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■ 09.憶測は役立たず

滅多に鳴らない携帯電話が、ご機嫌なメロディーを奏でる。
そもそもヒソカの連絡先を知る人間はごくごく限られているし、いたとしても好んでかけてくる者は少ないのだが、それぞれに設定した着信音のおかげで誰からの電話かはすぐわかった。

「ハァイ、イルミ。どうしたんだい?」

彼がかけてくるということはおそらく仕事だろう。プライベートなお誘いでもこちらは全然構わないのだが、残念ながら今のところそういったお誘いは極めて稀である。
せいぜい運が良ければ、仕事終わりの飲みに承諾してもらえるくらい。

だからヒソカはどうしたんだい、と言いつつ、イルミが仕事の内容を切り出すのを待っていた。

「今あの女がうちに来てる」
「……え?」

しかし、いきなり予想と全く違う言葉を言われ、さすがのヒソカも一瞬呆気にとられる。「あの女?」仕方なく聞き返せば、イルミはどうしてわからないのかと言わんばかりに、少し早口になった。

「前に話しただろ、母さんの知り合いだっていう女」
「あぁ……そういえばそんなのあったね」

ヒソカにしてみれば、言われてようやく思い出す程度だ。むしろ思い出しただけでも褒めて欲しい。何しろその女とは直接の面識はなく、イルミから数回愚痴を聞いた程度なのだ。「あれ?でもキミ、前に殺したっていってなかったかい?」しかもちょうどひと月ほど前、イルミ本人から手を下したと聞いていたので、とうに終わった話だとも思っていた。

「そうだよ、でも生きてるんだ。生きてまたうちに来てる」
「……殺り損なったってこと?」
「は?オレを誰だと思ってるわけ?」

かすかにそうとわかるくらいに語気を荒げたイルミだが、普段の彼を鑑みると相当イラついているというサインだ。
だがヒソカだって、暗殺におけるイルミの腕を疑ったわけではない。ただ殺したはずの人間が目の前にいるというのだから、この疑問は当然のものではないか。

「ごめんってば、一応聞いてみただけだよ」

ちょっと理不尽だな、と思いながらも、口論になれば話が進まないので適当に謝っておく。正直イルミの言っていることは意味不明で、満足な説明ももらえないなら八つ当たりに等しかった。

「ええと、キミが確かに殺したはずの女が今またキミの家に来ている。これでいいかい?何か思い当たることは?彼女の様子は?」
「おそらくあの女の念なんだと思う。少し話したけど、オレに殺されたという記憶もちゃんとあったし、それどころか何度殺っても無駄だとさえ言われたね」
「それはまた……」

道理でイルミが荒れているわけだ。
今までは彼女がゾルディック家の面々に気に入られていることと、だからイルミが気に食わないという情報しか知らなかったが、なかなかどうして本人の性格もきついらしい。
タネはさておき死なない自信があるからかもしれないが、あのイルミを挑発するなんて命知らずもいいところだ。

「だけど、そうあからさまに挑発してくるってことは殺されるのが狙いかもしれないね」
「迎撃型ってことだろ。それも考えたから、前回即死させるようなことはしなかったんだ」
「じゃあほんとに”死に至らなかった”んじゃない?」
「それはない。持ってる中で二番目に強い針を使ったから」

普段イルミが使っている針がどのランクのものかはわからなかったが、二番目と言うからには仕事で見かけるものの数倍の威力はあるのだろう。イルミの断言っぷりに、いよいよヒソカは返す言葉を見つけられず、だんだん投げやりな気持ちになってきた。

「じゃあ、お父さんに一度殺したことを言ってみれば?そうすればキミの当初の思惑通り、お父さんもその女のことを警戒してくれるだろうね」
「……」

しかしお父さん、という単語出した瞬間、先ほどまでの勢いが嘘みたいにイルミは黙り込んだ。おそらく、両親に自分の行動を知られるのが嫌なのだろう。イルミは必要があれば仕事でない殺しもするが、基本的にゾルディック家の殺しは”仕事でのみ”となっているらしい。しかも相手が家族に気に入られている女とくれば、イルミが独断で起こした行動はあまり褒められたものではない。

だが、そもそもこの件はゾルディック家の問題だ。ヒソカはその女と面識もなく、イルミから伝え聞いた偏った情報しか知らない。愚痴くらいなら聞くことはできても、本気で解決したいなら頼るべきは家長である父親。それなのに、

「……父さんもあの女のことになるとやけに寛容だ。操作されていないとは限らない」

イルミは珍しく歯切れの悪い口調でそう言った。

「操作?またえらく突拍子もない話だね。そもそも君はお父さんがそんな簡単にやられると思っているのかい?」
「……可能性はゼロじゃないから」

明らかに苦し紛れの返事をされて、聞いているこちらが気まずくなるほどだ。いくらなんでもイルミだってそんなことはないとわかっているだろうに。「……でもまぁ、君が振り回されてるなんて面白そうだねその子」沈黙を回避するためのヒソカのフォローは、もはやただの相槌となんら変わらなかった。

