- ナノ -

■ 11.疑わしきは罰せよ

「なまえじゃない?」

繰り返してヒソカはまじまじと女の死体を眺めた。「顔は……もうよくわからないけど、確かになまえはこんなネイルしてなかったね」女の指先はちょうど彼女が噴き出した血のように真っ赤に彩られている。イルミはなまえの爪など覚えていなかったが、ヒソカが言うのならそうなのだろう。とにかく、この死体がなまえのものではないという共通認識ができればそれで十分だ。

「一体いつ入れ替わったんだろう」
「さぁ、ボクは今回なまえに会うのが初めてだからなぁ。そもそも”入れ替わった”のか”初めから別人だった”のか」
「攫い間違ってはないよ、絶対に。うちから出てきてすぐに捕らえたから」

自分の行動を思い返してもミスはない。第一、ついさっきまでまともに話までしていた。あのふてぶてしさが他の人間に、しかも操作された傀儡に出せるとは思えないし、会話の内容からしてもなまえ本人で間違いない。

「じゃあ針を刺されるギリギリに入れ替わったのかな?迎撃型でなくとも、殺されかけるのが入れ替わりのスイッチになってるとか」
「ちなみに言っておくと、今回はあくまで自白が目的で、念能力者なら死ぬレベルの念じゃない。もし程度によらず攻撃が入れ替わりの条件なら、自白させるどころか攻撃自体極めて困難だ」

「それはまた殺し屋泣かせだね……で、キミは一体どうするんだい?」

他人事だと思って面白がるヒソカはムカつくが、今は構っている場合ではない。

「でも、そんな便利な念が何回も簡単に使えると思う?前回あの女を殺ったとき、ひと月は姿を見せなかった」

なまえの性格からして、死んでないなら翌日にでも訪ねてくるだろう。少なくとも、母さんとの約束を連絡も無しに反故にするわけがない。

「つまり、あの念の使用にはインターバルがあるんだよ。本体を殺るなら今がチャンスだ」
「なるほど、じゃあボクの仕事はこれで終わりだね。あとは頑張って」
「え?」
「えっ?」

顔を見合わせ、互いに首を傾げる。ヒソカのことは馬鹿ではないと思っていたが、まさかこんなに話がかみ合わないとは思っていなかった。

「……だって、彼女の能力は”入れ替わり”であって”甦り”じゃないんだろ?だったらボクがここでこの死体を見張る必要はないよね?」
「”甦り”じゃないってのはあくまで仮説でしょ?その仮説を実証するために見張らなくてどうするの?」

可能性がたくさんあるときは、一つずつ潰していくしかない。一瞬の判断ミスが命取りとなる戦闘中ならば難しいが、余裕がある今のような状況では当たり前の作戦だ。
しかしヒソカは不服なのか、珍しく笑顔を見せなかった。

「いや、さっきキミ、前回のインターバルはひと月だったって言ったじゃないか。
つまり、ボクにそのくらい死体と過ごせっていうのかい?」
「そーだよ。ヒソカ暇でしょ?」
「……あのねぇ、」
「はは、安心してよ、オレが本体を殺ればそこで仕事は終わり。絶対ひと月もかからないよ」

それなりに報酬も弾むのだし、何しろただ”見張っている”だけでいい楽な仕事だ。ヒソカは今から退屈を想像して嫌がっているようだが、あまりに辛抱が足りないと思う。「ていうかさぁ、キミ、本当に彼女を殺すの?」挙句、仕事をやりたくないせいなのか、今更なことまで言い出す始末だ。

「は?当たり前でしょ。目的こそ吐かせられなかったけど、依然として怪しいのは変わりないしね。敵意も十分だし」
「彼女、キミん家に恨みがあるってより、キミ個人が嫌いなだけだと思うけど」
「それって何が違うの?」

イルミへの敵対行動は、それすなわちゾルディック家に対する敵対行動と捉えてもいい。人間はその憎しみを憎い相手本人にだけぶつけるとは限らないし、事実イルミは自身に何かされるよりも家族に手を出されるほうが嫌だ。そういう意味で、もしなまえがイルミのことを嫌いなのだとしたら、家族に何かされる可能性もある。

「……彼女はキミの家族に危害を加える気はないと思うけどねぇ」
「それもあくまで仮説でしょ。オレは疑わしきも罰する派なんだよね」

ヒソカの推測なんてどうでもいい。だいたい、わからない物事はとりあえず悪いほうを想定しておくものだ。常に最悪を想定した対応をとっていれば、リスクを極限まで減らすことができる。

「そういうわけだからよろしくね、ヒソカ」

こっちは時間が惜しい。
いつまでも食い下がるヒソカにばかり構っていられないのだ。


▲▽


衣裳部屋を片付けるように執事たちに指示をしたキキョウは、楽しかったひとときの余韻に浸りながら自室に戻る。
長らく連絡がとれずに心配していたけれど、今日会った彼女が元気そうで安心した。気にしていたイルミとの関係も知らぬ間に良好になっていたみたいだし、これからは気兼ねなく彼女を呼ぶことができるだろう。

