは弟の監視であること”、それから”イルミがさらにその二人を監視している”という面倒臭い状況を聞き出すことには成功していた。

「嫌いなら結婚しなきゃいいのに。結局弟くんも家出したってことは、やる気が出たのも一時的なものだったってことだろう?」
「なまえのことは母さんも気に入ってる。試験が終わったら籍を作って入れる予定だし、今更簡単にはやめられないよ」
「へぇ、じゃあ試験中にボクが殺そうか?毎年死者が出るハンター試験だし、事故なら、」
「お前も事故死したいの?」

せっかく親切心で言ったのに、というのはまるきり嘘だが、ヒソカの出した提案にイルミの殺気がぶわりと滲む。比較的近くを走っていた受験者たちが顔を青くして膝をついてしまったのを尻目に、ヒソカはやれやれと肩をすくめた。

「どうせ彼女の念がある限り、そう簡単には殺されないだろう?ボクも少しくらい遊んだっていいじゃないか」
「キルの監視の邪魔になる」
「そうやって大事に隠されると、余計に興味湧いちゃうんだけどなぁ」

手伝うだけ手伝わされて、前回の件がどうなったのか結局ヒソカは知らないままなのだ。なまえの念がどのようなものなのかもはっきりわかっていないし、もっと言うならあれほど手こずっていた彼女をどうやって支配下に置いているのかも謎である。彼女の念がもし”入れ替わり”なのだとしたら、殺すよりも拘束するほうが難しいはずだ。あれだけイルミのことを嫌っていた彼女が、大人しく結婚を受け入れるはずがないのだから。

「お前になまえたちのことを伝えたのは、余計な詮索をさせるためじゃないんだけど」
「そうなのかい?でもキミが教えてくれないから、自分で調べるしかないみたいだね」
「ヒソカ、」
「悪いけど、キミといると目立つから先に行くよ」

仕返しとばかりにそう言ってヒソカはイルミを置き去りにしたが、ヒソカと違ってイルミがしつこく後を追いかけてくるようなことはなかった。が、明らかに、今の会話を不満に思っていることだろう。

今年は楽しい試験になりそうだ、とヒソカは早くもにやにやを抑えきれなかった。


▲▽

この世で最も気高い仕事――それが、クラピカがハンターという職業に対して抱いているイメージである。
そのため、今は同胞の仇を討つために賞金首ハンターを志望してこそいるが、そうでなくてもいずれは目指した道だったのかもしれない。

クラピカは走りながら、周りの受験生の様子を観察する。既に走り始めて4、5時間は経過しただろうか。後続の方のことはわからないが、少なくとも周囲では誰一人として脱落していない。
ここまで、嵐の中の船旅からゴンとレオリオと協力してやってきたが、改めて世間は広いのだと思い知らされる。「おいゴン、見ろよ、階段だぜ」特に、先ほど知り合ったばかりのキルアという少年は、明らかに表の人間ではない独特な雰囲気を纏っていた。

「ほんとだ!全く上が見えないや!」

二人の少年はそう言いつつも、全くそのペースを落とさない。ゴールをあえて告げないことで精神力をも試す試験だとは予想していたが、この階段には流石のクラピカも少しは気が滅入るというものだ。隣のレオリオはなりふり構わず何としてでも、という気概を見せているが、自分も見習ったほうが良いのかもしれない。気づけば、ゴンとキルアとはかなり差が広がってしまっていた。

「いいのか?キルアとはぐれてしまって」

クラピカはクルタの伝統衣装を一枚脱ぐと、肩からかけていた鞄にしまって汗を拭う。それから、元はキルアと一緒に走っていたらしいなまえという女性に向かって話しかけることにした。

「え、あぁ、うん。前にいてくれる分にはね。あの子、これくらいじゃ落ちないだろうし」

正直、年の近いゴンとキルアが仲良くなっただけで、彼女と並走しているのは成り行きでしかなかった。しかし、一応の自己紹介を済ませた仲なのに、二人がいなくなったからと言っていきなり無視をするのも礼儀に反する行いだろう。見たところ、彼女はまだ余裕がありそうなのでキルアについていくこともできただろうに、特にスピードを上げるような気配は見られなかった。

