- ナノ -

■ 16.沈黙は毒

自宅から最も近い”スポット”とはいえ、そのような伝承の残る地方に行くには時間がかかる。慣れない道でもあるし、単純に労力を考えれば電車を利用した方が楽だったが、なるべくイルミは目立たないほうがいいだろう。

助手席に座ったイルミは、先ほどから何も喋らず窓の外ばかりを見ていた。


実際、普段一緒にいても彼は饒舌なほうではない。意思の疎通に困るほどではないが、必要最低限の会話しかしないし、世間話や下らない冗談などを言い合ったこともない。
だが、そんな普段のイルミを鑑みても、今日はいつにも増して口数が少ないと思った。表情は相変わらず乏しいが、纏う雰囲気は研ぎ澄まされたように鋭く、これから起こる”何か”に備えているようにも、また見ようによっては怯えているようにも見える。

もちろん、凄腕の暗殺者をつかまえて怯えている、なんて評するのは酷く馬鹿げているかもしれないが、とにかく物言わぬイルミの横顔からは追い詰められた者の覚悟が感じられた。

「イルミ、」
「……」
「もうすぐ着くけど」
「……」

その言葉にようやくイルミは窓の外から視線をこちらに向けた。運転しているなまえはそれを視界の端でとらえただけに過ぎなかったが、それでも緊張感が増す。イルミのぴりぴりした空気がこちらまで移ったのかもしれない。
狭い車内は窮屈で息苦しかった。

「時間もちょうどいい頃合いだと思う、逢魔が時ってやつね。こんな田舎だし、適当に車停めても──」
「ねぇ、なまえ、」

沈黙を破ったからには責任がある、と言わんばかりになまえの口はどうでもいいことを話しだす。しかしそれは他ならぬ沈黙の原因であるイルミによって遮られ、再び元のような静寂が車内を包んだ。
高級車でなくとも、日本の車はエンジン音が静かだ。都会の喧騒もここにはない。だからイルミがなまえを呼んだのは無駄なお喋りを止めさせるためだったのかもしれない。その後の言葉を続けない彼にそう思い始めた頃、もう一度イルミは「なまえ、」と呼びかけた。

「本気で、帰れると思ってる?」


人を騙すという職業柄、相手の望んでいることを察する能力は必須だった。それが正しかろうがそうでなかろうが、相手の望む反応を見せ、相手の望む言葉を与える。そうやってなまえは他人の心の隙に付け入ってきたし、自分でもその能力は優れているほうだと思っていた。

だが、このときばかりはなまえは自分の言うべき答えがわからなかった。
もっといえば、イルミの質問が本当に自分に向けられているのかさえ怪しいと思った。

ここは何も知らないふりをして気休めを言うのが正解なのだろうか。それとも、上手くいかない可能性を示唆しておいて、後のダメージを和らげるほうがいいのだろうか。

なまえは車を路肩に停めると、シートベルトを外した。そしてドアに手をかけ、そのまま外へ出る。「着いたよ」なまえが声をかけても、イルミはなかなか腰を上げなかった。かといってなまえのほうを見るわけでもなく、フロントガラスのその向こう、どこか遠い遠いところを見ているようだ。

が、やがてのろのろと車外に出たイルミは、先ほどの質問の答えを催促することもなくただ黙って歩き始める。逢魔が時と呼ばれる紫色の混じる夕暮れの中、なまえもその後に着いていくだけだった。


▼▽


「かくれんぼはね、オレも昔はよくやらされたんだ」

ぽつり、とそう呟いたイルミに、なまえは黙って頷いた。
おそらく彼の言うそれは気配を消す修業の一環であって、きっとなまえが子供の時にやったような楽しいものではなかっただろう。そもそもかくれんぼは強制されてやるものではない。

しかし、今のなまえはほとんど強制されているも同然だった。
イルミに続いて誰の所有地ともわからない竹林を抜け、着いたそこにあったのはプレハブ程度の大きさしかない小さな神社。神主はおろか人が参っている気配もなく、放置されているように見える。本来ならば神聖な場所であるはずなのに、なまえにはどこか重い空気が漂っているように感じられた。

「……私が探せばいいの?」
「うん」
「……わかった」

正直なところ、神隠しが起ころうが起こるまいが、なまえにはイルミを見つけられないのではないかという不安があった。もちろん周りは竹ばかりでろくに隠れられる場所もないだろうが相手はプロだ。きっとなまえには見つけられない。
それでも、元の世界に帰るつもりでいるイルミに──なまえに見つけられる事態が起こって欲しくないと思っているイルミに、見つける前提であまり気配を消さないでくれとは言えなかった。

「じゃあ……100数えるね」

なまえがそう言うと、イルミは神妙そうに頷いた。
こんなこと、いい歳をした大人がやるようなことではないが、なまえもまたつられるように真剣な表情になった。
ぼろぼろの鳥居に向かい、深呼吸して目を閉じる。もうこの時点でなまえにはイルミの気配がわからない。夕暮れに不気味な神社の前で一人だと思うととてつもなく心細く、数を数える声が震えそうになった。

だが、今更やめることなんてできない。

自分の声しか聞こえない状況で、なまえは早く100まで数え終わればいいのに、と思うことしかできなかった。

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