- ナノ -


キメラアントとの戦いは、人間側の勝利だった。
しかし残念ながらそれは圧勝ではなく、多大な犠牲を払って得た勝利にすぎない。一体どれほどの罪のない民間人が死んだ?一体どれほどのハンターが戦って死んだ?
薔薇により人類の危機を救われた我々は、薔薇によって尊い人を失った。

「会長っ……どうして……」

涙が後から後から溢れて止まらない。あんなに偉大で、多くの者に慕われた人はなかった。たまに突拍子もないことを言い出して、ビーンズや十二支ん、そしてなまえたち協会員を困らせることもあったが、みなそれをいつも心から楽しんでいた。ネテロ会長はどこまでもハンターらしく、いくつになっても探求心を忘れなかった。ほんとうに、素晴らしい人だったのに。

「なるほど、それでは次の会長を決めねばなりませんねぇ」
「っ!パリストン!」

まるで世間話をするかのような調子で紡がれた言葉に、なまえは身体中の血が逆流するのを感じた。彼は副会長で、呼び捨てにするなどもっての外だ。しかしそんなことすらも頭から抜け落ちてしまうほど、なまえは今の彼の言葉に憤った。許せない。あんなに会長に構って貰っていたくせに、会長が死んでも顔色一つ変えないこの男が、許せない。

「おやおやなまえさん、怖い顔をしてどうしたんです?」
「あなた、自分が何言ってるのか……!」
「わかってますよ、次の会長のことです。ハンター協会は組織ですから、頭がいないというのはまずいでしょう。これも事後処理を迅速に行うため、亡くなったネテロ会長のためですよ」
「……っ!あなたって人は、本当に!」

これがもしミザイやボトバイの言葉だったら、なまえだってそうは反感を抱かなかっただろう。確かに会長は必要だ。こんな混乱した状況だからこそ、指導者は要る。だが、むしろこの状況を楽しんでいるかのような男に、ネテロ会長のため、なんて白々しい言葉は絶対に使って欲しくなかった。

「それにあの会長のことですから、僕が言うまでもなく後任の人事についてはあらかじめ考えてあると思いますけどね。まぁ、無ければ無いで副会長の僕が繰上げと言う形に……」
「いや!あなたみたいな人に会長の跡は継いで欲しくない!」
「いやはやなまえさんの気持ちはお察ししますが、こういうものは民主主義で決めるものですからねぇ」
「……民主主義?」

どういう意味?と尋ねたが、パリストンはにこにこと笑っただけで答えない。しかし後日ビーンズによって流された会長からのメッセージを聞いて、パリストンの指していた“民主主義”が全ハンターによる“会長を決める選挙”だったのだと理解した。

▽▼

「うん、だってレオリオは医者を目指してるから、会長はやれないよ」

たった一人の少年の一言で、すべての状況は覆った。あぁ、これでパリストンの勝ちだ。だってあのレオリオという男にはもう会長をやる理由が無い。なまえは絶望して、それでも立ち上がった。あいつが勝ち誇る顔なんて見たくない。第13代会長が決まるまで会場からは出られないことになっているが、もう開票するまでもないだろう。現に今のゴンという少年は、パリストンに入れると言って出て行った。ならば自分も投票は済ませたしもういいはずだ。仮にこれでライセンスが停止になったって知るものか。あんな男のいる協会でなんか働きたくない。あんな男が代表となるような、ハンターという仕事もどうでもいい。なまえはジンの起こした騒ぎに紛れて、そっと会場を抜け出した。


「会長……」

とはいえ行くあてもなく、協会のすぐ近くの公園で、一人ベンチに腰かける。会場からは逃げてきたが、じきに新会長就任のニュースが流れてくるだろう。会長の死を悼まない男が、会長の跡を継ぐ。なんて酷い世の中なんだろう。パリストンの票の源である、副会長派の奴らだって、ネテロ会長には世話になったはずだ。それなのに金と権力に屈したりなんかして、情けない。情けなくて悲しくてまた涙が出て来た。「会長っ……」会長にとってはなまえなんてとるに足らない一協会員にすぎなかったのだろう。おそらくあのパリストンほどにも目をかけてもらえてもいなかった。

