- ナノ -

■ 22.保険

なまえがイルミの部屋に来るのは正真正銘これが二回目であったが、今回ばかりは彼女の意思ではなかった。その証拠に部屋には重苦しい雰囲気が立ち込め、先ほどからなまえの警戒が痛いほどに伝わってくる。
イルミはこつこつ、とあえて足音を鳴らすと、だだっ広い部屋の中をぐるりと一周してみせた。

「キルはどうやらハンター試験を受けに行ったらしくてね」

まるで世間話でもするような調子で紡がれた言葉に、なまえは何の反応も示さない。
驚かないというのはつまりそういうことだ。もう少しわざとらしい演技でもするかと思ったが、さすがに無駄だとわかっているらしい。
なまえの正面で足を止めたイルミは、少し身をかがめて彼女と視線を合わせた。

「そそのかしたのはお前かい?それとも、オレに脅されてるんだってとうとう泣きついたの?」

なまえの性格上、キルアどころか誰にも頼らないであろうことはわかりきっている。だからおそらくこれはキルアの独断。

「……そうだとしたらなに?人質として役立たずの私を殺す?」

だが、健気にもなまえはキルアを庇う気でいるのか、まっすぐにこちらを睨み返してきた。彼女の瞳に自分だけが映っているのがわかり、思わず口角が上がりそうになる。

「ううん、チャンスをあげる」
「は?」
「実はオレも偶然、仕事の関係上ライセンスが必要でさ、ハンター試験を受けに行くんだよね」

実際、仕事で資格がいるのは嘘ではなかった。だが、本当の本当に偶然かというとそうでもない。
入籍の話が出てなまえが取り乱したあの日、イルミはキルアがこちらに向かってきていたことに気が付いていた。その後二人がどこかに行ったのもわかったし、なまえのあの様子からしてキルアに現状を話したであろうことも予想がつく。

ではなまえが脅されているとわかったら、キルアならどうするか。
責任を感じて大人しく訓練に集中するような性格なら、家族の誰もここまで手を焼かなかっただろう。
キルアならば必ず行動する。おそらく、囮を買って出る。正面から立ち向かってなまえを庇うことができないのなら、家を出るなりなんなりしてイルミの注意を自らに引き付けることくらいしかできないはずだ。

そしてここで、ミルキが記録として残しておいたなまえの映像や音声が生きてくる。イルミが異変に気付き、本格的に対処を始めるまでの数か月間、その間に距離を縮めたらしいキルアとなまえの会話に出てきた場所など限られていた。特に、キルアが興味を持ちそうな場所、自活するにあたって必要な物が手に入る場所、そして最も有益な情報だったのが家出をした時期。
ここまで揃えば、わざわざ答え合わせはするまでもなかった。


――ザバン市。

確かな筋の情報では、そこが今年のハンター試験の会場となるらしい。
全てのスケジュールが完璧に管理されているゾルディック家において、偶然資格を持っていなかったイルミに要資格の仕事が回ってくるはずもない。このタイミングで資格を取るつもりで、イルミ自らミルキに調整するように言ったのだ。

全てはキルアのハンター試験とぶつけるために。
いつか絶対に逃げ出すだろうと思っていた弟の心を、徹底的に折るために。

そしてイルミはついでにキルアとなまえの仲も割くことができればよい、と考えていた。何も訓練に集中させることだけがなまえの役割ではないのだ。キルアの友情への希望をぶち壊せるだけで、実に十分な働きと言える。
だからこそ失敗を取り戻すチャンスとして、こんな提案をした。

「なまえには一緒に試験を受けに来てもらうよ。それがお前にできる責任の取り方だ」

キキョウからはキルアの様子をそれとなく見てくるようにと頼まれたが、実質それは連れ戻せということだろう。
相手が来る場所がわかっている以上、この捕獲は実に簡単なミッションだった。しかし一方で、万一、試験中にイルミの存在がバレた場合、キルアが試験を棄権して逃亡を図る可能性がある。また、ハンター試験の内容は試験官に大きく左右されるので、まだ発展途上のキルアが途中で落ちてしまう可能性だってないとは言えなかった。

