「参ったなぁ、まさかヒソカに助けられるなんて」
なまえは真っ白なベッドに横たわったままの状態で、心の底から困ったようにそう呟く。けれどもその表情はどこか嬉しそうでもあり、ヒソカは肩を竦めるしかなかった。
「私、どのくらい眠ってた?」
「一日ほど、かな
キミが不意に倒れたときは驚いたよ
」
「はぁ、ブラックリストハンター失格だよね。追ってた相手に病院に連れてってもらうなんて」
「もともとキミはたいしたハンターでもないだろう
」
「うるさい、あんただって大したお金にならないくせに。知名度がいまいちなのよ」
「だったら追わなきゃいいじゃないか
」
なまえとは、ヒソカにとって一回目となるハンター試験で知りあった。
その時も例によって例のごとく受験者を物色していたヒソカだったが、正直、なまえのことはあまり覚えていない。その場にいた者よりかは優れていたのかもしれないが、おそらく気に止めるほどの逸材ではなかったのだろう。今では不作の年だったのかな、なんて勝手に思っている。そして当のヒソカも退屈しのぎに試験官を甚振ったら、不合格にされてしまった。
そしてそんな印象の薄い試験だったからこそ、しばらくしてなまえが自分の所へ訪ねてきたとき、彼女が誰だかわからなかった。名前を聞いても駄目。けれど、ハンター試験のことを持ち出されて、彼女があれに合格したハンターであると分かればそれで十分だった。
「だめよ、ヒソカは私のハンターとしての初仕事なの。試験の時から目をつけてたんだし、諦めるわけないじゃない」
「見る目はあるけど実力がないねぇ、そういうの早死にの元だよ
体調管理もできてないようだし
」
「じ、実力はそのうちつくし、今回はたまたま忙しくて疲れてただけなの」
なまえは痛いところを突かれたらしくふん、とそっぽを向いた。確かに彼女は少しずつ強くはなっているが、ヒソカの玩具になるには値しない。それでもしつこく追いかけてくる根性だけは認めていたから、殺しはしなかった。殺そうと思えばいつだって殺せるのだし、それなら飽きるまでおちょくる方が楽しいに決まってる。
「疲れてた、ねぇ……
」
ヒソカはついつい癖で、揶揄するような笑みを浮かべた。
こんな面倒事に巻き込まれるなら、放っていけばよかったと後悔しながら。
どうせヒソカにとって会わなければ忘れるくらいの存在だったのだ、なまえは。今回だって久しぶりに声をかけられてようやく、あぁキミか、なんて追いかけられていたことを思い出したくらい。そもそも自分は追われる側より追う側を好む。なまえがヒソカのことを追ってこなかったら、なまえがヒソカの目の前で倒れなかったら、こんな真実知らなくて済んだのに。
「そもそもヒソカが捕まらないから悪いのよ。過労死したらあんたのせいだからね」
「そっか、なまえが死んだら悲しいねぇ
」
「どうせ泣きもしないくせに。知ってるんだよ、毎回ヒソカに声をかけると”あ、忘れてた”って顔するんだから」
「おやおや、ポーカーフェイスには自信があるつもりだったんだけど
」
「そうだね、ヒソカは上手いよ。でもわかりきってる嘘をついてもしょうがないじゃない。ヒソカが大して強くもない私のこと、いちいち覚えてるはずないでしょ」
「それならやっぱり、倒れたまま放っておけばよかったなぁ
」
冗談めかして言ってみたが、それは本心だ。なまえのことは忘れたままでいたかった。何かの折にふと思い出して、そういえば最近見ないな、諦めたのかな、と思う程度でよかった。「いや、ヒソカには助けてもらって感謝してるよ」感謝なんてものに意味はないし、実際ヒソカは彼女を助けてもいない。それどころかヒソカは、彼女に伝えなければならないことを言えずにいた。
「それにしても、病院じゃなおさらその格好浮くね」
「ボクだってこんなところに来るのは初めてさ
」
「医者もびっくりしてたんじゃない?あ、でも、医者から話聞いてるヒソカを想像した方が面白いね」
「……まったく、人のこと馬鹿にして笑えるくらい元気でなによりだよ
」
「大したことなくてがっかりした?」
「まさか、キミが死んだらボクは泣くよ
」
いつもの調子で大げさに笑顔をつくったが、これもきっと本心だ。なまえの倒れた原因は過労なんかではない。昏倒して意識が戻らない彼女の代わりに、医者はヒソカに彼女自身すらも知らない彼女の病状を話した。放っておけばよかったのに、ヒソカが彼女の恋人だと嘘をついたからだ。
そしてヒソカはそんな自分の行動が理解できないでいる。理解できないままに、一週間彼女の見舞いに訪れた。一日ほど寝てただけ、なんて嘘だ。すぐばれてしまう上に何の面白みもない、ヒソカらしくない嘘だ。それでもヒソカは自分の行動の意味を理解してしまう前に彼女の元から去ろうと思っていたので、この嘘がばれても構わないと思っていた。全部、全部、自分の為だ。彼女に嘘をついたのも、ここから逃げるのも。
「はは、ヒソカが泣くなんて笑っちゃう。嘘つくならもっとマシなのつきなよ」
「だったら今泣いて見せようか?」
「え?」
きょとん、とした表情になる彼女の手に、ぽとりとひとしずく、雨が降った。きっと彼女の目には、左頬のマークがわざとらしく映っているだろう。呆気にとられる彼女に、ヒソカは何事もなかったみたいににっこりと笑った。
「ほら、嘘じゃないだろう
?」
「……こわ、あんたって嘘泣きも上手いの?」
「酷いなぁ、演技派って言っておくれよ
」
本当は自分で一番驚いている。どうせ涙なんて出ないと思った。なまえが死のうがヒソカにとってどうでもいい。だが、涙が出たことでわかってしまった。他人事のような感想しか抱けないけれど、たぶんなまえのことが好き、だったんだろう。
「それじゃあ、ボクはもう行くから
早く元気になってボクを楽しませてくれよ
」
「オッケー、待ってなさいよ」
彼女は嬉しそうに笑ったが、おそらくこれで会うのは最後になるだろう。ヒソカからなまえに会いに行くことはないし、彼女もきっと追いかけては来られなくなる。
病室を出たヒソカは自分の頬に手をやったが、もう雨は止んでしまったらしく、乾いた手触りしかそこにはなかった。
真っ青な嘘をつきます
俄雨(にわかあめ) 突然降ってきて、すぐに止んでしまう雨
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