- ナノ -

■ 16.利用価値

あの日以来なまえが来なくなって、ゾルディック家はようやく本来の落ち着きを取り戻した。
相変わらず父や祖父は仕事に明け暮れているし、イルミ自身も仕事や弟たちの訓練につき合うだけで日々が過ぎてゆく。仕事以外の用事で外出することもなければ、家庭内で誰かに苛立たされることもない。

実に穏やかで、これまでとなんら変わらない日常だった。たまに身の程知らずの賞金首狙いが訪れたりはしていたようだが、正式に本邸を訪れるような客人はいないし、この家にいるのは家族と雇っている執事だけ。

しかし表面上は変わらなくても、皆の記憶からあの女が消えたわけではない。特に、彼女と別れの挨拶を交わしたわけでもなく、経緯を知らないキルアからしてみれば、単になまえが追い出されて来なくなったという結果だけが残るのだろう。
イルミが食事の席で派手に糾弾したこともあり、今更彼女が自分の意思で出て行ったのだと言っても信じるわけがなかったのだ。


「キル、またゲームかい?」

イルミがふと思い立ってキルアの部屋を訪ねれば、振り返った弟は露骨に顔をしかめた。「……ノックくらいしろよ」訓練はもう終わったので別にゲームをしていること自体を咎めるつもりはないのだが、最近のキルアは何かと自室に引きこもりがちだ。家族の誰ともコミュニケーションをとろうとしないし、なにせうちには次兄という前例がいるので少し心配でもある。

イルミはキルアの言葉を聞き流すと、そのまま部屋に足を踏み入れる。テレビ画面に映し出されたものを覗き込んで見ても、さっぱり何がなにやらわからなかった。

「なに、なんか用?今日の訓練は終わりだろ」
「別に用ってほどじゃないよ。ただ、久々に兄弟で過ごすのも悪くないと思ってさ」
「はぁ?」

そう言って隣に腰を下ろすと、キルアは信じられないものでも見たかのような表情になる。確かに忙しさに加えて年齢差もあることから、一緒に遊ぶということはなかった。もちろんキルアが小さい頃は遊んでやったりもしたが、所詮それも子供の相手をするという意味でしかない。イルミが近くに置かれていたコントローラーを握ると、ますますキルアは怪訝な顔をした。

「マジで言ってんの?」
「うん。ミルとはよくやってるよね?」
「……イル兄、ゲームなんてできんのかよ」
「教えてくれればできるよ」

−−たぶん。

正直、イルミはゲームなんてろくにやったことがなかった。最初の子ということで両親も教育に力を入れていたし、イルミ自身、そうした娯楽には大した興味をそそられなかった。今だって別にゲーム自体がやりたいわけではなく、この場に留まる口実が欲しかっただけ。もっと言うなら、監視カメラの映像でなまえとキルアがゲームをしていたのを思い出して、なんとなく張り合いたくなっただけだ。
余所者のあの女がキルアとゲームをするのなら、兄である自分がしてはいけないはずがない。

キルアはイルミに諦める気配がないのを悟ったのか、渋々といった感じで二台目のコントローラーをゲーム機に接続する。キルアは積極的になまえをゲームに誘っていたので、本心では一緒に遊べる相手が見つかって嬉しいはずだ。どこか態度がぎこちないのは、きっと照れ臭いのだろう。

「……とりあえず、好きなキャラクター選んで。Aで決定」
「うん」
「これ対戦格闘ゲームだから。上の緑のゲージがライフで、敵のライフをゼロにした方が勝ち。十字キーで移動で、Xでパンチ、Aでキック。ガードは後退させるとできる」
「わかった」

何やら他にも色々なボタンがついているが、ひとまず基本操作だけわかればいい。イルミが適当にキャラクターを選択すると、カウントダウンの後にすぐに戦闘が開始された。

キルアのキャラクターは、ホウキを逆さにしたような髪型の軍人の男だった。ボクシングのような構えをとっているし、おそらく近接戦闘タイプだろう。相手の手の内がわからないうえに、こちらは初心者。まずは相手の出方を見ようと少し下がったときだった。