「あのさ、オレだってなんの理由もなく疑ってるわけじゃないよ。あの女、最初は母さんの知り合いの娘としてここにやってきたんだ。それなのに母さんは今、あの女を友人そのもののように扱ってる。おかしいだろ?」

イルミが言うには、まるで二人が一緒に過ごした過去があるかのような発言が見受けられるらしい。記憶の混同は操作された人間によくある傾向なので、それが本当なら確かに怪しい。

「だけど操作系じゃ蘇ったことの説明がつかないんだ」
「じゃあ操作よりの特質系ってのはどうだい?能力は”蘇生”で予め自分の脳や心臓をオートで動かしていれば復活可能とか」
「脳は針を刺した時にほとんど破壊してるよ」

そのあたりは一通り考えた、と言わんばかりに吐き捨てられて、ヒソカはとうとう閉口した。ただでさえ他人の念を推測するなんてことは至難の業なのに、”何度も言うが”会ったこともない女の能力なんて考えるだけ無駄である。ついついバトルマニアとしての癖で考えてしまったが、イルミを苛立たせるだけならもう何も言うまい。

「あともうひとつ、これは母さん達が操られてるかもしれないから正しい情報とは限らないけどね、あの女の念は母親の念と同じだそうだ」
「母親って、君のお母さんの知り合いだっていう?」
「そう。でも普通、そんなことはありえない。あり得るとしたら、他人の念をコピーするか、奪うか」
「まるでボクの片想いの相手みたいだねぇ……」

ヒソカは長年恋焦がれている蜘蛛の団長を思い浮かべ、無意識のうちにうっとりとした。電話だから悟られなかったものの、これが対面であればちょっと聞いてるの?とイルミに睨まれたことだろう。

「でももし、そういう特質系能力なら、複数の系統を示す能力を持っていても不思議じゃないだろ」
「……えーと、じゃあ君の家に近づいたのは能力を盗むためなのかな?」
「それはまだわからないけど……命が目的にしろ正攻法で来るような武闘派じゃない。条件が揃うのを待っているみたいだ」

「やっぱりさあ、キミ、お父さんに相談した方がいいんじゃないかなあ」
「……」

どう聞いても一筋縄でいかなそうな相手だ。しかも一度殺されたのにまた家を訪ねてくるなんてまともじゃない。イルミの言うように何か目的があると考えるのが妥当だし、きちんと説明すればイルミの家族だって真剣に取り合ってくれるだろう。

「今、家族は誰も信用出来ないからね」

しかし、しばしの沈黙の後イルミから返ってきた言葉はそんなどうしようもないものだった。信用出来ないと言いつつ、彼自身が信用されないことを恐れているように感じる。もしかすると殺し損ねたことを両親に知られたくないのかもしれない。いつも目的の為なら手段を択ばない彼が躊躇するくらいだから、単なるプライドや見栄というよりもっと根深い問題なのだろう。
ヒソカは反論も忠告も無駄だと判断して、ただイルミの気が済むのを待っていた。

「そこでさ、ヒソカにひとつ、協力してほしいことがあるんだけど」
「なんだい?キミが殺しても無駄だったんだろう?だったらボクに出来ることはないと思うけど」

相手の手の内がわからない以上、こちらから下手に仕掛けるわけにもいかない。
話を聞いていて謎が多く興味深い能力だとは思えども、武闘派でないのならヒソカにとっては所詮クロロの下位互換だ。関わるリスクの方が大きいので、もし殺れという依頼なら断ろうと決めていた。

「手は出さなくていいよ。オレがあの女を捕らえるから、ヒソカには見張りをしてほしい」
「見張り?」
「そう。オレはもう一度あの女に針を刺す。まずは自白ね」

イルミは念のことや目的を喋らせるつもりだと言う。仮に効かなくても、この時点で彼女は自身を操作している操作系であると判断することができる。

「念のことが分かったら、針の副作用じゃなく今度こそ確実に目の前で殺す」
「つまり、ボクは彼女が起き上がるかどうかの見張りってわけ?」
「そう。執事じゃ家族の誰かに情報が漏れる可能性があるし、執事自体、既に操られていないとも限らない。ほんとはオレが見張りたいけど他の仕事もあるし、アリバイの都合上、あの女が訪ねてこない間に家を空けるのは極力減らしたい」
「ふぅん……」

内容的にはアリとまではいかないものの、ナシではない。いつものように暴れられる仕事でないのは不満だが、同時にリスクも少なく、恩を売るにはちょうどいいといったところか。

「ま、起き上がる瞬間が見れるのは面白そうではあるね」

そうでなくてもイルミを手こずらせている女だ。戦闘相手としてはいまいちだが、顔を拝むくらいは悪くない。

「いいよ、引き受けよう」
「じゃあよろしく」

ヒソカが了承の旨を伝えると、その一言だけでその通話は切られる。
あれだけ長々と話していたくせに、最後は実に素っ気ないものだった。

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