- ナノ -

■ 14.斜め上

その日、イルミが仕事を終えて帰宅すると、間違えようのない異物感があった。
反射的に日付を脳内で確認すれば、なまえの偽物を殺してからちょうどひと月経つ計算だ。悔しいことに時間切れ。復活したのだと考えていいだろう。

「おかえりなさいませ、イルミ様」
「……」

出迎えに来た執事を一瞥すると、空間全体に緊張が走った。もともと好かれているとは思っていないし好かれたいとも思っていないが、今日の空気はいつも以上に固い。自分では抑えているつもりでも、苛立ちが透けてしまっているのだろうか。

イルミは別に他人にかしずかれて喜ぶ趣味を持ち合わせていないので、こんな心にもない歓迎をされるのは不愉快でしかなかった。たとえ八つ当たりだと言われようと、もしも今誰かがひとつでもミスを犯したならばイルミは苛烈に責めたことだろう。

「シャワー浴びるから、あとで部屋に食事持ってきて」

「は、はいっ!」

なまえの気配が母親と共にあるのを感じながら、イルミは近くの執事にそう言いつけた。うちの執事にしては妙な間があったのは、おそらくイルミの注文が意外だったからなのだろう。執事たちの前では隠していなかった分、なまえとイルミの不仲はあまりに有名で、てっきりこの足でなまえのところに乗り込むものと思われていたようだ。

しかし、今イルミが二人のところへ行ったところで前と同じ轍を踏むことになるのは明白だった。それどころか「お久しぶりですね」と嫌味を言われて苛立ちが増すだけだ。現状、家族の前で手が出せないことには変わりないので、今回もまたなまえが帰宅するまで待つしかない。唯一の救いは本人が言っていた通り、懲りずに何度でも我が家に来るということだった。うちに来たのを殺してもまた”入れ替わられる”だけだが、逆に考えるとインターバルである殺しのチャンスは何回でも巡ってくるというわけである。

前回はどうやったのかうまく逃げられ、焦っていたあまりにヒソカの馬鹿馬鹿しい悪戯にまで引っかかったが、そう何度も逃げ切れるものではない。イルミはそう無理矢理自分を納得させると、足早に自室に向かおうとした。


「あ、あのっ!イルミ様、」
「……」

けれども進みかけた足は、後ろから呼び止められたことでぴたりと止まる。正直言って、今のイルミに声をかけるなんて命知らずもいいところだった。振り返って見た執事の顔は青を通り越して白に近かったが、イルミは視線だけで続きを促す。怯えようからしてよほどの用事なのだろうが、それを伝える役になったことについては”運が悪い”としか言いようがなかった。

「お、お食事の件なのですが、お部屋ではなく食堂で召し上がっていただくようシルバ様から言付かっておりまして……」
「……父さんが?」
「はい」
「そう」

イルミが黙ると、再び場に沈黙が流れる。本音を言えば一人になりたい気分だったが、この一ヵ月間仕事の合間をぬってなまえ探しをしていたため、ほとんど家に寄り付かなかったのも事実だ。久しぶりに顔を見せろということなのだろう。「わかったよ」イルミが頷くと、あからさまに執事はほっとした表情になった。勝手に大役を終えたつもりになっているのが滑稽で仕方がなく、イルミはゆっくりと腕をくむ。

「食事の件はわかったけどさ、だったらなんでさっきオレの命令に”はい”って返事したの?」
「え……?」
「オレは”食事を持ってきて”って言ったよね?で、お前はそれに”はい”と答えた。
それってさー、おかしくない?初めから食堂に用意することが決まっていたのに、お前は適当に返事をしたってこと?」
「あ……いや、その……!!申し訳ございません!」
「オレは別に謝ってほしいわけじゃないんだけど。どういうつもりって聞いてるの」
「え……あ……」

今やみっともないまでにがたがたと震える執事を見ても、イルミの溜飲はちっとも下がらなかった。なぜならイルミには他人をいたぶって悦に入るという趣味はないからだ。これはただの発散なので、終わったあとにすっきりこそすれ、その過程自体に楽しみはない。

「イルミ様、部下の教育が行き届いていないのは私の責任です。どうかお咎めは私に」
「あぁ、ゴトーか。心がけは立派だけどね、なんでも上が責任とってたらキリがないでしょ。ゴトーが庇うほど、そいつに価値ってある?」
「いいえ。ですが、」

「イルミ坊ちゃま」

震える執事を庇うように立っていたゴトーの視線が、イルミを通り越した後ろに注がれる。わざわざ振り返るまでもなく、そんなふざけた呼び方がまかり通る人間はこのゾルディック家広しといえ一人しかいない。
イルミは苛立ちごと吐き出すみたいに、大げさなため息をついた。

「なに、ツボネ。随分と懐かしい呼び方だね」
「ええ、そうでございますねぇ。今のイルミ様を見て、ついつい昔のお小さかった頃を思い出してしまいまして。申し訳ございません」
「……」