「え、待って、今の衝撃波みたいなやつなに」
「ソニックムーブ」
「……格闘ゲームなんだよね?」
「あー。電気纏ったり、超能力使ったりもするから」

説明しながらも遠距離から次々と衝撃波を飛ばしてくるので、イルミはとりあえずタイミングを合わせてガードをする。格闘ゲームというから、てっきり純粋な肉体による戦いを想像していたが、念能力でのバトルのように実際はなんでもありらしい。

「ガードしたって、必殺技はノーダメじゃないぜ」
「みたいだね」

とりあえず、近づかないことには始まらない。衝撃波の間を縫ってジャンプをし、キルアの操作キャラとの距離を一息に詰める。しかし放ったキックはあっさりとガードされ、代わりに連撃を食らった。どうにかして逃れようとするのだが壁際へと追い詰められ、一度ダウンしてしまうとそこからは殴られ放題だ。

「はい、俺の勝ち」

結局、あっという間にライフを減らされ、イルミのキャラクターは敗北する。圧倒的な経験と実力の差だ。こればかりはどうしようもない。

「もういいだろ」

キルアは肩をすくめると、視線を画面からこちらの方に向けた。

「もう一回」
「無理だって。イル兄と俺とじゃ勝負になんねーよ。やっても面白くないだろ」
「今のは初めてだったから。何回かやればコツが掴めるよ」
「……いつもは勝ち目のない敵とは戦うなって言うくせに」
「はは、キルも言うようになったね」

これは一本取られたな、とイルミは少し愉快な気持ちになったが、キルアのほうはにこりともしない。相変わらず、戸惑いと不機嫌が一緒くたになったような表情をしていたが、ややあってゆっくりと目を伏せた。

「……あのさ、もしなまえの真似をしようとしてんなら、そういうの気持ちわりぃからやめろよ」
「真似?」
「だっておかしいだろ、兄貴が俺とゲームなんて。柄じゃねーし」
「そうかな?他人とゲームするより、兄弟でやるほうが自然だと思うけど」

「やっぱ、イル兄がなまえのこと追い出したんだ」

キルアが呟いた言葉が、やけに反響して聞こえた。ゲームは未だついたままで賑やかなBGMが流れているにも関わらず、妙な静けさが二人の間に落ちる。
イルミはなんとなく最後の日のなまえの、諦観が滲んだ瞳を思い出してしまっていた。

「……もともとあの女がいるほうがおかしかったんだよ」
「俺の婚約者になるなら、来たっておかしくなかっただろ」
「キルにあの女は相応しくない」
「なんでだよ、お袋だって賛成してたのに」

キルアがなまえのことをそういう意味で好きではないのは、誰の目にも明らかだった。口だけはませていても所詮は子供。なまえを婚約者に望むのはイルミへのあてつけ半分、もう半分は慕っているなまえを縛りたいからだろう。

ゾルディック家の教育上、友達をつくる機会も必要もないし、執事は立場をわきまえているため、決してキルアの望むような関係を与えない。そういう状況下で初めて対等に接してくれた他人として、キルアがなまえに固執するのも無理はなかった。友達とまではいかないが、男ばかりの兄弟で姉という存在に憧れもあったのだろう。

「母さんとキルがよくても、なまえはどうだろうね」
「それは……」
「なまえは婚約の話が出ても喜んでなかったよね。なまえが特殊な性癖でもない限り、キルなんて子供にしか見えないだろうし」

それにはさすがに自覚があったのか、キルアは悔しそうな顔になる。悔し気に唇をゆがめて、それから皮肉っぽく笑った。

「だったらさ、なんでお袋はイル兄に勧めなかったんだろうな」

イルミが去年あたりから、良い人はいないの?お見合いなんてどうかしら?と母にせっつかれていることは家族の中ではよく知られている事実だった。キキョウがなまえを嫁に、と言い出したのはキルアとくっつけたいという思いよりも、どちらかと言えば彼女を“義理の娘”にしたいという感情からだろうし、その目的ならイルミかミルキ、順番で言えば長兄で未だ独身のイルミを勧めるのが妥当だろう。