「私が行ってどうするの。説得なんて聞かないよ、あの子」
「ただの監視さ。さっきも言ったけど、オレは仕事の都合上、試験を最後まで受けたい。お前はキルアが棄権したり脱落したりしたとき用の保険だよ。だからもちろん、オレが参加していることをキルに伝えてはいけない。わかったね?」
「……キルアを裏切って、スパイになれってこと?」
「へぇ、随分と物わかりが良くなったじゃないか。
 そうだよ。試験中、オレがいつもキルの側にいられるとは限らない。お前なら警戒されずに近づけるし、最悪キルが試験を降りたらお前も降りて監視を続けろ」

たとえ試験会場でなまえに会っても、脅されているなまえの立場を考えるキルアは邪険にはしない。それどころかせっかく家から出られたのだからと、なまえと逃げることを選ぶだろう。

なまえにはライセンスが逃亡に役立つと吹き込ませ、キルアに試験を続けさせる。仮にキルアが脱落した場合、なまえも共に脱落させ、キルアの監視に当たらせる。あとはイルミの合格が確定した時点でキルアを連れて帰ればよかった。我ながらなかなかいい計画を立てたものだと思う。
イルミの話を珍しくじっと聞いていたなまえは、ややあって仄暗い瞳でこちらを見上げた。

「……嫌だって言ったら殺してくれるの?」
「その気になれば念を遣って自殺もできるでしょ。死ぬまでかなりの苦痛に耐える必要はあるけどね」
「……」
「それにしても、なまえがキルのことをそこまで想ってくれるなんて意外だな。自己犠牲が過ぎるのはそっちなんじゃないの?家族でもないのにさー」

初めは死ぬのが怖いから言うことを聞いているのだとばかり思っていたが、どうやら理由はそれだけではないらしい。この家にやってきたときから、なまえはずっとイルミ以外の家族のことを愛している。それがなぜなのかはわからなかったが、イルミにとって都合がいいことに変わりはなかった。

「でもなまえが自殺なんてしたら、キルはそれこそ責任を感じるだろうね。あれは繊細なところがあるから心を壊してしまうかもしれないよ。
 ま、どのみちお前がキルを裏切る形になるから、オレはどっちだっていいんだけどね」
「……」

イルミがそうやって煽っても、なまえは何も返事をしなかった。けれどもイルミには、彼女が自殺なんてしないだろうという自信があった。
なまえは短絡的に命を捨てる女ではない。メリットや目的があれば話は別だろうが、今みたいに損でしかない状況なら苦い肝を嘗めてでも好機を待つはずだ。

「それじゃあ出発は2週間後だよ。せいぜい頑張ってね」
「……わかった」

やはり彼女と自分はよく似ていると思う。
イルミはなまえの返事に満足すると、いつものように仕事へ向かった。


▲▽

ここはザバン市ツバシ町2-5-10。厳密言えばその地下なのだが、少なくとも定食屋”めしどころゴハン”の住所はそうである。

今年のハンター試験会場がザバン市であるというのは、そこそこの頭を持つ者なら誰でも手に入れられる情報であった。これは家出後に知ったことだが、ご丁寧にハンター試験応募カードというものがあるらしい。しかもキルアのような年齢の子供が受ける為には誰かしら大人の同意印が必要であり、これを用意するには少しばかり手間もかかった。

しかし応募カードと大まかな場所の情報を手にしても、実際の会場にたどり着くのは容易ではない。ここへ来るまでの道のりにも既にいくつか試されるような機会があり、受験者の動機や知性、判断力によって事前にある程度ふるいにかけているようである。