自分の幼い頃を知られているというのはなんとなく居心地の悪いものだ。加えてツボネはシルバの直属。いくら執事とはいえ、イルミ個人の判断で手を下せるほど端役ではない。
ツボネはゴトーごと哀れな執事を睨みつけると、せかすように数度手を打った。

「さぁさぁお前たち、イルミ様のお手を煩わすんじゃないよ。お前たちのせいでイルミ様のご入浴の時間がなくなったら、それこそ申し訳がたたないだろう」
「はい、申し訳ございませんでした」
「ご入浴の準備はできているんだろうねぇ。抜かりがないかもう一度確認しておいで」
「は、はい!ただいま!」

震えていた若い執事は、ようやくそこで我に返ったのか、弾かれたように駆け出す。ツボネはそれを一瞥すると、再び”食えない”笑顔をイルミに向けた。

「本当に申し訳ごさいませんねぇイルミ様。わたくしがきっちりと叱っておきますのでどうかこの件はご容赦を」
「……別にいい。シャワーもやっぱり後にする」
「そうですか。それでは十分後に食堂にお越しいただけますでしょうか。旦那様方にもそのようにお声がけいたしますので」
「好きにして」

家族で集まって食事をとるのは、あるようでそんなにはない機会だ。
先ほどまでは苛々して一人になりたい気分だったが、ツボネの登場で気勢を殺がれた感もある。イルミはとりあえず着替えることにして、今度こそ自室に向かうことにした。




「どうもこんばんは。お邪魔してます」

十分後、という時間設定から、なまえが同席している可能性が少しも頭をよぎらなかったと言えば嘘になる。
しかし実際に食堂に入るなり”客人”のような顔をして挨拶をされると、落ち着いていたはずの怒りが腹の底でぐつり、と甦った。

「まぁイルミ!お帰りなさい!ここのところお仕事忙しかったみたいね!」
「うん」

相変わらず姦しい母親に適当に相槌を打ったイルミは、牽制するようになまえを睨みつけて席に着く。もちろん家族の前ではそうおおっぴらにやる訳にもいかないため実際に目が合ったのはほんの一瞬だが、負の感情を互いの瞳の中に見つけるには十分な時間であった。

「でもよかったわ、今日は早くにイルミが帰ってきてくれて。なまえさんも夕食にご一緒してくださることになったの!」
「そうだね、早く帰ってよかったよ」

まだ訓練の割合が多く、家にいることの多い弟たちはともかく、父や祖父までそろっているというのは滅多にない。高祖父については見かけるほうが珍しいので、イルミ的にはこれで久しぶりの家族団らんといった感じである。一方で、もしも自分が今日遅く帰っていたならば、自分の代わりになまえが我が物顔でこの一家に収まっていただろうことを思うと吐き気がしそうだった。

しかしいつも以上に嬉しそうな様子のキキョウに対し、なまえはどことなく浮かない表情だった。彼女のそんな顔を見るのは初めてのことで、なんだか逆に警戒してしまう。イルミの前では悪感情を隠さない彼女だったが、他の家族の前ではいつもにこやかすぎるほどにこやかだったからだ。

「おほほほほ!ちょっといいかしら???実は食事の前にみんなに聞いてほしいことがあるのよ!!」

さあ食事にしようという段になって突然そんなことを言い出したキキョウであるが、母親が自由すぎるのはこの家族にとってごく普通の事である。「この前、キルが暗殺者にならないなんてことを言いだして、私本当に心臓が止まるかと思ったんだけれど!!!」しかも内容が内容なだけに父も祖父も話を遮ることはしなかった。母親相手だからこそ大口を叩いたであろうキルアも、こんな場所で暴露されてはさすがに苦い顔になる。

「本当なのか、キル」

確認するようにシルバから鋭い視線を向けられ、生意気さがごっそりと削げおちたキルアは俯きながらも渋々口を開いた。

「……うん」
「なぜだ。殺しが嫌いか?」
「別に、そういうわけじゃねーよ……だけど、訓練ばっかじゃ飽きるっていうか……」

歯切れの悪い口調でぼそぼそと答えるキルアに、イルミは内心で苛立ちを覚える。まだそんな寝言を言っているのか。いくら幼い幼いと思っていてもキルアはもう十二歳。本当ならとっくに一人で仕事をいくつも請け負っておかしくないし、実際イルミだってその道を通ってきた。だがキルアはゾルディック家の長い歴史の中でも抜きんでた才能を持つとされながら、いつまでも精神が暗殺者として未完成だ。だから保護せざる得ない。
しかしはっきりとそう言ってやればいいのに、父シルバはキルアの返事に黙り込んで何かを考えているようだった。

「そう!そうよね!キルはきっとなまえさんともっと遊びたいんでしょう???」
「えっ」

そしてそこで勢いよく話を攫っていったのがキキョウである。もともと彼女から発せられた話題ではあったが、不意に重い空気を打ち破られたキルアは驚きに目を見開く。けれどもそんなくらいで止まる母親ではなく、嬉々として食卓に大きな爆弾を投下した。

