■ 03.水色の崩壊
あれきり何度尋ねてみても、イルミは大丈夫だとしか言わなかった。
それどころかしつこく食い下がるナマエを「時間がかかるんだよ」と同じ回数だけ諌めた。だからナマエもきっと『妹』は治療のために入院しているのだと自分を納得させていた。
そして、イルミに『妹』を預けてからひと月近く経った頃だろうか。
「お待たせ、ナマエ」
その日、イルミは何やら美しく包装された箱を持った執事とともにナマエの家を訪れたのだった。『妹』を連れてくるとの連絡だったので、ナマエはずっと彼が来るのを待っていた。快気祝いのつもりで、ごちそうやら新しいおもちゃやらを用意して、それはそれは首を長くして待っていたのだ。
「よかった、もうあの子は大丈夫なのね!」
「うん。これでナマエとずっと一緒だよ」
「で、あの子はどこ?」
イルミは喜ぶナマエの目の前で、ゆっくり箱のリボンを解いた。包み紙を外し、蓋を開け、ナマエの表情の変化を逃すまいというようにまじまじと覗き込む。
「どう?」
ナマエは初め、何を言われているのか、目の前に差し出されたこれがなんなのか、すぐには理解できなかった。
「……なに、これ……」
「なにって、ナマエの大事にしてた猫じゃないか」
「そ、そんな……」
確かに、見た目はナマエの知る『妹』そのものだったが、毛並はぱさぱさに渇き、瞳の焦点は合っていない。一瞬の表情だけを半永久的に切り取ったそれは、剥製と呼ばれる代物だった。
「時間がかかったけど、ナマエのための特別製なんだよ。これならずっとずっと一緒にいられるでしょ?」
「……」
「どうしたのナマエ?嬉しくない?」
イルミはもっとよく見えるように、剥製をナマエにぐっと近づけた。「い、いやっ!」だがナマエはそれを強く振り払って、逃げるように後ずさりする。頭では理解できていなくても、『妹』が死んだことを悟った心は絶望に打ちひしがれていた。
「なんで……!なんで、殺したの……?」
もしもこの時、イルミが意地悪く笑ってくれていたら、ナマエは一生彼を憎むことができただろう。
だが、ナマエの問いにイルミは首を傾げ、どうしてナマエが取り乱したのかわからないとでもいうように大きな瞳を瞬かせた。
「なんでって、こうすればナマエと一緒にいられるからに決まってるだろ。ナマエが望んだことじゃないか」
「違う!こんな……」
「それに遅かれ早かれ寿命で死んでたよ。仮にあのまま生きてたとしても、あれ以上老化が進めば出来上がりの作品が悪くなるからね」
「っ、だからって!」
「ナマエ、どうして泣くの?オレ、何か悪いことした?」
極め付きのその一言で、ナマエは堰を切ったように大泣きし始めた。
怒りと、困惑と、後悔と。どうして自分はイルミに預けてしまったんだろう。どうして永遠なんて望んだんだろう。あの時、死を悟ったからこそ『妹』は暴れ、鳴いたのだ。どうして救えなかったんだろう。異変に気づいて、彼から取り返すことだってできたはずだったのに。一番あの子のことをわかってあげられたのは、ナマエだったのに。
「ナマエ、」
「触らないで!イルミなんか、イルミなんか……!」
優しく伸ばされた手は、一層ナマエを辛くさせた。イルミに悪気がなかったのは明白で、だからこそ彼は泣き出したナマエに困り、宥めようとしている。でも、イルミが悪くないのなら、いったい誰が悪いというのだろう。
「もう、オレのこと嫌い?」
自分の泣き声の響く中で、静かな問いかけが沁みるように聞こえてきた。
それは『妹』を失ったナマエよりもはるかに悲痛な色を滲ませていて、その悲痛が『妹』の最期の声と重なって聞こえた。
「イ、イルミなんか……」
嫌い。でもその一言を言ってしまったら、何かが壊れてしまう気がした。取り返しのつかないことになるような気がした。もうこれ以上、何かを失うのはごめんだ。
一方、目の前のイルミは深い底のない瞳でナマエの言葉を待っている。その冷たい沈黙はナマエを脅迫しているようにも、拒絶に怯えているようにも感じられた。
結局どのくらいそうしていたのだろう。
涙が枯れ、声も出なくなり、ナマエの口から洩れたのは嗚咽だけだった。
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