「あぁそうだわ、手紙をもらったのだったわね」

部屋に着いたキキョウは、自身の帽子の花飾りに手を伸ばす。そこに隠してあった手紙は、なまえから後で読んでくれと言われたものだった。


キキョウへ

今日は急に訪ねてごめんなさい。
音信不通になったのに、変わらずに迎え入れてくれて嬉しかったわ。
でも私はまたひと月ほど用事があって、そちらへ行けないと思うの。
そしてもし次に会うことができたら、あなたに謝らなくてはならないことがあるの。
既に秘密を守ってくれているのに、自分勝手なお願いばかりでごめんなさい。

なまえ


「まぁ……これは一体どうしたことかしら」

彼女があえて手紙という方法をとったからには理由があるのだろうが、これだけではいまいちよくわからない。面とむかって言わなかったということは、彼女もまだ説明するわけにいかないということなのだろう。

彼女の秘密を守ることなど、別に大したことではなかった。彼女がキキョウとシルバに守ってほしいと頼んだ秘密は、彼女自身の念能力のことなのだ。ここへやってきた彼女が、キキョウの知り合いの娘であることを証明するために示した”彼女の母親と同じ念”。そして、母親とキキョウしか知るはずのない”約束”。

念能力は他人に知られれば弱点となる。特に武闘派でないなまえなら尚更だ。家に招く以上、マハやゼノには伝えることを了承してもらったが、息子たちには教えていない。
本当なら長兄のイルミくらいには教えても良かったのだが、どうもイルミはなまえを敵視しているように見えたし、そんな状態の息子になまえの弱点を教えるわけにもいかなかった。

今日の様子を見た限りでは、もう大丈夫かもしれないけれど……。

キキョウがそんなこと考えていると、突然、大きな音を立てて扉が開く。驚いて視線をやれば、なんと珍しいことに最愛の息子キルアだった。「なまえが来てるって本当か!?」イルミの訓練がよほど厳しかったらしくその表情には疲労が浮かんでいたが、それでも接近を気づかせない息子の才能はやはり素晴らしかった。

「さっき帰られたわよ。それよりもキル!そんな格好でうろうろしてはいけないわ。早くお風呂に入って着替えなさい!」
「帰った?ちくしょう、やっぱイル兄が邪魔してたんだな。誰に聞いても全然教えてくんねーし、挙句カルトのとこにいるって……嘘じゃんか」

てっきり地下の訓練室から直接来たのかと思ったが、キルアはしばらく屋敷中を駆け回っていたらしい。いつもならスコープで位置を把握していたキキョウだが、今日はついついなまえとの時間が楽しくてちっとも知らなかった。

「でも、帰ったってことはなまえは無事なんだな?イル兄に何もされてなかったか?」
「二人はお仕事の話をしていたみたいだけれど……。
ねぇ、キル、やっぱりイルミとなまえさんって仲が悪いのかしら???」
「は?悪いっていうか、イル兄が一方的に嫌ってんだろ」
「そうなの……困ったわねぇ」

やはり打ち解けるにはもう少し時間がいるのだろうか。イルミはキキョウに似て思い込みが強いようだし、仕事以外のこととなるとまだなまえに心を開いていないのかもしれない。「あー、まあ、俺のせいでもあるかもな」考え込んだキキョウがいつもと違って静かだからか、キルアもあまり反抗的な態度はとらない。やわらかそうな銀髪をくしゃくしゃとかき乱しながら、ぽつぽつと話し出す。

「イル兄、俺がなまえと仲良くしてるとすっげぇ機嫌わりーし。その女は信用ならないーとか言ってさぁ」
「まぁ……」
「こっちからしたらお前は暗殺者になるために生まれてきたって決めつけてくるイル兄のほうが信用ならねーっての。ああいうの洗脳だぜ、まじで」
「あら?それは間違ってないでしょう???キルは立派な暗殺者になるんですよ」

可愛い息子との久々のまともな会話。だが、キキョウの一言にキルアは一瞬で半眼になる。

「……はぁ〜言う相手ミスった」

なまえが来てから、キルアの反抗期が緩和されたようで喜んでいたが、油断をするとすぐこれだ。才能も容姿も愛する夫によく似た可愛い息子だが、手がかかればかかるほど余計にという部分もある。キルアの反抗スイッチが入ったと同時に、キキョウの教育スイッチも入った。

「イルから聞いてるわ!!!最近のキルはよく頑張ってるって!!」
「イル兄が?なるほどな、その結果が今日のアレってわけね。……ま、いいか、ついでだしお袋にも言っといてやるよ。俺、暗殺者なんかなる気ねーから」

「な、な、な!!!!なんですってぇえええ!!!ちょっと!キル!待ちなさい!!」
「やーだね」

べーっと舌を出したキルアは、来た時と同じくらいの勢いで逃げ出す。「キル!!」もしかしてなまえが謝りたいことと言っていたのはこのことだったのだろうか。
確かにこれは困る。もしも会えたら、ではなく絶対に来てキルアを説得してほしい。

キキョウはもう一度なまえからの手紙に視線を落とすと、はぁぁあと大きなため息をついた。


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