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■ 02.先の見えない物語

どうやらここは自分の知っている世界とは別の世界らしい。

針を使って女からすべてを聞き出したイルミは、彼にしては珍しく考え込んでいた。まぁでも、それも無理はないだろう。いくら念という普通の人間には見えない不思議な能力があるのは知っていても、『異世界』なんて聞いたことがない。それもただ別世界というだけでなくて、この世界ではイルミやキルアは漫画の中の登場人物だと言う。

信じろという方が無茶だった。
だが今のイルミは、それがどんな非科学的なことでも信じざるを得ない。記憶はおぼろげながらも自分は確か暗黒大陸に向かったはずなので、そういった未知の事態に遭遇してもある意味おかしくはないのかもしれなかった。

だが結局イルミにとって重要なのは、ここがどこであるかよりもどうすれば元の世界に戻れるかということである。向こうとこちらを繋ぐ何かしらのゲートがあるのか、それともこちらの世界にも能力者がいて、異世界間の移動が可能なのか。なんにせよ必要なのは情報であるが、集めるのも苦労しそうだ。

それにイルミにはもう一つ確認せねばならないことがあって、それが女の言った『ハンターハンター』という漫画だった。にわかには信じられないが、そんなものが公に出版されているのでは暗殺家業にとってたまったものではない。いくらパドキアで大っぴらに居を構えていると言っても、顔写真だけで億は下らないのだから情報漏えいもいいとこである。

イルミは落ちていた女の鞄を拾い上げ、役に立ちそうなものはないかと物色した。中から出てきたもののうち、使えそうなのは財布くらい。財布の中には見たこともない紙が入っていたが、おそらくこれがこの世界での紙幣なのだろう。イルミはまず、そのハンターハンターという漫画を探しに、外に出てみることにした。




「漫画って言ったら、やっぱり本屋だよね」

弟の部屋にあった雑誌を思い浮かべ、イルミはぽつりと独り言を洩らす。だが絶を使って歩いていると誰もイルミの存在に気づかないので、周りの視線を集めるようなことはなかった。イルミが本気で絶を行えば並の遣い手では到底気づけないのでそこは加減もしていたが、どうやらこの近くに念能力者はいないらしい。

しかし誰にも気づかれないお蔭で遠慮なく周りを観察することができ、この世界が自分の世界とそうも変わらないなと思った。もちろん生まれも育ちも暗殺一家のイルミと比べるのはよくないが、イルミの世界にだって一般人くらいはいる。そんな一般人たちとここの世界の人間の生活レベルはあまり変わらないように感じたのだった。

イルミはとにかく人の多い方に行けばどうにかなるだろうと、一般人とぶつからないように気をつけながらどんどんと歩いていく。着いたのは駅だった。今まで乗ったことが無かったけれども、この世界にも電車という乗り物は存在するらしい。流石に駅周辺まで来ると多くの店が立ち並び、イルミはようやくその中から本屋と思われる店を見つけた。

中に入ると狭い店内の中に大量の棚が並べられ、所狭しと様々な本が置いてある。イルミはちょうど、自分のすぐ後から店内へと入ってきた小太りの青年の後をついていくことにする。理由は酷く単純で、弟になんとなく雰囲気が似ていたからである。案の定青年は普通の書籍コーナーを通り抜け、キャラクターが表紙に描かれた本が置かれる、いわゆる漫画コーナーとおぼしき一角へとやってきた。

……ここの世界の奴らにとって、オレもこの中の一員なんだよね。

イルミはきょろきょろとあたりを見回し、自分の知り合いが表紙に描かれていないか探してみる。「あ……」そしてまさにキルアの描かれた単行本を見つけて、思わず手に取った。表紙に書かれた数字は『17』。どうやら数字は共通らしい。やはり話に聞いていたのと実際に自分の目で見るのとでは全く違って、イルミはページをめくって中を食い入るように眺めた。相変わらず文字は読めないものの話の中でキルアがドッジボールをしていて、隣にはゴンやあのヒソカまでいる。もちろんイルミはその光景を実際に目にはしていなかったが、他の巻にはハンター試験でのことも、選挙でのアルカをめぐる争いも全て描かれている。しかも誰か特定の人物に焦点をあてた伝記というわけでもなく、イルミはますます訳が分からなくなった。