「わかるわ!!なまえさんってすっごく楽しい方だから!!でも、キルを外に出すのはまだ心配だし、そこでわたくし良いことを思いついたのよ!!
なまえさんをキルの婚約者にすれば、キルも出ていくなんて言わないんじゃないかしら??」
「な、何言ってんだよ、いきなり!」

驚きのあまりキルアがテーブルにぶつかってがちゃりと派手な音がたったが、これはキキョウ特有の斜め上発想だ。この場にいる誰もが、うんざりするくらい経験したことがある。しかし今回ばかりはイルミはその内容をいつものことだと流すわけにはいかなかった。

「オレは反対だよ。その女のせいで、キルが余計なことに興味を持ったのに、元凶に近づけてどうするのさ」

今までは我慢して沈黙を貫いていたが、なまえをキルアに近づけるなど絶対に許可できない。これ以上なまえに好き勝手されるくらいなら、ここで自分のやった全てをバラしてもいいとさえ思った。

「なまえさんもその点は反省されていたわ、だから責任を持つとおっしゃってくださったのよ」
「いや、私が責任と言ったのは、説得と言う意味で……」

だが意外なことに、なまえもこの婚約には乗り気でないようだった。てっきりこの女のことだから、キルアやキキョウをそそのかして取り入ったのかと思っていたが、ずっと複雑そうな表情を浮かべている。

「あら?なまえさんはお嫌かしら??」
「嫌と言うか……その、年が離れすぎていますし……キルアくんも困るでしょう」
「あら、今の六歳差は大きくても、大人になれば気にならない程度よ!!!念能力者はいつまでも若々しいし!!」
「いや、でも、キルアくんにも選ぶ権利が……」

なおも固辞し続けるなまえに、キキョウはどうしても駄目かしら?と心底不思議そうに首を傾げる。初めにみんなに聞いてほしいことがある、と言っていたことを鑑みるに、本当にこれは母が勝手に暴走しているだけなのだろう。それならばただキキョウ一人を説得すればよく、イルミはやや冷静さを取り戻した。「本人たちが乗り気じゃないんだから外野がとやかく言っても無駄でしょ」イルミの中ではなまえは殺す予定の女だ。義妹になるかもしれないなんてとんでもない。
だが次の瞬間、イルミは再び全身の血が逆流するような感覚に襲われた。

「いいぜ、なまえなら。なまえが婚約者になれば、もっと気兼ねなくうちに来れんだろ」

そう言ったキルアはにやりと笑ってこちらを見る。それは明らかにイルミに対する反抗だった。

「何言ってんの、キル」
「いいじゃん別に。なまえのことは嫌いじゃねーしさ。なまえが俺を説得できなかったら婚約解消。それなら文句ねーだろ?」
「あるよ。説得関係なくお前は暗殺者になるんだから、そんな約束に意味はない。だいたいそんな得体のしれない女をうちにいれるなんてリスクが高すぎる」
「まぁまぁ!!!得体が知れないなんて!!」
「本当のことだろ!」

イルミが語気を荒げるのは、それこそ家族ですらも滅多に見ない光景だ。一瞬、静まり返った食卓に、今更のように精いっぱい感情を抑えたイルミの声だけが落ちる。ここまで来ると家族が揃っているのは好都合だった。この際何もかも暴露して、みんなの目を覚まさせる。

「いいよ。ちょうど親父もいることだし、この際だから言ってあげる。この女は絶対ろくな女じゃない。殺しても殺しても涼しい顔でうちに遊びに来るなんて、何か目的があるとしか思えないんだ」
「殺したですって??」
「そうだよ」
「はっ?じゃあここにいるなまえはなんなんだよ」

もちろん念のことを説明をするわけにはいかないので、キルアのことは無視してイルミは父親に訴えかける。

「父さん、これは嘘じゃない。明らかになまえはまともじゃない。そんな奴をキルの婚約者にするなんて反対だ」

ここまで言って駄目なら、この場でなまえを殺すのもやぶさかではない。そのまま殺せたなら万々歳だし、前のように逃げられたとしてもイルミが嘘を言っていないと証明できる。

「……わかった。少し話をしよう」

シルバは重々しく頷くと、イルミとそれからなまえに視線を向けた。

「食事の後で私の部屋に来なさい。なまえさんも来てくれるな?」
「……はい」
「おい、俺の婚約って話だろ、なんでイル兄が!」
「キル、お前もくだらない反抗になまえさんを巻き込むな。キキョウもそうだ、少し落ち着け」

あからさまな指摘を受け、図星のキルアは返す言葉が見つからないようだった。母も注意されたのが効いたのか、しょんぼりと肩を落とし静かになる。
こうなってしまってはもはや、和やかな家族団らんというものからは程遠い空気になっていた。

「……いい加減、食っていいか?」
「そうね、まずはお食事にしましょう」

しかし気まずい沈黙もつかの間、ミルキの言葉でみなが動き出す。ようやく良い方向に物事が進んだ気がして、イルミは少しほっとした。
けれどもなまえのほうを見ると、彼女もまたほっとした表情をしていて、なんだかそれは少し面白くなかった。

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