「ま、もし相手がイル兄だったら、なまえのやつ、喜ばないどころか絶対嫌がるだろうしな」
「オレだってお断りだよ」

家族の前では警告までにとどめていたとはいえ、イルミとなまえが他の兄弟ほど仲良くしていないことはキキョウだって知っていただろう。実際二人は敵対していたも同然だし、いくら結婚相手に理想がないとはいえ、年齢だけであてがわれてはたまったものではない。しかしキルアの口から改めて自分が嫌われていたことを突き付けられると、なぜだか面白くない気持ちになった。
胸の中でもやもやと燻ぶるものの存在に戸惑い、いつもほどキルアに対して強く出る余裕がない。その異変は明らかにキルアを調子づかせたようだった。

「ていうか、前に言ってたなまえを殺したってどういうことだよ?まさか兄貴がしくじったのか?」

しかし、調子に乗ると言っても触れた話題が悪かった。キルアにはまだ念のことを教えるつもりはないし、依頼ではなかったにしろ、暗殺失敗なんてイルミのプライド的に許せない。暗殺家業は機を見る商売であるから一度で殺せなくても気にはしないが、生かしたままにしておくというのもどうなのだろう。タネがわかった今となっては、なまえを殺すのは容易い。前回こそうまく逃げられたが、ゾルディック家から一生逃げ回るなんて不可能だ。

「殺したって言ったのは言葉の綾だよ。でも、そうか。キルはオレになまえを殺してほしいんだ?」
「は!?そんなわけねぇだろ!」

途端に顔色を変えたキルアは手に持っていたコントローラを強く握りしめる。その様子を見て、イルミは少し落ち着きを取り戻した。そうだ、それでいい。

「やめろよ、仕事でもないのに殺す必要ないだろ」
「そうかな、あの女はキルの反抗の責任を取るって言ってたよね」
「……なまえを殺したら、俺は兄貴を絶対許さないぜ」

向けられた瞳はぞっとするほど暗殺者らしいほの暗さを讃えていて、イルミが見たかったのはそういう顔だと思った。たとえ自分に向けられた殺気でも、弟の成長は喜ばしい。
もっともイルミは母と違って、反抗という形での成長まで喜んでやる気はこれっぽちもなかったが。

「脅しのつもりかい?逆だよ、キル。なまえを殺されたくなかったらオレの言うことを聞いておいたほうがいい。わかるね?」

威圧するように言えば、キルアは今度こそ黙り込む。思いがけないなまえの利用法に気付いてしまったイルミは、すうっと目を細めた。

本当ならこのままなまえは捨て置いてもよかった。自分に向けられていた謎の敵意も気になるし、唯一殺し損ねたという点において引っかかりは残るものの、いつまでも仕事と家族以外にかまけているほどイルミは暇ではない。

しかし、キルアを懐柔するにあたって人質として使えるなら、なまえの価値はまだ失われていないと言えた。念も弱点もわかった今となってはうちに呼んでも大した脅威ではないし、これまで通りキキョウの相手を――こちらは最近、なまえの件で気味が悪いくらいに落ち込んでいるのだが――してくれるのなら、イルミも面倒な愚痴や長話から解放されるので非常に助かる。

「ははは、なにもオレは意地悪で言ってるんじゃないよ。キルがいい子にしてたらなまえに会わせてあげる」
「……どういう意味だよ」
「どういう意味も何も、キルもオレ相手のほうが妥当だと思ってたんだろ?」

まさか、という顔をするキルアにそのまさかだよ、と内心で笑う。なまえが嫌がったところで関係ない。むしろ、理由はわからないがあれだけ嫌っていた男と結婚させられるとなったら、今度こそあのすました顔を絶望でゆがめてやれるかもしれない。
悔しいが今回の件ではなまえにやられっぱなしだった。あてつけ、という意味ではイルミの動機もキルアのそれと大差がないだろう。
それでも――

「なまえを連れてきてあげるよ、オレの婚約者として」

キルアの行動を縛れて、さらにあの女の嫌がる顔が見れるなら、なかなかどうして悪くない案だと思った。


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