- ナノ -

■ 15.魂の器

両親の部屋に足を踏み入れるのは、随分と久しぶりのことだった。
幼い頃はそれこそ訓練室で顔を合わせることのほうが多かったし、自分もそうだが父は常に忙しい。そんな父の僅かな余暇をわざわざ邪魔するほどの用事を、これまで模範生として生きてきたイルミは持つことがなかったのだ。

「ほら、早く入りなよ」

食事の後からずっと握りっぱなしだったなまえの手首を乱暴に引き、イルミは入室を促す。初めのうちは逃げたりしませんから、と抵抗していた彼女も、青く痣になり始めたころには諦めたのか大人しくなった。

「イル、放してやれ。俺は話をしようと言ったはずだ」

部屋には既にキキョウも揃っている。玉座のように大きな椅子に腰かけるシルバの後ろで、母は不安そうにスコープの光を揺らめかせていた。

「話の前に逃げられるとまずいと思ってさ」
「……」
「わかったよ。ここまでくれば十分だ」

父親からの無言の抗議に手を離せば、すぐさまなまえはイルミから距離をとる。必然、シルバとキキョウを一つの頂点とする三角形が室内に形成された。

「まず、イルミがなまえさんを“殺した”という件だが、それは本当か?」
「正確にはこいつの“身代わり”をね。一度目は針で操作し、確かに脳も破壊した。二度目は殺さない程度の操作を行おうとしたけど、気づいたときには別人の死体が転がってたよ」
「なまえさん、」
「ええ、彼の言う通りです」

普通で言うなら、“殺した側”がこれほど堂々と“被害者”を糾弾するなんておかしな話だろう。しかしシルバは事実の確認をしただけで、イルミの行いを咎めるようなことはなかった。
それもそのはず、ここは暗殺一家ゾルディック家。人を殺して褒められこそすれ、咎められるいわれはない。ましてや、その動機が家の安全の為なら尚更だ。

「さっきも言ったけど、何度も殺されて歓迎されてないってわかりきってるのに、それでも訪ねてくるなんて何か目的があるとしか思えない。この女が“身代わり”に入れ替われるのなら、いつ外部の敵と入れ替わってもおかしくないでしょ?」

「それからもう一つ、引っかかっていることがある。母さんとなまえの関係だよ。直接面識がないと言ってた割に、まるで知己のような口ぶりだ。軽い暗示のような操作を受けている可能性がある」

「キルの件もそうだよ。なまえの言葉でやる気を出したり反抗したり。こっちは操作までしてないのかもしれないけど、うちにとって害なのは確かだ」

自分は間違っていない。この家のために正しいことをしている。そう思えばそう思うほど抑揚を殺すのは難しかった。横目でなまえを盗み見、その涼しい表情が崩れさる瞬間を今か今かと心待ちにする。

「……なまえさん、」

ひとかけらの遠慮もないイルミの糾弾に、さすがのキキョウも弁護する言葉を持たなかったのか、普段の甲高い声が嘘のように静かだった。
今や全員の視線がなまえ一人に向かう。そこで初めて、彼女は困ったように眉を寄せた。

「大丈夫です、気を遣っていただかなくて。元はと言えば騙していた私のほうが悪いんですから」

そう言って話し始めた彼女の表情には追い詰められた者の絶望も、いつものふてぶてしさもない。かといって開き直りともまた違った、諦めに似た何かが確かに浮かんでいた。

「まず、私の念についてお話したほうが早いでしょう。私の系統は元は操作系、後天的に特質になったタイプです。能力は、血をもらった相手に“憑依”すること」

”憑依”という言葉に、イルミはそうと悟られないくらいに眉を寄せた。つまり、彼女は入れ替わっていたわけではなく、もともと偽物の身体だったというわけだ。それならばイルミが”殺した”という事実にも矛盾しない。

そしてイルミが睨んだ通り、彼女には操作系の適性がある。操作系が後天的に特質になる可能性があるのは知識としては知っていたが、転向する条件は不明だし実際にお目にかかったのも初めてだった。そもそも特質系自体が特殊な家系に産まれたり、特別な環境の下で育ったものが多いと聞くが、流星街での生い立ちが関係しているのだろうか。

なまえがちらりとシルバとキキョウのほうを見ると、二人は黙って頷いた。

「この”憑依”の能力は放出系能力者だった私の母の念です。母は自身の魂をオーラとして飛ばし、他人の身体に憑依することができました。このことは同じ流星街出身であるキキョウさん、そして仕事で流星街に訪れたシルバさんもご存じだと思います」

