- ナノ -

■ 10.稚拙な動機

ククルーマウンテンのあるデントラ地区はパドキアの中でも栄えているほうだが、それでも少し都心部から離れただけで寂れた場所なんていくらでもある。

イルミはとある廃ビルの一室で、先ほど攫ってきたばかりのなまえを見下ろした。それから彼女の頬を、ためらいなく平手で強く打つ。
正直、こんな程度は挨拶にもならなかった。痛めつけることが目的の平手ではなく、気つけの意味でしかないからだ。

なまえの頬は目に見えて赤く色づいたが、そのおかげで彼女は意識をはっきりさせたようだった。

「気分はどう?これから何をされるかわかる?」

なまえを攫うのはこっちが拍子抜けするくらい簡単だった。イルミはただ、ゾルディック家から彼女が出てくるところを待ち伏せしていればよかったのだ。

「はぁ……監禁でもするつもりですか?」

場所を悟らせないために一度気絶させたのだが、なまえは平手一発ですぐにいつものふてぶてしさを取り戻した。攫われた時も特に驚いた様子はなく、それどころかまたあなたですか、と呆れた顔をしていたくらいなので、これくらいは彼女にとっても想定内だったのかもしれない。
後ろ手に拘束された状態で心底迷惑そうにあたりを見回したなまえは、律儀にもイルミの質問に答えて見せた。

「うん、いいセンいってるよ」

確かに家族に近づけさせないことが目的なら、このまま監禁してしまうのもありだった。けれどもここまで虚仮にされて生かしておくだなんて、残念ながらそんな甘い選択肢はイルミにはない。
イルミは床に転がる彼女を起き上がらせると、乱暴に顎を掴み、無理やり視線を合わせた。

「お前は何度殺されても平気だと言ったね?でも暗殺者は殺すだけが仕事じゃないんだよ。場合によってはいっそ殺して欲しいと思うような目に合わせることだってできる」

そう言われても、なまえは少しもひるまなかった。せっかく合わせた視線をイルミの後方へと反らし、挑発するように笑って見せる。

「へぇ、それってお友達の手を借りなきゃできないようなことなんですか?」

彼女の視線の先の奴がどんな表情をしているかなんて振り返るまでもなかった。「やぁ、初めまして。キミのことは”親友の”イルミから聞いてるよ」隠しきれない笑みを含んだ声色に、どいつもこいつもふざけやがってと腹が立つ。
なまえも、ヒソカもまるで立場をわかっていない。

「友達なんかじゃない、あいつは金で雇った知り合い。ヒソカも、見てるだけでいいって言ったろ」
「そう固いこと言うなよ。彼女、思ったより面白そうだね」

背後の壁にもたれかかっていたヒソカは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。そしてイルミとなまえの間に割り込むように、身を乗り出した。

「キミ、死なないってホントなのかい?」
「そんなことあるわけないじゃないですか。そっちの腕の問題ですよ」

なまえはわざとらしくイルミを見ると、皮肉っぽく笑った。
仕事のことを引き合いに出されるのは不快だし、本当ならとっとと針を使いたかったが、なまえが操作系の能力を使っていれば針の自白でも聞き出せない可能性が高い。そういう意味で、ヒソカとなまえの会話は全く無駄というわけでもなかった。

「そのわりに、随分と余裕そうだねぇ」
「突然変な格好をした長身の男二人に拘束されて、怖くない女がいると思いますか?」
「うーん、そうだねぇ、たとえば迎撃型の念能力者とか」
「いいですね。それならそこの男も殺せたんですけど」

ぶれないなまえの態度に、ヒソカのにやにやが濃くなる。普通の人間なら腹を立てるところだが、どうやら変態のお気に召したらしい。「キミ、すごく嫌われてるね。一体何をしたらここまで嫌われるんだい?」羨ましいなぁ、と続けたヒソカに、イルミは嫌悪感でいっぱいの眼差しを向けた。

「何もしてないけど」

イルミはあくまで家族のために心を砕いていただけで、わざわざこの女に嫌われるべく何かした覚えはない。だからこそそう言ったのだが、イルミの返事にはぁ!?と初めてなまえが表情を変えた。

「どの口でそんなこと言うんです?私の頭に針刺したじゃないですか!」
「その前からお前はオレに敵意満々だったろ」
「初対面から”こいつ気に入らない”って感じの顔してた人に言われたくありません!」