漫画とは創作物だ。つまり誰かがこれを考えたことになる。しかしもちろんイルミだって、自分で考え自分で行動しているつもりだ。自分が先に動いて、それを記録する形でこの漫画が描かれているのか。それともこの漫画の筋書通りにイルミたちは動いているのか。ぞくり、と嫌なものが背筋を伝って、落ち着くために深呼吸をした。とりあえず、これだけ細かく描かれているなら、自分が暗黒大陸に渡ったあとどうなったのか、記憶があいまいな部分もわかるだろう。

だが、発行されている巻数は『32』。アルカの話のところで止まっている。完結している風でもないし、続きはどうなったのだとあたりをくまなく探したイルミだったが、どこにも続きを見つけられなかった。仕方なくイルミは誰かに聞いてみようと思ったが、このままの顔では知られている可能性も高い。かといってギタラクルの顔もしっかりと描かれていたので使えない。仕方なくイルミはさっき街ですれ違った一般人の顔を思い出しながら、針を刺していく。完成したのを手で触って確認すると、絶を解いて近くにいた青年に声をかけてみた。

「ねぇ、」
「う、うわ!び、びっくりした……」

歳の頃なら16、7か。彼は突然現れた(ように思える)イルミに盛大に飛び上がったあと、なんだよ……と恥ずかしさを誤魔化すように睨みつけてくる。だがそんなことはお構いなしに、イルミは手に持った漫画を彼に突き出した。

「この漫画、続きないの?」
「は?あぁ……ハンターは32巻までだけど」
「そう。続きはいつ出る?」
「そんなの、俺が知りたいっすよ」

「……それどういう意味?」

未定、ということだろうか。でもイルミの世界ではこれより先の展開がもう起こっている。首を傾げたイルミに、青年は少し面倒臭そうに口を開いた。

「休載してるんですよ。ていうか、連載してるほうが珍しい」
「なんで休載してるの?」
「なんでって、そーゆー漫画家だからとしか。それでもファンはついてくるんだから、仕方ないでしょう」

青年はやれやれと言わんばかりに溜息をつくと、イルミをまじまじと見つめた。「ってか、お兄さんこそどっちかっていうと世代じゃないんですか?俺、兄貴の漫画借りてはまったくちだし」兄貴、という言葉に、不意に弟たちのことが思い出された。キルアならば叶えられるお願いに際限のないアルカに命令して、空間移動させることも可能なのではないか。だがキルアはイルミが異世界に飛ばされたことを知らない。どうにかして伝えられると良いのだが、その方法を探すにしてもとにかく情報が足りない。

「お兄さん、聞いてます?」

少しだけ不機嫌そうになった青年はそう言って眉をしかめる。それにうん、聞いてるよと適当に返事をしたイルミは、漫画のページを開いて中を指差して見せる。「そうだ、この文字解読できたりしない?」幸いにも青年はこの漫画に詳しいようなので、聞けることはなんでも聞いておこうと思った。

「ん……?ハンター文字のことっすか?」
「そう。日本語と対応した表とかあると助かるんだけど」
「あー。確かそれはこっちのガイドブックに載ってたと思うけど……あ、あった、これこれ」

青年は近くに会った表紙が銀色の本を手に取ると、一覧表を見せてくれた。「ほら50音」50音ということはあいうえおか。それでは日本語と言うのは、50音と漢字を組み合わせた言語で構成されているということになる。祖父はある程度漢字が読めたが、イルミはそうではないのでおいおい辞書を買う必要もあるだろう。

「そ。助かったよ」

イルミはとりあえず発行されている全ての巻と、ガイドブックを両腕に抱えて青年に礼を述べる。彼は一瞬呆気にとられたような表情になったが、イルミが出口に向かおうとしたので慌ててレジはあっち!と叫んだ。

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