どうやら彼女の母親がキキョウの知り合いであったというのは本当らしい。しかしそれならばなぜ、“騙していた”と言ったのか不明だし、なにより後天的に特質になったとはいえ、操作系のなまえが”なぜ母親と同じ念なのか”という謎は残ったままだ。

念能力というのは血縁で受け継がれるものではなく、本人の才と努力による一代限りの能力である。家族間でなりやすい系統が大雑把な傾向としてあったとしても、極端な話家族全員の系統がばらばらだということだって大いにあり得る。
系統が同じであれば似た念を“模倣”することは可能かもしれないが、やはりイメージや過去の経験が色濃く反映される念が、全く誰かと同じということは起こりえなかった。

「母は昔から足が悪く、身体も丈夫なほうではありませんでした。だから自由に動く他人の身体をのっとる、というような発想が生まれたのでしょう。しかしこの念の発動中、本体である身体はただの抜け殻。彼女が自由を求めて自分の身体を留守にすればするほど、どんどんと身体が弱っていくのは明白でした」

「しかも念の発動には相手の血液を必要とし、長時間“憑依”を続けるには魂と肉体の相性も関係してきます。つまり、一般人よりも念能力者が、他系統よりも同系統が、赤の他人よりも血縁者が、器として好ましい」

そこまで話すと、彼女は一度区切りをおいた。周りの理解を待つというよりも、彼女自身、何かと葛藤しているように見える。
自白をする一歩手前の者もこうした雰囲気を纏うので、イルミは急かすまでもないと黙って続きを待った。

そうしてすっかり色味の失せた、彼女の唇が震える。

「私は母の器となるべく、この世に生を受けました」

彼女が努めて無感動でいようとしているのは、誰の目にも明らかだった。声こそ静かで落ち着いていたが、それが逆に不気味ですらある。

なまえの母はこのままでは自分が永くないことをわかっていて、次の肉体とするためなまえを生み育てた。そしてよりよい器とするために、精孔を開き、四大行を叩きこんだのだと言う。この計画についてはキキョウにも話しており、いつか”生まれ変わって”会いに行くわと約束していたらしい。

「しかし母の念は失敗しました。正確に言うと、私が抵抗したのです。まだ発の形成にまで至っていなかったものの、操作系だった私は”憑依”してきた母の魂を支配した。母は器であるはずの私に、逆に吸収されたのです」

「始めに騙していた、といったのはそのことです。私は母の記憶も念も得たのをいいことに、自分が母だと偽って、キキョウさんに会いに来ました」

そこから先のことは、説明してもらうまでもなく知っていた。計画を知っていたキキョウはなまえを旧友として受けいれ、肉体の年の差の説明を省くため、そのまま”友人の娘”として紹介した。もちろん。当主であるシルバや義父のゼノには彼女の正体や念について教えたが、そもそも念を他人に知られるのは念能力者にとって致命的。
彼女のように戦闘向きではなく、使用時、使用後に本体が無防備になるような場合は尚更であり、そのためあからさまに敵意を表明していたイルミには教えられなかったのだろう。

種明かしされてしまえば、実にくだらないことに数か月も費やしたものだ。とはいえ、やはりなまえが嘘をついていたことには変わりない。
彼女の母の所業には驚いたものの、こんな仕事をしていれば骨肉の争いなど珍しくもないし、家族間でも憎しみあうことがあるのはよく知っている。肝心なのは過去の確執ではなく、なまえが何を目的にここへ来たのかだ。

「母を吸収した私は、後天的に特質系となり、母の能力も使用できるようになりました。さらにただ“憑依”するだけだった母に対して、操作系の系統を持つ私は“憑依先”の容姿を自分と同じものに変えることができます。
私は自分が母であると偽ったばかりか、ゾルディック家を恐れて生身でここを訪れたことはありません。これがもう一つ、私が謝らなければならないと思っていたことです」

まるですべての告白が終わったみたいに、なまえは深々と頭を下げる。イルミはまたお得意のパフォーマンスかと呆れたが、心のどこかでこの謝罪は本心なのではないか、と思う自分もいた。上手くは説明できないし、自身にこのような感傷が残っていたことにも驚きだが、無理に冷静さを取り繕おうとしているなまえの姿には真実味があったのだ。

「なまえさん、それはお食事前も聞いたけれど、私は別に怒ってはいないわ。思い出話に花を咲かせられたのも貴方のお陰だし、本人でなくても、その娘さんに会えたのも嬉しいことよ。むしろ私はあなたが娘さんのほうだと知って、ぜひお嫁に来てほしいと思ったわ!」

「たとえ肉体が違っていても、キキョウの相手をし、息子たちの面倒を見てくれたのはなまえさん自身だ。俺が言うのもなんだが、生身で暗殺一家を訪ねてこなかったのは判断としては間違っていない」

