■ 17.逃げ出したさよなら
目を開けると、本当になまえは一人になっていた。
ぐるりと一周辺りを見回しても人影はなく、物音さえしない。何もないのに思わず後ずさりして、自分が枯れ葉を踏みしめた音にドキリとした。しかしそれ以外は何も聞こえない。
かくれんぼなのだからこの後どうするべきなのかはわかっているのに、なまえはしばらくの間そこから動けなかった。
「……イ、イルミ?」
やがて、控えめに呟かれたそれに返事はない。もっとも、呼びかけて出て来るようならこの遊びは成立しないのだ。だがなまえは心細くなって、彼の名を呼ばずにはいられなかった。
「イルミ、いるなら返事して……」
そうでなくても日当たりのよくない場所だ。徐々に暗くなっていく竹林に、不安は増すばかり。「イルミってば!」大きな声を出してみたが、帰ってくるのは沈黙だけだった。不思議なもので、風一つ吹きやしない。
なまえはほとんど無意識のうちに息を潜めていた。探す側のなまえがそんなことをする必要は無いのに、なぜか自分の呼吸音を聞かれるのが怖い。馬鹿みたいにうるさい心臓の拍動が忌々しかった。
だが、それでもこうして突っ立っているだけでは何も始まらない。いや、なまえは始まらせたいのではなく終わらせたかった。
今やイルミが帰れるか帰れないかなんてどうでもいい。それどころかあまりの静けさに自分の方が"神隠し"にあったのではないかと怖くなっていた。とにかく早くこの恐ろしい遊びをおしまいにしてしまいたい。
なまえは覚悟を決めると、ゆっくりと辺りの捜索を始めた。だが、少し歩く度に何度も振り返って、そこにあの鳥居が見えるのを確認せずにはいられなかった。
▽▼
探し始めてからどのくらいの時間が経ったのだろう。辺りはすっかり暗くなっていて、腕時計の文字盤は見えなくなっていた。だからなまえは携帯を取り出して時刻を確認し、自分が3時間以上もここにいたのだということをようやく知った。
けれども、依然としてイルミは見つかっていない。なまえとしては正直こんな方法で本当にイルミが帰れるとは思っていなかった。だからこそ彼を見つけねばならないのだが、これだけ探していないとなると奇跡が起こったのかもしれない。
なまえはすっかり疲れてしまって、汚れることも気にせずその場に座り込んだ。夜目が効くわけでもないなまえでは、これ以上の捜索は不可能だろう。それどころか自分すら、ちゃんとこの竹林から出られるのかどうか怪しい。疲労感と不安で泣きたくなってくるのを懸命にこらえた。
しかし一方でまた、もう許されるのではないだろうかとも考え始めていた。こんなに探したんだから、もうよいのではないか。イルミはきっと元の世界に帰ったのだろう。だからなまえも帰っていいのではないか。義理は充分果たしたと思うし、今ここでなまえが帰ったとして誰がそのことを責めるだろう?
「……イルミ、私、もう帰るよ?いるなら出てきて。ほんとに帰るから」
暗闇に向かってそう呼びかけた。それでも返事がないので彼は帰ったのだと無理矢理自分を納得させたが、本音のところではまだどこかに彼がいるような気がしていた。だって、いなくなるはずがないのだから。
「イルミ、これが最後だよ。私、帰っちゃうよ」
かくれんぼの途中で帰ってしまうのはとても酷いことだ。鬼にはきちんと見つけてあげる義務がある。けれどもなまえにはもうお手上げで、たとえまだイルミがこの竹林のどこかにいるとしても置き去りにするしかなかった。そしてきっとイルミはまだここにいる。ここにいて、なまえが探したり声をかけたりしている一部始終を余さず見ている筈なのだ。
そして、どうして彼が隠れたままでいるのかも、なんとなくなまえには予想できた。
「……」
しばらく待ってみたがやはり帰ってこない返事に、小さく肩を竦めるしかない。そしてやおら立ち上がると、汚れを手で払ってなまえは帰ることを決めた。
どうせイルミの気が済むまで、こちらには何も出来ないし、なまえとて流石にここで一晩明かすほどの勇気はない。どうしても気になるのなら、また明日明るくなってから来ればいいだろう。それでもイルミがいなければ、彼は帰ったということでなまえはまた今まで通りの生活に戻る。時間が経てばイルミとの奇妙な生活も貴重な思い出になる──いや、そのうち夢だったのかもしれないとさえ思うようになるはずだ。
なまえはおぼろげな方向感覚を頼りに、元来た道を引き返し始めた。携帯電話のカメラ機能を懐中電灯代わりに、ゆっくりと歩いていく。だがその足取りは次第に早くなり、終いには駆け足になっていた。まるで何かから逃げるみたいに息を切らして、時折竹の根っこにつまづきそうになりながら、懸命に走った。
なまえがその時必死で逃がれようとしていた何か。それはもしかすると、責任や罪悪感と呼ばれるものだったのかもしれない。
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