■ 5.不審
おはよう、って言うと、ユナはまだ少し寝ぼけた表情でおはよう、と返事した。
それからまた、いつものように帰りを待てなかったことを詫びる。
腕の中の彼女の体温が暖かくて、イルミはこうしてベッドに横になっている時間が一番落ち着くと思った。
「でもさ、なんかね、イルミが頑張って仕事してる時に私は寝てるって悪いじゃん」
「でも、夜起きてたら今日みたいに昼に寝るだけだろ。ユナはオレと違って寝なくても平気、ってわけじゃないんだから」
起きて待ってるのが嫁の仕事だとでも思ってるのかな。
でも俺の仕事は時間が不定期だし、あんまり夜更かしさせたくもないんだけど。
だが、そんなイルミの思いは伝わらなかったのか、ユナはため息をつくと起き上がろうとした。
「…だからさ、そんなにオレを待ってたいなら昼間に寝ておきなよってこと」
それが嫌で、イルミは思わず彼女の腕をとり、再びベッドへと沈める。
引き寄せた時に胸元がちらりと見えて、そのまま襲ってしまおうかと思った。
「そうは言っても、これ以上昼間から嫁がごろごろしてるわけにはいかないでしょ」
服の隙間に手を入れれば、すぐさまそれはユナによって止められる。
オレ達、夫婦なんだよね?
ユナはにっこりと笑うと、今度は確実にイルミの腕を振りほどいてベットから抜け出してしまった。
「ユナ…」
これってもしかして避けられてる?
名前を呼んでみたけれど、彼女は振り向きもせずに洗面所へと向かう。
仕方なくイルミも起き上がると、彼女の後を追った。
「ねぇ、じゃあさ、ユナはオレがいない間は何してるわけ?」
前々からずっと気になってた。
結婚したての頃は花嫁修行とかいって母さんに引っ張り回されてたみたいだったけど、今はそれも落ち着いているようだ。
家事も全部執事がやってしまうようなこの家で、ユナはどうやって過ごしているんだろう。
オレ達はあくまで恋愛結婚じゃないから、あんまりプライベートなことは干渉しないつもりだったけど…
イルミは少し気になって尋ねた。
「んー、ダラダラしてるかな」
「なにそれ、ごろごろは駄目でダラダラはいいの?」
「うん、まぁ。ダラダラは許容範囲かな」
適当な返事をして、ユナはまたオレの隣をするりと通り抜けていく。
一瞬、問い詰めようかと思った。
だけど、また「関係ない」って言われるのが嫌で、イルミは喉まで出かかった言葉を飲み込む。
言葉にならない思いは、ため息となって溢れた。
オレも「関係ない」って思ってたはずなんだけどな…。
最初に会ったときに割りきった関係でいようってお互い決めちゃったから、今さらこれ以上は踏み込めない。
たぶん、踏み込まれるのをユナは嫌がるだろう。
「ユナってホントに謎だよね。
見た感じは普通の一般人なのにさ」
謎だよね、って言ったのは「知りたい」ってことなんだよ。
それなのにまた君ははぐらかしたような返事しかしない。
イルミは諦めて、バスルームへと向かった。
冷たいシャワーでも浴びて、この心のモヤモヤをどうにかしたかった。
「ユナ、オレ行ってくるよ」
暗殺服に着替えて、そう一声かけると、彼女は呑気にも朝ごはんの心配をした。
そして、今さら気づいたかのように、「今日、遠いの?」なんて首を傾げる。
今日は仕事の前にヒソカと会う約束をしていた。
「ううん、ちょっと仕事の前に野暮用があってね」
こんな言い方をしても、彼女は別段相手を知りたがる様子はない。
浮気なんて面倒なことしないけど、少しは気にしたらどうなの?
それともまた「関係ない」?