彼女がこうもはっきり怒りを露わにするのは初めてで、イルミは一瞬面食らった。今までいくらこっちが敵意を向けても、涼しい顔で挑発するのがこの女の常だったからだ。
しかも初対面でなら絶対に見抜かれるはずのなかった感情をはっきりと指摘され、驚くなというほうが無理である。「なにそれ、オレはいつもこの顔だけど」そうだ、こんな女に自分の感情が読み取られるはずがない。彼女の指摘を肯定しても何ら問題なかったが、イルミは咄嗟に要らぬ言い訳をした。

「じゃあ性根が腐ってるのが、顔面ににじみ出てるんじゃないですか」
「お前みたいな猫かぶりよりずっとましだよ」
「猫をかぶってるのはどっちなんでしょうね、”出来のいい息子さん”?」
「……ふぅん、どうしても黙らせてほしいみたいだね」

にらみ合って目を反らされないのはなまえが初めてだったが、やはりこの女の目がどうしても気に入らない。色味の薄い瞳はガラス玉を思わせてどこか空虚だし、そのくせ宿る光は好戦的ときたものだからタチが悪い。

「まぁまぁ、二人ともそのへんにしておきなよ」

しかし再びヒソカが間に割り込んだおかげで、程度の低い口論は一旦そこで停戦となった。


「じゃあ、なまえはゾルディック家で初めてイルミに会ったんだね?」
「そうですよ」
「で、そこから二人は仲良くなったのかい?」

「「は?」」

何言ってんだ、こいつ、と思ったが、どうやらそう思ったのはイルミだけではないらしい。あからさまに表情をゆがめたなまえは、不愉快さを少しも隠す気はないようだった。

「私とこの男の仲が良いように見えるんですか?格好だけじゃなく頭までおかしいんですね」
「そう?キミは”イルミのことが”嫌いなのかい?」
「ええ。嫌いですよ。あのうちはキキョウさんもシルバさんもゼノさんもみんな優しくて、ミルキもキルアもカルトくんもみんないい子なのに、この男だけが横暴で乱暴で頭おかしいんですよ」
「そんなに嫌いなら来るなよ」
「私はキキョウさんたちに会いに行ってるんです。そもそもほとんど仕事でいないんだからあなたは関係ないでしょ。ちゃんとおよばれしてるのに、なんであなたのために遠慮しなくちゃならないの」
「関係なくない。あそこはオレの家で、オレの家族のことだからね」

「っ……」

そう返すとなまえは悔しそうな顔をしただけで何も言い返さなかったが、イルミもだんだん疲れてきていたのでそれ以上畳みかけなかった。そもそもこれは一体なんの話なのだ。相変わらずなまえの目的も能力も不明なままである。

「はぁ、もういいよね、ヒソカ。こいつと話しててもイライラするだけだから」
「うん、もともとボクは見守るだけの約束だし」
「……じゃ、そういうことだから。死にたくなかったらまた”甦ってみれば”?ま、オレとしてはこのまま死んでほしいんだけどね」

イルミは服から針を一本抜きとると、なまえの頭を掴む。やはり動揺や怯えの色はないのが腹立たしいが、その腹立たしさを力に変えて針を差し込んでいく。
もちろん、まだ殺す気はなかった。


「お前の本当の目的、それから念能力について話せ」


手を離すと、針の重みかなまえはがっくりとうなだれた。針の副作用で顔がいびつに変形し、イルミの命令に応えるべく不自然に顎ががくがくと動く。

「モク、テキ……モクテキハ、」
「……なに、どういうこと?」

目の前のなまえを見て、いや、”なまえだったもの”を見てイルミは思わず呟く。おかしい。そんなはずはない。針のせいで顔が変形していることを差し引いても、この女は……。

「モクテキハ、ワカリマセン。ネンノウリョク……ネンノウリョク……」

女は知らない単語を必死で思い出そうとしているのか、何度も繰り返す。そしてそのうち頑張りすぎたのか、白目を向き、盛大に吐血して静かになった。

「キミ、勢い余ってやりすぎたの?」

隣りで見ていたヒソカが興味深そうに、女の死体をつつく。確かにイライラはしていたが、前回ほど強力な針は使っていない。念を知らない一般人ならまだしも、なまえがこんな簡単に壊れるならイルミも苦労しなかった。

第一、ぐちゃぐちゃの女をよく見れば、髪色や体格が先ほどと違っている。

「こいつ、なまえじゃない……」


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