キルアも先ほど、ひったくりに遭った老婆から一枚のメモを受け取ったばかりだった。彼女の身のこなしは明らかに普通の老婆のそれではなかったので、正直キルアが助ける必要はないように思われた。
が、これも試験の一環かもしれない。そう思って犯人の男を捉えたところ、見事ビンゴだったというわけである。その後、足を痛めたという老婆を背負ってなんだかんだと良いように使われたり、素性を探られたりもしたが、キルアはとうとう試験会場の正確な場所とそこへ入るための”合言葉”を手に入れたのだった。


「ハンター試験会場へようこそ。こちらが受験番号の札になります」

豆のような姿かたちの男から99番のプレートを受け取ったキルアは、それをわかりやすく左胸につけた。それから期待込めて周囲にいる男たちを見回したが、すぐになんだか聞いていたよりもくだらなそうだ、と拍子抜けする。
なまえがあれだけ難関だと言っていた試験なので、てっきりもっとレベルの高い受験者ばかりなのかと思っていたのだ。唯一、44番のピエロのような恰好をした男からは嫌なものを感じたが、後は時折家にやってくる賞金狙いの奴らと同じレベルかそれ以下だ。楽な分にはいいはずなのだが、どうしてもがっかりした気持ちは隠せない。

なまえとは半ば喧嘩別れのような形で家を出てしまったキルアだったが、ハンター試験を受けに来たのには二つほど理由があったのだ。

一つはこれから自活するにあたって必要な金と身分。金に関しては、過去過ごした天空闘技場でも良かったのだが、あそこは一般客向けにも試合が公開されているし下手に有名になれば簡単に足がついてしまう。かといって暗殺家業が嫌で家出した以上殺しで金を稼ぐのも本末転倒だし、世間的にはただの12歳の子供でしかないキルアが普通に働くのは難しい。そういうわけでハンターライセンスはキルアにとって好都合だった。

そしてもう一つは、なまえに認めてほしかったからだ。彼女が難関だと言っていた資格をとれば、彼女も少しはキルアを頼る気になるだろう。未だ具体的な案は浮かんでいなかったものの、キルアはなまえをあの兄から助けたかった。
だからこの試験に合格することは、あの家から自分となまえを解放するための第一歩なのである。


「やぁ、見ない顔だね。ハンター試験は初めてかい?」

キルアが辺りを見回していると、先ほどからずっとこちらを見ていた男が話しかけてくる。今のところ子供の受験者はキルア一人だったが、どうやら男が話しかけてきたのは物珍しさからだけではないらしい。「……なんだよ、おっさん」殺気も込めずに軽く睨んでやれば、缶ジュースを片手に持っていた男はぐっ、と詰まった。

「お、おっ!……コホン、まぁいい。オレはトンパ。もう35回も試験を受けてる、いわばベテラン受験者ってやつさ。わからないことがあれば何でも聞いてくれ」
「へぇ、じゃあ聞くけど、なんで35回もやってて受からないワケ?」
「っ、そ、それはほら、それだけ試験が難関だってことだよ。合格率は数10万分の1。君みたいなルーキーは3年に1人受かればいいほうさ」
「ふぅん」
「ま、命さえあれば俺にみたいに何度だって受けられる。これはお近づきのしるしさ、互いの健闘を祈ってカンパイしよう」
「さんきゅー」

こいつの目的は結局のところこれを飲ませることだろう。そこらの毒なら効かない自信のあるキルアはありがたくジュースで喉を潤したが、同時にあまりのレベルの低さに辟易する一方だった。
その後まだ色々とこちらを探ろうとしてくるトンパをかわして、キルアはひと眠りしようとする。そんなとき、エレベーターが降りてきてまた受験者がやってきた。

「この気配……」

驚いて入口の方を見れば、紛れもなくなまえである。不安そうにきょろきょろと周りを見回しており、早速あのトンパとかいう男が話しかけに行くのが見えた。「やぁ、見ない顔だね。ハンター試験は初めてかい?」下手なナンパでももう少しひねりを加えるだろうに、定型文を口にしたトンパを押しのけるようにしてキルアは素早く前に進み出た。