それでもなまえは心の底から会長を慕っていたし、同時にどうしてあんな男を傍に置いているのだろうと訝ってもいた。
パリストンは確かに優秀だが、その才を決して良い方向には使っていない。強力な兵器は頼もしいが敵となれば脅威となるに決まっている。これからハンター協会はどうなってしまうのだろう。なまえが再び涙を零した時、その霞む視界の先にここにいるはずのない男の姿を見た。慌てて目をこするが、見間違いや幻なんかではない。

「パ、パリストン!?どうして!?」
「おや、その声は……なまえさんじゃないですか。あなたこそ、こんなところでどうされたんです?」

なまえの声に、協会から出て行こうとしていた彼は立ち止まってこちらを見た。混乱したなまえはすぐさまパリストンに詰め寄ったが、相変わらず彼の表情は涼しい。一目でそれと分かるほど泣きはらした顔のなまえを見て、質問しておきながらも状況を把握したらしかった。

「またあなたは飽きもせずに泣いてらしたんですね。会長もこれほどまでに慕ってもらえて幸せでしょう」
「あなたが新会長でなければもっと幸せだったでしょうね」
「なまえさんはホント、僕に厳しいですよねぇ。嫉妬ですか?」
「……っ、そうかもしれませんね」

今更否定したところで、勝者はこの男。それに彼の言うことはあながち間違ってもいない。なまえの態度が意外だったのか、パリストンは少しだけ口角を緩めた。

「おや、今日はいつになく素直じゃないですか。ではそんなあなたに朗報です。私は新会長になりません、十二支んも脱退しました!」
「は?」
「よかったですねぇ、なまえさん、目障りな僕がいなくなってせいせいするでしょう?」
「ちょっと待って、どういうことですか!?選挙はどう考えたってあなたが……」
「皆さんから支持は頂きました。ですがやはり僕には少し荷が重すぎるようなのでチードルさんを指名させて頂いたのです」
「それって……!」

冒涜だ。会長は選挙で後任を決めろと言ったのに、その最期の言葉さえも彼は弄ぶのか。そんなの許せない。馬鹿にしないでよ!気が付くとそう叫んで、彼の胸ぐらを掴んでいた。といっても小柄ななまえでは彼にしがみついているだけのようにも見えるだろう。

「やめてください、あなたもチードルさんも会長のこと好きすぎますよ」
「当たり前じゃない!ネテロ会長は、皆に好かれてた、皆会長のことが……」

「ええ、僕も大好きでしたよ」

なまえは至近距離にある彼の瞳が、きらり、と涙の膜を張るのを見た。そしてそれを見た瞬間、金縛りにあったかのように動けなくなった。偽りだらけのパリストンの言動の中で、唯一それだけは本心なのだと直感的に悟ったからだ。

「パリストン、あなた……泣いてるの?」
「そう見えます?おかしいなァ、こんなに笑ってるじゃないですか」
「ええ、そうね……」

なまえはそれ以上何も言えなくなって、そっと手を離した。話を合わせたわけではなく、本当に彼の顔は笑っていたからだ。でも、目は泣いている。満面の笑みの中で、目だけが悲しそうに泣いている。

「それでは僕はこれで失礼しますよ。なまえさんも協会を辞めようなんて思わず、チードルさんを支えてあげてくださいね」
「……なんでもお見通し、ね」

いつもなら彼のすべてを見透かしたかのような物言いは癇に障るだけだった。だが今のなまえは小さく頷いただけで、言い返しもしない。

それはきっとあの嘘つきのパリストンが、心から会長の死を悼んでいたと知ってしまったからだった。


いないいないもういない
天泣(てんきゅう) 空に雲が無いのに細かい雨が降ってくること。狐の嫁入りとも呼ぶ。



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