- ナノ -

■ 13.中心になれなかったこども

お金の綺麗さには、今更拘らないだろ?

イルミは確かにそう言って、なまえ自身もこれまでずっとそう思っていた。
お金と言っても所詮はただの紙切れだし、使ってしまえばすぐにでも手元からなくなっていく。真面目に稼いだ金との見分けなんかつくはずもないし、なまえは今までそんなお金でごく当たり前のように生活をしてきた。

だから、今更イルミのことをとやかく言う権利はないだろう。それなのに、なまえはイルミが殺しの仕事を始めると言ったとき、胸の内に抵抗を感じた。
そもそも彼に至っては殺しが本職であるとわかっているのに、他の仕事ではだめなのかと聞かずにはいられなかった。

「他の仕事って例えば?まさかオレに盗みをやれっていうの?」
「そうはいってない……でも、他にいくらでもあるよ。身分証なら多少誤魔化せるし、普通のバイトだって、」
「一応あの漫画有名みたいだし、これ以上面倒事はごめんだね。それに新しく仕事を探すより、慣れてて割のいい仕事の方が良いに決まってる」

イルミはそう言って、気だるそうに髪をかき上げた。確かにその綺麗な長髪も、『こちらの世界』では人目を引いて仕方がない。なまえは今更周りの人の存在を思い出して、少し声を落とした。

「とにかく、続きは帰って話そう?イルミも、もう一度ちゃんと考え直してほしい」
「と、いうことは斡旋できなくもないんだ?」
「……直接できるわけじゃない。ただ色々と噂は聞くってだけ」
「嫌なの?」

成り立っているようで成り立っていない会話に、歩きかけていたなまえは振り返った。「……何が?」イルミは相変わらず自分のペースで話すからわかりにくい。距離をとってようやく、無理に顔を上げなくても目が合うようになった。

「足がつくようなことしてなまえに迷惑をかけたりしないし、今まで借りてたお金も返せる。それでもやっぱり、人を殺してきた奴が自分の家に帰って来るのは嫌?」
「……」

なまえの唇は答えを探すように小さく動いた。本音を言えば、もちろん怖い。だが一方で、今殺しの仕事を始めてもイルミは今まで通り何も変わらないようにも思う。なぜならそれが本来の彼の姿で、逆にそれ以外の仕事をしているイルミはイルミでない気がしたのだ。

「わからない……やってみなきゃ、そんなのわからないよ」
「じゃあやってみればいい。そうでしょ?」

イルミは簡単なことじゃないか、と言わんばかりに戸惑うなまえを見下ろしていた。そしてもうこれは彼の中で決まってしまったことらしく、雑踏の中へ溶け込むように混じった。
あんなに目立つ容姿をしているくせに流石にプロは違う。きっとこのままだったらなまえはあっという間に彼を見失ってしまうだろう。なまえは追いかけようとしたけれどなぜだか足が思うように動いてくれなかった。夜の街を颯爽と歩くイルミは、文字通りなまえとは住む世界の違う人間だった。

「……なにしてるの?帰るよ」

けれどもいくらも行かない内に、イルミは足を止めて振り返った。まるで彼の弟にでも言うような口ぶりで、他の誰でもないなまえを待っている。その瞬間、魔法が解けたみたいになまえの足は元のように動き始めた。

「……帰るって、私の家にじゃないの」
「は?何言ってんの、当たり前だろ」

小走りになって追いつくと、ようやくイルミと並ぶことができた。どうやらイルミには居候をしているという自覚があまりにも足りないらしく、さらには先ほどなまえの仕事をぶち壊したということもすっかり忘れ去っているらしい。ただ、なまえの家に帰ることが当たり前だと言った彼に、なまえは心のどこかで安堵していた。出て行ってくれたら清々するはずなのに。いつ殺されるかわかったものじゃないのに……。
なまえはわざとらしく溜息をつくと、隣を歩く彼の横顔を眺めた。

「……ほんと、イルミって自己中よね」
「そう?今初めて言われたような気がするけど」
「それはきっと、皆気を遣ってるからでしょ」

使用人の身分でそんなことを言おうものなら、いくつ命があったって足りない。もしかしたらヒソカぐらいは言ったことがあるかもしれないが、どうせ彼はヒソカの言葉なんて聞き流しているだろう。第一、そのヒソカ自体かなり自分勝手な男であるようにも思う。「そうかな……」イルミは二、三度瞬きをすると、少し考え込むような雰囲気を見せた。

「オレは自分が中心だって思ったことないな」
「うそ、無自覚のほうがタチ悪いわよ」

「だって、中心になれなかった」

ぽつり、と呟かれた言葉は、抑揚が無いからこそなまえの胸に刺さった。彼が指すのは言わずもがなゾルディック家の中心ということであり、なまえは何と返事をすればよいのかわからない。確かにそういう意味では、イルミは自己中心的どころか、自己犠牲的とさえ言えるだろう。なまえはふっ、と口元を緩めると、イルミの背中を軽く叩いた。

「じゃあ、ちょうどいいのかもね」
「なにが?」
「こっちの世界でくらい、イルミが中心でいいのかもしれない。ムカつくこともあるけど我慢してあげる」
「なにそれ……バカじゃないの」

見開かれた瞳はすぐさま伏せられた。心なしか、彼の歩調が緩む。

「いいのよ、今はバカで。その分しっかり元は取らせてもらうから頑張って働いてね」
「さっきまで殺しに難色示してたくせに」
「まぁね……でも、イルミはミスなんかしたりしないでしょ?だったら私にはどこで誰が死のうと関係ないから」
「なまえも無自覚の自己中だね」

ただ、言葉通り関係ないと割り切れるほどなまえは強くなかった。所詮、嫌なことから目を反らして、関係ないと無理矢理自分に言い聞かせているに過ぎない。

「自己中にでもならなきゃ、こんな世の中生きていけないよ」

どこか言い訳めいた口調になるなまえに、イルミはそう、とだけ短く返事した。

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