しかし、ここで空気が和やかなほうにもっていかれそうになって、イルミはハッと我に返った。「待ってよ、まだ肝心の話を聞いてないけど」世の中には不幸話なんて腐るほど転がっているのだから、いちいち絆されてなんていられない。
イルミは久しぶりに口を開くと、顔をあげたなまえを真っすぐに睨みつけた。

「お前の念のことはよくわかったよ。で、なんでわざわざ母親を騙ってうちに来たわけ?復讐でもしようと思ったの?」
「復讐?」
「お前は母親を恨んでる。だとしたらその友人で、計画を知っていた母さんを恨んでもおかしくないだろ」

言ってしまえば逆恨みだ。なまえの場合は特に、恨みをぶつけるべき相手がもう存在しないので、その矛先がゾルディック家に向いたとしても納得できる。
けれども彼女はゆっくりと首をふると、自嘲めいた笑みを浮かべた。

「いいえ違います。でも、皆さんを騙していたことには変わりないし、私にはもう、この家を訪ねる資格はありません。もともと今日で最後にするつもりでした」
「……」
「今までお世話になりました。そして不快にさせてごめんなさい。ほんとはこんなに長く関わるつもりじゃなかった。私はただ、母の友人がどんな人で今どうしているのか、知りたかっただけだったの」
「……オレにそれを信じろって?」
「信じてもらえなくても構いません。どのみち、もうここへはお邪魔しませんから」

彼女の言葉は本心だろうか。そんな非合理的な理由で危険を冒してまで暗殺一家を訪ねてきたというのか。それは復讐よりもあまりに筋が通らないし、はっきり言ってイルミには理解できない。

だが実際に、彼女がうちで具体的に何かをしたかと言われると答えに窮した。強いて言うならキルアの反抗のきっかけになったくらいだが、母を操作していた件についてはシロ。念が分かった今、家の脅威にはなりえないことが確定したし、両親に至っては初めから知っていたのだ。
加えて、もう二度と来ないというのなら、この場でイルミがこれ以上彼女を糾弾するのは難しい。


なまえは最後にもう一度頭を下げて、さよならの挨拶を口にした。イルミはそれに何も言えなかった。出ていく彼女を見て溜飲が下がることも、ざまあみろと思うこともなかった。悪意の有無は別にしてやっとこの家から異物がいなくなって嬉しいはずなのに、まだ胸の奥に何かがつっかえている。

――だったら、なんで、オレにだけ敵意を向けてたの。

確かにイルミ自身、彼女に好かれるようなことをしていないのはわかっている。弟から遠ざけようともしていたし、この家に近づくなという警告も、偽物とはいえ実際に殺害まで行った。けれどもそれは家を守るという観点から言えば当然の反応だろう。イルミだって異物感こそ感じていたものの、初めから殺してやりたいほど憎んでいたわけでもなかった。
現に、初めてキキョウから紹介された時には何もせず引き下がっている。

だが、なまえはファーストコンタクトから、イルミに対してだけ妙な感情のこもった瞳を向けていた。イルミが気に入らない、と印象を抱いて、記憶に残っていたのはそのせいだ。
あれは確かに負の感情だった。だからイルミは警戒を強めたのだ。


――母の友人がどんな人か知りたかっただけなの

ずっと疑っていた彼女の目的が、あれで本当なら拍子抜けするくらいくだらない。しかし監視カメラで見た彼女のこれまでの振る舞いは、確かにどれをとっても憎しみなどないように見えた。キキョウに対しても、キルア達に対しても、きわめて普通すぎる態度だ。むしろ家族の一人とでもいうような親密さで、慈愛のこもった眼差しを向けている。

だからこそ、イルミにだけ敵意を向けたのが、どうしても解せなかった。

復讐が目的でないのなら、ゾルディック家の誰かと敵対するメリットなどない。部外者の出入りを快く思わないのは同じだが、最初のあの瞳や挑発するような態度がなければ、イルミだってここまで強硬手段に訴え出なかっただろう。

しかしその疑問はあまりに個人的すぎて、言葉にするのは憚られた。彼女はゾルディック家を出て行ってしまい、最後まで引き留めようとしていたキキョウをシルバが制したくらいだ。
そうなるとイルミにはもう何もできない。そもそも彼女を一番追い出したがっていたのはイルミなのだから。

「意味わかんない……」

意図せず漏れた呟きは、理由のわからぬ敵意を向けてきていたなまえに対してか、それとも目的を達成したのに消化不良の感情を燻ぶらせている自分に対してか。

その日のゾルディック家は、いつもよりひどく静かだった。

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