「あー、こいつ俺の知り合いだから。そのジュース渡しとくし、あっち行っててくんない?おっさん」
「な!俺はおっさんじゃなくてトンパだって」
「わかったわかった、ほら寄越せって」

強引にトンパの手からジュースをもぎ取り、ついでに睨みをきかせれば憤っていたトンパもそそくさと逃げ出す。ほんとにくだらない。35回も受けて落ちるのも納得の情けなさだ。
なまえはキルアを見て表情を明るくしたのも束の間、急に神妙そうな表情になった。

「あの……キルア、」
「いいって、なんでなまえがここにいるかはだいたい想像がつくからな。どうせイル兄の命令なんだろ」
「うん」

手にしたジュースはまたもやキルアの腹の中に納まった。もしかするとなまえもゾルディック家の食事を平気で食べていたし、大きなお世話だったかもしれない。しかし喉が渇いていたのも本当だった。

「キルアが試験受けてること、残念ながら家には筒抜けだよ。それで責任とって連れ戻して来いって言われたの」
「あーまぁ、そうだろうな。でもなまえが来たのは好都合だぜ」
「どうして?」

なまえはキルアの反応に、意外だと言わんばかりに目を丸くする。「私、キルアを連れ戻しに来たんだよ?キルアが嫌がってるのわかってて、それなのに自分可愛さにここへ来たんだよ?怒らないの?」彼女が複雑そうな顔をしていたのは、罪悪感に苛まれていたかららしかった。

「仕方ねーだろ、脅されてんだから。だいたいなまえが俺を力づくで連れて帰れると思ってんのか?」
「それは……」

正直言って無理だ。悪いがキルアから見て、なまえはそれほど強くない。さすがにここにいる男達よりは優れているだろうが、幼い頃から訓練を受けてきたキルアとは比べるのも酷だろう。イルミがなまえを寄こしたのは、おそらくキルアとなまえの両方に対する嫌がらせだ。自分が何か他の仕事で手が離せないとか理由があって、とりあえずの監視としてつけたのだろう。ついでになまえの説得でキルアが帰宅すれば万々歳といったところか。

「報告の手段は?」
「定期的にメールを送る。それから証拠にキルアの写真も……」
「わかった、それは協力してやるよ。だけど俺は家になんて帰らねーからな」
「じゃあなんで協力なんて、」
「なまえも一緒に逃げようぜ。家出の時は俺一人で出るだけで精一杯だったけど、なまえにしたって外に出られたのはチャンスじゃん。
 俺、なまえがうちに住むようになってから外出してんの見たことねーし、どうせそれもイル兄のせいなんだろ?」

迷う様子を見せながらもなまえははっきりと頷いた。それを見てじゃあ決まりな、と手を打ったキルアも内心でなかなかに悪くない状況だとほくそ笑む。
なまえの報告を逆に利用すればイルミを撹乱できるし、この先のハンター試験がどこで行われるのかはわからないが、受験者以外が簡単に横槍を入れられるような環境ではないだろう。いくらあの兄でも、弟の家出くらいでハンター協会と揉めるような真似はしないはずだ。

「あ、でもなまえ、途中で試験落ちんなよ。そうなったらこの計画はパーだぜ」
「頑張ってはみる」
「なんだそれ、頼りねー」

口ではそう言ったものの、キルアはいつもの調子でなまえと話せるのが嬉しかった。ライセンスをとった後は、彼女と二人で気ままに旅するのもいいかもしれない。もしも家族が追いかけてきたら、その時は逆に捕まえてやろう。きっといい値段で売れるに違いない。

「あー、早く始まって早く終わんねーかな、この試験」

キルアは12歳らしい楽観的思考で、退屈そうに呟いた。

[ prev / next ]