- ナノ -

■ 04.まやかしのきぼう

「常識では考えられない力?それって、つまりどういうこと?」

なまえの言葉を口に出して繰り返したイルミは、無表情のまま首を傾げた。見た目では何を考えているのか分かりにくいが、疑問を浮かべたということはそれなりに興味を持ってはくれたのだろう。なまえは足が震えてしまわないように両足に力を入れて踏ん張った。疑問をあっさり解消してしまってはまたなまえは用済みになってしまうかもしれないし、かといって勿体つけすぎれば針を刺されて白状させられるかもしれない。今はイルミが何の情報を必要としているのか、そのことだけを考えるのに脳を働かせなければならなかった。

「念能力という概念はこの世界に存在しない。だけど、異次元に行くなんて常識では考えられないような話はある」
「待って、行き来する方法があるってこと?」

瞬きをしたイルミは僅かに身を乗り出した。心持ち自分が早口になっていることに、彼は気づいていないだろう。それを見た瞬間、なまえはなんだか居心地の悪い思いに包まれた。たとえ相手が冷酷な暗殺者であろうと、家族のもとへ帰りたいのは当然じゃないか。帰れるかもしれないなんて思ったら、希望がわくじゃないか。
だが、あくまでこれはなまえが生き残るためだけの方便。まやかしの希望を見せるだけ。真っ黒な瞳に急かされて、なまえは重い口を開いた。

「こちらでそれは『神隠し』なんて呼ばれているの」
「『神隠し』……ねぇ、それってどうやるの?」
「まだ方法が完全に確立されているわけじゃない。でもあなたが向こうに戻るためのヒントになることは確かよ」
「……」

そこまで聞いてイルミは黙り込んだ。がっかりしているのかもしれない。それでもなまえの知る彼の性格ならば、もう次のことを考えているはずだ。

「悪いわね、力になれなくて。占いじゃどうしようもないもの。でもきっとどこかに詳しい人間がいるはずだから……」

なまえは彼の横を通り抜けると、じゃあねと言った。可哀想だけれど、関わり合いたくないのが本音だった。冷静なように振る舞っていても、心臓は早鐘を打っている。そもそも未だに、漫画のキャラクターである彼がこの世界にいることが信じられなかった。そして訳が分からない状況に直面すると、人間はとにもかくにもその状況から逃げ出そうとする。そして過ぎ去ってしまいさえすれば、あれは夢だったんだなんて都合のいいように記憶を改ざんするのだ。
だからなまえもそうするはずだった。このままイルミから逃げて、変な夢だった、で全て終わらせるはずだった。それなのに、

「待ってよ」

後ろから腕を掴まれ、逃げ出すことは叶わない。振り返って見上げたイルミからは、もう最初のような威圧感は感じられなかった。

「……なに」
「文字がまだちゃんと読めないんだ。この国の言葉、混ざりすぎだよ」
「え?」
「それにこの世界は面倒なことが多すぎる。会社や親から電話がひっきりになしにかかってくるし、操って対応してたら弱すぎて死んだ。死体はそのうち腐るだろうし、そろそろ今の女のところにいるのは限界なんだよね」
「女?死体?なんの話?あ、いい、やっぱり!聞きたくない」

おそらくそのままの意味合いだろうし深入りしたくないのだ。耳を疑うような言葉に反射的に質問してしまったが、慌ててなまえはそれを撤回した。

「詳しくないっていってもオレよりは詳しいんだし、あっちの世界もこっちの世界も知ってるなら話が早いよ」

断るなんて言わないよね?イルミはそう言ってなまえの顔を覗き込んだ。

「なるべく針は使いたくないんだよ。死体が増えるだけだし処理も面倒だし」
「わ……かった……」

はっきり要求を言わないくせに、有無言わさない雰囲気だけは伝わってくる。ほとんど本能的に頷いていたなまえは、この男は他人に物を頼むということができないんだな、なんて至極どうでもいいことを考えていた。もっともふつうに頼まれていたのでは確実にお断りしているが……。

「あーよかった」

そう呟いて両手を合わせてみせた彼に何一つ良くないだなんて、口が裂けても言えなさそうだった。


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