イルミの気持ちとは裏腹に、彼女は明るくいってらっしゃい、と言った。
「ん?どうしたの?」
ベランダに足をかけたまま、なかなか出発しないオレに、ユナは不思議そうな顔をする。
新婚って出かけるときにどんなことするんだろ。
既に、ベランダから出入りしてるオレが普通を求めるなんて間違ってるのかもしれないけど、新婚ってこんな感じでいいのかな。
イルミが別に、と答えると、彼女は
「そんなにヒソカが嫌か」と意外な名前を口にした。
意外すぎて、イルミは一瞬言葉が出てこない。
だが、何事もなかったかのように
「よくわかったね、じゃ、行ってくるよ」
そう言って、逃げ出すように家を後にした。
彼女が見送ってくれている視線を背中に感じる。
でも、どうして…
そんなにすっ、と名前が出てくるの?
ユナって、ヒソカとまだ一回くらいしか会ったことないはずだよね…?
***
「やあ◇」
相変わらずにやにやとした表情で、イルミを待っていた男。
裏路地にある廃れた喫茶店だからか、お互い突飛な格好のまま、普通に席につく。
イルミとしてはさっきのユナの言葉があったから、今一番会いたくないようで、一番会って確かめたい相手がヒソカだった。
「ねぇ、ヒソカ」
確か、用があって呼び出したのはヒソカの方。
だけど、今はそっちの話を聞いてるような気分じゃない。
イルミから話始めたことに驚いたのか、ヒソカは文句も言わずに話を促した。
「お前さ、ユナに会った?」
「ユナ?キミの奥さんかい?
いいや、一度キミと一緒に会ったっきり会ってないよ★」
こいつは嘘つきな変化系。
だが、不意の質問だからかあの腹の立つ薄ら笑いは浮かべていないし、嘘をついているようには思えない。
彼は少しだけ眉を下げると「何かあったのかい◆?」と聞いた。
「別に。
お前がちょっかいかけてないならいいよ」
「かけてもいいならかけるよ☆
彼女、そんなに強そうじゃないけど、なんだか不思議な雰囲気あるしね◆」
「は?何言ってんの、殺すよ?」
イルミが睨み付けるのとほぼ同時に、ヒソカの携帯が鳴る。
メールだったらしく中身を確認したヒソカの口は、にんまりと弧を描いた。
「ん〜◇デートのお誘いは成功だ★」
「まさか、ユナ?」
テーブルの下でいつでも針を投げられるようにしながら問うと、ヒソカは呆れ顔で肩を竦める。
そして、携帯の画面をくるりとこちらに向けて見せた。
「違うよ…キミってホント、独占欲強いよねぇ☆
政略結婚だって、自分でも言ってたじゃないか◆」
送り主を見ればメリルという名の知らない人物。
しかも内容はデートというか、完全に仕事だ。
イルミは構えた針を元に戻すと、早合点しかけた自分にうんざりした。
「それのどこがデートなわけ?
は…馬鹿らしい。
よくよく考えてみればユナがヒソカなんかを好きになるはずないよね」
「キミ…色々と失礼じゃないかい◇?」
「うるさい。で、用ってなんなの?」
自分の聞きたいことが終わると、すっかり興味が失せた。
というより、面倒なのであまりヒソカとは関わりたくない。
だが、興味が失せたのはメールを受け取ったヒソカも同じようだった。
「用ねぇ…返事が来なかったらキミに頼もうと思ってたんだけど★」
「あ、用事もうないの?」
「悪いねぇ☆また今度何かあったら頼むよ◆」
ヒソカは嬉々とした表情で、メールの返信をしている。
こいつがこんなに喜んでいる相手ってどんな奴だろう、とイルミに少しだけ興味を沸かせるほどに。
だが、所詮はヒソカのこと。
用がないのなら、とイルミは席を立った。
「ま、どうせお前のことだからロクな用事じゃないだろうし、いいよ」
「ちょっとキミには専門外っぽかったしね◇」
「あっそ、じゃあね」
ユナの言葉に深い意味はなかったってことなのだろうか。
イルミは今度こそ仕事に集中するため、頭の中を空っぽにしようと努めた。
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