「ちくしょー、若いやつらは元気が有り余ってて羨ましいぜ!!」
「年齢だけの問題ではないと思うが……」

ゴンも並外れた体力を持っているが、キルアはそれ以上に軽い身のこなしをしている。何より先ほどまで一緒に走っていて、キルアからは当然するべき足音がしなかった。あの年齢で一体どういう鍛え方をしたのか、とりあえず普通ではないということだけは理解できる。
そして、なまえとキルアの関係も謎だった。二人の雰囲気はかなり親密そうであったが、友人というには年齢差がある。何より受験番号が99番と107番で開きがあることから、一緒に受験しに来たというわけでもなさそうなのだ。

「そういやよぉ、二人はどういう関係なんだ?姉弟にしちゃ似てねーし」

しかし、クラピカが最終的に詮索はよくないだろう、と自己完結をした傍で、レオリオはストレートに質問をぶつけた。相変わらずこの男は!と咄嗟に非難の視線を向けたクラピカだったが、レオリオはなんだよ、と睨まれた意味すらわかっていない。一方、当のなまえはというとこちらのやり取りを見て苦笑していた。

「あー、うん。確かに血は繋がってないよ。一応義理の姉弟になる、のかな……」

ほらみろ、言わんことではない!
再び非難めいた視線を向けたクラピカに、さすがのレオリオもたじろく。「……わ、悪ィ。まぁ人には色んな事情があるよな」自分なんて船で志望動機を聞かれただけであれほど過剰反応していたくせに、よく知り合ったばかりの他人の事情に首を突っ込めたものだ。
しかし、うなだれるレオリオの様子に、今度はなまえのほうが慌てだした。

「えっと違う!連れ子同士とか、孤児同士とか、そういうんじゃなくて。私がキルアの兄の婚約者なの」
「なるほど、それで義理の姉弟か」

確かによく見れば、彼女の左手の薬指には銀色の指輪が光っている。義理の姉として交流があるのなら、キルアとの親密さも納得だった。というかむしろ”義理”という言葉だけでこちらが深読みしすぎたのである。自分が暗い過去と強い意志を持ってハンター試験に臨んでいたからこそ、彼女にも何か深い事情があるのではという先入観が働いてしまったようだ。

「てか、よく許したなその男。こんなむさい男ばっかのとこに、婚約者を行かせるなんてよ」
「自分がそのむさい男という自覚はないのか」
「あぁ?こんな爽やかな男前ほかにいねぇだろ!見ろよこの流れる汗!」
「どうも貴様とは爽やかの定義が異なるらしい……」

クラピカが軽く頭痛を覚え始めたところで、なまえがとうとう我慢できなくなったのか噴き出す。あはは、と声をあげて笑う彼女は、初めに受けた印象よりもずっと幼さが増して見えた。

「その婚約者に受けて来いって言われたのよ。キルアの付き添いも兼ねてね」
「それはまた無茶苦茶な。死人も出るっつう噂もあんのによ」
「まぁ向こうは親のために結婚するようなものだし、私が試験中に死んでくれたらラッキーくらいに思ってるんじゃない?」
「な、なんて男だ!おい、なまえ、悪いことは言わねぇからそんな男やめとけ!」
「やめたいのはやまやまなんだけどねー」

それこそ色んな事情があるというものだろう。なまえの表情からすっと笑顔が消えたので、それ以上深く聞くことは躊躇われた。やはり、誰でも何かしらの事情は抱えているようである。彼女は一瞬訪れた沈黙にハッとすると、すぐに元のようににっこり笑って見せた。

「なんかごめん。でも私、婚約者のことは嫌いだけど、キルアの義姉ってのは悪くないって思ってるんだ。お義父さんやお義母さんも優しいしね」
「確かに、キルアはとてもなまえに懐いているようだ」

本人の性格もあるだろうが、少し話した印象だけでキルアが生意気盛りであることはよくわかる。あのくらいの年齢で、しかも年の離れた異性とくれば少しぎこちなくもなりそうだが、なまえに対するキルアの態度は実姉といっても不思議でないくらいだった。

「懐いてくれてるのかな……。まあでも、あの子もゴンみたいな同い年くらいの子と会えてよかったなーって思って見てたんだ」
「そうだな、きっとゴンも友達ができて喜んでいる」

付き添いと言ったなまえがキルアを追いかけなかったのは、きっと二人の邪魔をしたくなかったからなのだろう。そう思うと今まで成り行きで共に走っていた彼女にも、いくらか親しみが湧く。彼女のキルアを思う気持ちは本物だと感じたからだ。

「友達か……うん、そうだね」

しかし、友達と呟いたなまえの表情は、僅かながらに陰っているようにも見えたのだった。

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