- ナノ -

■ 7.Green


「はふ…」

世界が廻ってる。
ぽわーっと体が暖かくなって、とても眠い。体が重い。
ユナはほぼカウンターに突っ伏すようにして、うとうととしていた。

「メリル大丈夫…?まだ、2、3杯しか飲んでないよ?」

「う…このお酒…何?」

「ソルティ・ドッグ」

「…ゾルディック?」

ダメだ、意識が朦朧としてきた…
この店に入ってからどれくらい時間がたったのだろう。
今何時かなのかもわからない。

「ちょっ、ホントに大丈夫?
ここで寝られても困るんだけどな」

「…」

ぐいっ、と腰に手を回され、半ば担がれるようにして店を出る。
抵抗する気も起きない。
眠い
眠い…
あれ、やっぱり私お酒弱かったのかな…
アルコール訓練やった方がよかったのかも…
え…
じゃあ、どうして断ったんだっけ…?

「メリル、家どこ?
…って言っても言うわけないし…」

greenの困った声がどこか遠くの方で聞こえたような気がした。



**



朝日が眩しい。
ユナはまだぼうっとしながらも、光から逃れるように布団に潜り込む。

無意識のうちにイルミを探していた。

「ん…今何時?」

「朝の10時だけど」

「そっか…」

また起きるのが遅くなっちゃった…
昨日は何時に寝たんだっけ?
ユナは柔らかなベッドに深く体を沈みこませると

次の瞬間

がばっ、と勢いよく起き上がった。


「うわっ、びっくりした!」

「えっ、えっ、えっ!?」

「覚えてない?昨日のこと?」

涼しい顔でソファに座り、コーヒーを飲んでいるのは、イルミではなく昨日のgreenという男。
思わずユナは自分の服装を確かめたが、特に乱れたところはなかった。

「それより、素顔はそんな感じなんだね」

「なっ…!」

服装は昨日の青いワンピースのまま。
だが、朦朧とした意識では変装を保ってはいられなかったようで。
長い黒髪は肩までの長さに戻ってしまっていた。

「本物は可愛い系だったんだ?
俺、そっちの方が好きだよ」

「…わざと酔わせたの?」

私としたことが油断した。
たかだか酒くらいで…こんな失態あるまじきことだ。
ヒソカと会ってもいつも何もないことが多かったため、ついつい警戒を怠っていた。

「まぁね。でもほんの悪戯のつもりだったんだよ。
まさかこんなに上手くいくとは思わなかった。
…知らないかな?ソルティ・ドッグってカクテルの中じゃ『レディキラー』としてまあまあ有名なんだよ」

「レディキラー…」

聞いたことはある。
美味しくて飲みやすいけれど、実はアルコール度数高めだったりする飲み過ぎ注意なお酒の総称。
だけど、どんな種類があるかまでは知らなかったし、思い返せば男の人とこうしてバーに行く機会など全くなかった。
だって、飲みたければ執事が適当に見繕ってくれるし…。

greenは相変わらず爽やかな微笑を浮かべて、混乱するユナを楽しそうに見つめていた。

「それにしても、酔わせて正体不明にするはずのお酒のせいで、正体バレちゃうなんて笑えないよね、情報屋さん?」

「…」

ユナは下唇を噛み、きっ、と相手を睨み付けたが、自分にも非があるので言い返せない。
するとgreenは何がおかしいのか、ぷっ、と吹き出した。

「そんなに怒らないでよ。
素顔を知ったからって、別に君のことどうこうしようってわけじゃないんだしさ」

彼はソファから立ち上がり、警戒するユナに近づいてくる。
戦闘はあまり好きではなかった。
というかこの男、強い。

greenは相変わらずにこにこと可愛らしく笑いながら、すっ、と右手をこちらに差し出した。

「俺の名前はシャルナーク。
改めてよろしくね」

「…は?」

一瞬、意味がわからなくて、ユナはまばたきを繰り返す。
シャルナーク、と言うのが男の本名なのだと理解するのに、しばらくの時間が必要だった。

「…なんでっ…」

「君は姿がバレたからね、俺は名前を明かした。
フェアだろ?
ホントは君の本名も知りたいんだけど」

「…そうじゃなくて!」

一体、フェアにすることで彼に何の得があると言うのだろう。
そもそも彼は初めから素顔なのだろうし、今、あらゆる点において彼の方が優勢なのは間違いない。
ユナは彼の手を握り返さなかった。

「あはは、まぁ無理もないよね。
酔わせたのは悪かったよ。でも、ホントに君に害を加える気はないんだ」

「何が目的?」

「んー、強いて言うなら友好関係かな? 」

ヒソカといい、このシャルナークという男といい、常に笑顔の男にロクな奴はいないようだ。
そう思うとイルミの無表情がとても愛しく思えてくる。
そう言えば昨日は帰らなかったわけだから、きっと怒ってるに違いなかった。

「別に何もしないってば。
疑い深いなぁ」

いつまでたっても握手をしないユナに呆れたのか、シャルナークは少し残念そうに肩を落とす。
そうやって喋っている姿はホントにただの一般人みたいで、彼が盗賊かもしれないなんて信じられない。

「ごめん…そう簡単には信じられない」

「簡単に酔いつぶれちゃったのにね?」


この男…
爽やかなんてもんじゃない。
むしろ、腹黒いかもしれない。
イルミは良くも悪くもはっきり物事を言うから、こんなふうに嫌味っぽいことは言わないのに…

心のどこかで常に他人とイルミを比べてしまっていることに、ユナは気づかない。
今、頭の中にあるのはこの場をどう切り抜けるかということだった。

「えと、シャルナーク…」

「シャルでいいよ」

「じゃあシャル、友好関係っていうのは具体的にどうしたらいいわけ?」

友好関係というのは単なるタチの悪い比喩で、本当は弱味を握られるってことじゃないのだろうか。
真剣な表情でユナが問うと、シャルは何がおかしいのかクスクスと笑った。

「やだなぁ、別に今まで通りでいいんだよ、メリル。
このことは二人だけの秘密ね。
ただ、お互いのことを知ってた方が仕事も頼みやすいだろ」

「まぁ、こういう仕事は信用が大事だからね…」

確かに、お互い身分を隠したい身。
秘密が守られるならばこの関係には何の問題も無さそうに思われるが、これでシャルからの仕事は今後断れなくなった。

ユナは今度は自分から手を伸ばす。

「じゃ、改めまして情報屋のメリルよ」

「よろしくね、メリル」

固く交わされた握手は、別に望んだものではない。
だが、この男を敵に回すのは骨が折れそうだった。

「私帰らなきゃ」

「そ、じゃあまた何かあったら頼むよ」

「うん」

ユナは内心、ため息をつく。
また一人、厄介な客が増えてしまった。

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