- ナノ -

■ 15.無駄なことなんてない

その日も仲介料だと言って置かれたお金に、なまえはもう小さく頷くだけだった。
借りはもう十分に返してもらった。それどころかイルミの稼ぎははるかになまえのそれを上回っている。向こうの世界では億単位で稼ぐ彼のことだから、こんなものははした金でしかないのかもしれないが、仲介料として渡される一部ですらなまえにしてみれば大金なのは間違いない。次第にこちらが斡旋せずとも依頼が舞い込むようになって、なまえはもはや彼の秘書のような立ち位置になっていた。

「……イルミ、また依頼が来てるけど……」

伝えるべきかどうか迷った挙句、結局なまえはいつも仕事の内容を話す。本当はもう仕事をしてほしくは無かったが、そんなこと言えるはずもない。仕事をするようになってからのイルミは、ここへ来た当初よりも格段に落ち着いているように見えた。知り合いもいない、自分の存在すら異質であるとされる世界では、何かしら打ち込めることがあったほうが気が紛れるのかもしれない。

そしてイルミは仕事をする際、隠すこともなく本名を名乗っていた。それも”イルミ”の方ではなく”ゾルディック”の方。もちろんなまえは反対したが、彼は「まさか本当に漫画のキャラクターだとは誰も思わないよ」と言って取り合わなかった。その時、その抑揚のない声に少しだけ自嘲の気配が漂っていた気もする。

実際のところ、彼が言ったように漫画のキャラクターと同じ名前を名乗るイルミのことを誰一人として疑いはしなかった。ハンターは有名な漫画だ。知っている人間も大勢いるし、ゾルディックを名乗るイルミのことを面白い奴だと笑った者もいるらしい。しかしイルミが依頼をこなしていくにつれ、誰も彼のことを名前でからかう者はいなくなった。それどころか、腕が良いから伝説の暗殺一家にちなんで”ゾルディック”という通り名なのだとすら思われるようになっていた。

「受けてくれて構わないよ。って言っても、なまえに下調べを手伝ってもらうことになるけど」
「それは別にいいけど……」

しかし名前が通るようになって、ほとんど毎日のように仕事をこなしていてもイルミは稼いだ金を何に使うわけでもなかった。
元々仕事以外に趣味のなさそうな彼だが、得た金で何を買うわけでも遊ぶわけでもない。前に本人が言った通り、彼にここの世界の通貨などほとんど意味がないのだから貯金をしたところで無駄である。それなのにイルミは働くことを辞めようとはしなかった。だからこそなまえは、”仕事”こそが彼にとっての生きがいなのだと悟り、余計に何も言えなくなっていた。

だが、

「あのさ、イルミ……元の世界に戻る話なんだけど……」

仕事をしてからの彼は、元の世界に戻るための話をしない。”神隠し”のことが出まかせであるなまえにしてみれば触れられたくない話題ではあったが、こうも触れられないと逆に不安になる。きっとイルミのことだから元の世界に戻ることを諦めるなんてことはないだろう。
正直、なまえはイルミのことをどうしたらいいのかわからなかった。彼は元の世界に帰るべきだと思う。でもその手がかりは今のところなく、なまえが役に立たないと分かれば彼はなまえに見切りをつけて殺すかもしれない。だからと言っていつまでもずるずるこんな関係を続けていくのも苦しかった。このままだと完全にイルミがなまえの生活の一部となってしまうような気がして怖いのだ。

二人の関係は決して男女間の艶めいたものではない。イルミとの間には何もなかったが、身体の関係よりも重い”共犯者”という関係があった。またイルミにとってこの世界ですべての事情を知るのはなまえしかおらず、必然彼は依存気味になっていた。なまえがなまえの仕事をすることをよしとせず、なまえが他の人間と関わることにも難色を示す。はっきり言って重かった。漫画のキャラクターと話をしている優越感などどこにもない。イルミが来るまで確かにあったなまえの生活は、全てが変わってしまったのだ。

「あぁ、オレもちょうどその話をしようと思ってたんだよね」

おそるおそる話を切り出したなまえに、イルミはちら、と視線を寄越した。「自分でも色々調べててさ、」彼はPCの前に座るなまえの前に身を乗り出すようにしてマウスを奪うと何やら検索をし始めた。いつの間にかローマ字も完璧にマスターしているらしく、細く長い指がなまえより滑らかにキーを叩く。

「”神隠し”には色々条件があるみたいなんだけど、今度一緒にここへ行ってくれない?」
「ここは……」
「たぶんだけど、ここから一番近いスポットでしょ。オレ一人じゃまた妨害されるかもしれないし、なまえに来てほしいんだよ」

開かれた画面は、よくあるようなオカルトサイトでしかない。だが、イルミが行きたいと言った場所は、そういった類のものに詳しくないなまえでも神隠しスポットとして聞いたことがある場所だった。

「私はいいけど……」

どうせ帰れやしないのだ。”神隠し”なんて起こるはずもない。それでもこんなちゃちなサイトの情報でも試してみようとしているイルミにそんなことは言えなかった。

「そう、よかった。じゃあ、明後日でどうかな」
「……どうして今までこれを言わなかったの?」
「言っただろ、色々条件があるって」
「条件って?」

ネットの情報なんて嘘に溢れている。いくら情報系は次男のミルキに任せていたとしても、イルミだって情報を選別する能力くらいあるはずだ。イルミは画面からこちらに向き直ると、ゆっくりまばたきをした。

「とりあえず、明後日にはキリのいい数字になるんだよ」

──だからさっき言ってた依頼、受けておいてね。

なまえはそこで、彼が常に元の世界に帰ることを考えていたのだと改めて思い知らされた。そしてその為に彼が築き上げた死体の山を想像して、背筋がすうっと冷えるのを感じた。

[ prev / next ]