- ナノ -

■ 20.気休めの住処

「イルミっ!」

人影を見つけた途端、なまえは走り出していた。見間違えるわけがない、鳥居の前に座り込んでいるのは紛れもなくイルミ本人だ。しかし呼びかけても彼は顔を上げず、俯いたままだった。「イルミ、よかった……」彼にとっては”よかった”などと思えないだろうが、なまえは彼の姿を見たことで心の底から安堵していた。

「イルミ、大丈夫?昨日は置いて行ってごめん……でも私どうしたらいいかわからなくって……」
「……」
「イルミ?どうしたの?」

まさか寝ているなんてことはあるまい。仮にそうだとしても、人の気配に敏い彼がここまでされて気が付かないわけないだろう。躊躇いは捨てて肩をゆすった。見た目には細く見えるイルミだが、やはり筋肉の厚みがある。「ねぇってば」けれどもそんな頑丈な身体に反して、ようやく顔を上げた彼は酷く儚げに見えた。

「……なんで、なんでなまえがいるの」
「……」
「ねぇ、帰れるんじゃなかったの?
……なんでオレはまだここにいるの?」

大きな黒目がちの瞳が、答えを探すように揺れている。ここまで不安定なイルミを今まで見たことが無かった。漫画の中でもこちらの世界でも、彼はいっそ鋭さを感じさせるくらいに強かった。それなのに、今のイルミは少し触れただけでも壊れてしまいそうな雰囲気を漂わせている。

ハッとしてなまえは思わず掴んでいた肩を離した。そして答えに窮してうなだれるしかなかった。初めから帰れない可能性があることはイルミもわかっていたはずだ。しかしそれをもう一度ここで説明してなんになる?
イルミに希望を持たせたなまえとしては言い訳にしかならないし、彼を慰める言葉としても足りない。

「……帰ろう、イルミ」

掠れた声でそう言うのが精いっぱいだった。

「オレが帰りたいのはなまえのところじゃない」
「わかってる、でも帰ろう」
「いやだ」
「イルミ、」
「もう放っておいてよ」

さらり、と綺麗な黒髪が流れて、彼の表情が見えなくなる。なまえは黙ってその場を動かなかった。言われた通りに彼をまた置いていくのは簡単だったが、きっと本心からの言葉ではないだろう。それもそのはず、ここでまたなまえまで去ってしまったら、本当に彼はこの世界で一人きりになってしまうのだ。

「放っておかない」

自分の口をついて出た言葉に、実はなまえ自身が一番驚いている。
イルミに侵食されてく日常が怖かったのに、関わりたくないとすら思っていたのに、いつのまにかイルミと過ごす生活を受け入れていたのだろう。特にこうやって目の前で不安定な状態を見せられると、心の底からなんとかしてあげたいと思った。だから正確には”放っておけない”と言った方が正しいのかもしれない。

「帰ろう、イルミ」
「……」
「こっちでも”ゾルディック”を必要としてる人はいるんだよ」

その言葉は流石に効き目があったらしい。「……帰るつもりで、もう仕事は受けないって言った」ようやくまともな返事が返って来て、なまえは内心胸を撫でおろす。

「じゃあきっと困ってるよ。だからイルミが受けるって言ったら喜ばれると思う」
「……」

「イルミじゃなきゃダメなんだ」

一瞬視線がぶつかって、すぐに反らしたイルミの口角は皮肉気にゆがめられた。

「……それを言うならキルアでしょ」

呆れた、と言わんばかりの馬鹿にしたような口調だったが、どことなく自嘲めいてもいる。

「ドッジボールのときはね。でも今この世界で必要とされてるのはイルミだから」
「……なまえってほんとにバカじゃないの」
「うん」
「そんなこと言われてもちっとも嬉しくないよ」
「……うん、ごめん」

わかっている。イルミが望んでいるのはこの世界ではない。
それでも一応ここにも帰れる場所があることは覚えていて欲しかった。

「ね、うちに帰ろう、イルミ」
「……」

ややあって諦めたように頷いた彼を見て、なまえは少し切なくなる。しかしその切なさを押し殺して、よかった、と無理に笑って見せた。

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