- ナノ -

■ 08.心の中身は見たくない

だいたいの生活用品を買いそろえて、二人は帰路に着いた。怖いと言ってしまったことに対してなまえはまだ少し気まずい思いをしていたが、イルミがどう思っているのかその表情から読み取るのは難しい。

自宅に戻るなりイルミは黙って漫画を読み始めたので、なまえは遅めの夕食を作ることにした。彼は黙りっぱなしでこちらに読めないところなど聞きに来ないので、ほとんど問題なく文字を読めているらしい。机の上に積んだままだったワーク類を片付けて、なまえは席に着く前に声をかけた。

「……イルミ、」
「なに」
「ご飯、一応作ったけど食べる?」
「……」
「食べられるときに食べておいたら?」

返事の代わりに、イルミは漫画から顔を上げた。しおりを挟むわけでもなく、ひっくり返して開きっぱなしにするわけでもなく、ぱたんと閉じて机の方に向かってくる。普段からいいものを食べている彼に素人の作った料理を振る舞うのは気が引けたが、インスタントコーヒーと同じでこれにも慣れてもらうしかない。夜も遅いため簡単に済ませようと、作ったのはひき肉と野菜入りのオムレツだった。

「いただきます」
「……日本ってさ、オレの世界でいうところのジャポンみたいな国なんでしょ?」
「え、あ、うん。そうっぽいよね。スシとか忍者とか」
「こんなナイフとかフォークとか出てくるとは思わなかった」

ナイフでオムレツを割ったイルミは少し断面を覗き込んでから、ゆっくりと口に運ぶ。そんな警戒しなくても、と思ったが、もしかしてふわふわ感がないからだろうか。イルミは特に何のリアクションもせずに、機械的に食事をしているように見えた。

「まずいって言わないの?」
「え?」
「ほら、さっきのコーヒーは言ったじゃない」
「あぁ……まぁそうだね」

育ちの良さがふとした仕草からうかがえる。同じナイフとフォークのはずなのに、イルミのそれは銀食器のようにも見えた。

「コーヒーはなまえが挽いたわけじゃないけど、この料理はなまえが作ったんだろ?」
「うん」
「だから言わない。それとも言った方がいい?」
「……それって気を遣ってくれてるわけ?」

イルミにしては殊勝な台詞に、なまえは少し驚いた。お金のこともそうだが、なんだかんだで彼はしっかりした大人なのだ。ただちょっと家業が変わっているだけで、根っこから性格が悪いというわけでもない。漫画で見ていたイルミは一応悪役側として描かれていたので、尚更違う一面を見るのは新鮮な気がした。「イルミのこと、誤解してたかも」なまえは特に料理が上手いわけでもないので、正直もっとボロクソに言われるかと思っていたのだ。しかし意外とイルミが常識人だったので、なまえはこれを機にさっきの怖いという発言を謝ろうとした。が、

「まぁ、オレにだってまずいものをまずいと言わないマナーくらいは持ち合わせてるよ」

次のイルミの言葉を聞いて、出かかった謝罪の言葉は潰えた。

「イルミのこと誤解してたのが誤解だった」
「は?」

ほとんどまずいと言っておきながら残さず完食しているのも、どうせそれがマナーだからだろう。食べ終えるのが早いイルミはさっさと自分だけ席を離れて、再び漫画の続きを読みに戻っていった。

「……一日足らずで読めるようになるなら、私別に必要なかったじゃない」
「まだ完璧じゃないよ。でも漢字に全部ルビがふってあるからね」
「え?そうなの?」

そう言われれば、気にしていなかっただけで平仮名がふってあったような気がする。しかしそれなら尚更勉強する必要がなかったように思えて、なまえは思わずやり終わったワークの束をちらりと横目で見た。

「別に漫画を読むためだけに文字を覚えたかったわけじゃないから。情報収集にだって必要だし」
「そうだけど、でもそれなら私に会う前に漫画は全部読めたはずじゃない」
「そうだね。読もうと思えば読めた。実際、少しは読みかけてたよ」
「じゃあなんで……」

正確にはわからないものの、女性の死体が死後一週間経っているらしいので、イルミにはたくさん時間があったはずだった。それこそルビ付きの漫画を読めば、文字の勉強にもなったんじゃないだろうか。目的のために最短、最善を尽くそうとする傾向のある彼が、一番興味の沸きそうな漫画を後回しにしていたのが酷く不自然に思えた。

「漫画ってさ、すごく不思議だよね。その時の行動だけじゃなく心の声まで描いてある」
「……」
「家を出てからのキルは、ゾルディックなんてすっかり忘れてるんだなって改めて思った」
「そんなこと……ないと思う」

蟻編で針を抜くまで、キルアはずっとゾルディックに、イルミに縛られ続けていた。針を抜いた後でさえ、アルカのことを含めて彼はゾルディックを忘れることなんてできなかっただろう。だが、イルミとキルアでは同じ『ゾルディックのことを考える』でも、意味合いが違ってくる。漫画を読むということは、キルアが抱くイルミへの感情に向き合うことでもあった。

「ハハ、同じように育ったはずなのにね」
「きっと、漫画に描かれたことが全てじゃないよ」

そう言えばイルミはキルアに嫌われてないと思っているはずだった。普通なら自覚がありそうなものだが、彼は悪い意味で真っ直ぐな性格をしている。流石に心の声を聞いたら、傷ついたりするんだろうか。いや、でもまさか。

「それにしても、ゴンと心中だなんてとんでもないよ」

イルミは小さく瞬きをすると呟くようにそう言った。「そんな無駄死にしてさ、父さんや母さんやじいちゃん、オレや弟たちはどうだっていいのかな」一瞬何の話かと思ったが、そう言えば宮殿でキルアがメレオロンにそう言うシーンがあったような気がする。

「……読むの早いんだね、イルミ」

もっと気の聞いた言葉はいくらでもあっただろうに、なまえの口から出てきたのはそんな下らない内容だった。

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