- ナノ -

■ 51.予期せぬ計画変更


ネイビスの部屋に飾られた写真は、容赦もなくユナの心を抉った。

にこやかに微笑む母。
こんな表情、私は見たことない。
ネイビス自身にそんな気があるのかどうかはわからないが、これみよがしに置かれているように感じた。

「そろそろね……」

先ほど、執事にイルミを呼びに行かせた。
だからもうすぐ彼は、なんの疑いも抱かず殺しに来るだろう。
念を使い、ネイビスのフリをしたのは最初から決まっていた作戦だった。



***


「私が、ですか?」

「ええ、そうよ。
影武者とでも言うのかしら」

妹を殺すと決めた母は、その日のうちに計画を立てた。
行動の早さは賞賛に値するが、その計画自体はそれほど複雑なものではない。
パーティにやって来るであろう妹のワインに毒を盛る、という酷く単純で古典的な手口だった。

「別にあなたに代わりに死ねと言ってる訳じゃないわ。
単なる時間稼ぎよ」

「……」

「ネイビスにはわざと二人きりになるように話を持ちかけさせるわ。
そうすればゾルディックの方もその時に殺そうとするでしょう。
万が一にもパーティの途中に殺されるようなことがあってはいけないから、わざと何か渡したいなんて言って、気をもたせておくのもいいかもしれないわ」

母の作戦はこうだった。
計画が上手く行っただろうと油断しているパーティ終盤に、母が自室に妹を誘って毒入りワインを飲ませる。
そしてその間、私はネイビスのフリをして、代わりに彼を待ち受けるのだ。

時間稼ぎ、と母は説明したが、私なんかが一体何秒稼げるというのだろう。
見た目がネイビスである私に、イルミはきっと容赦しない。
もしかしたら、言葉を交わすまもなく殺されるかもしれない。
もはや言外に死ね、と言われているようなものだった。

「……どうして、どうして私なのですか?」

ユナの念は自分自身にしか効かないというわけでもない。
それこそ、本当に誰か影武者を立てたっていいはずだった。

「は?」

だが、「わかりました」以外の言葉はみな反抗。
みるみるうちに母が不機嫌になったいくのが、手に取るようにわかった。

「そんなの、決まっているじゃないの。
あのイルミという貴方の夫に、自分がいかに馬鹿げたことをしたか思い知らせるためよ」

「思い、知らせる……?」

「そうよ、だって普通おかしいじゃない。自分の妻の家よ?どうして引き受けるの?
ネイビスだと思って殺したら自分の妻だった、なんてことになったら、いくらあの男でも少しは後悔するでしょう」

家族を失う苦しみを知ればいい。
そう言って意地悪く笑った母は、悪魔だと思った。

けれども一方で、『後悔』と言う言葉は、ユナの興味を強く惹いた。

もしも私を殺したとわかったら、イルミはどうするのだろう。
後悔してくれる?
悲しんでくれる?
自分はなんてことをしてしまったのだと、悔やんで悔やんで苦しんでくれる?

それともあるいは、単に忌々しく思うだろうか。
仕事の邪魔をしやがって、と私の死体を早々に捨て置き、本物のネイビスを探しに行くのだろうか。

ユナしばらくの沈黙の後、わかりました、と返事した。
死ぬかもしれないのに、死んだら確認なんてできないのに、それでもイルミの本心を知りたいと思った。

もう好きと自覚してしまった以上、私はイルミ無しでは生きられない。
でも、大事な実家を内緒で潰そうとした彼を、信じることはできない。
恨まずにはいられない。
そんな彼とこの先、前みたいに上手くやっていけるわけがなかった。
この作戦、成功しても失敗しても私はイルミの隣で笑うことはもうないだろう。

恨みから彼を嫌いになってしまうのが怖かった。
いや、恨んでいるのに嫌いになれない方が怖かった。

だから、それならいっそ…
ユナは彼の手に掛かって、彼の記憶に少しでも残るほうを選んだ。


**



結局、約束の時間になっても作戦成功─つまり、妹を無事に殺した、との連絡は入らなかった。
だからいよいよだ、とユナは感傷的な気分になる。
もしも先に母の方が成功していたら、ユナはネイビスのフリをする必要はなかった。

─コンコン

控えめなノックの音と、執事の声。
予めネイビスは高めの声をイルミに印象づけさせていたため、こちらはそれほどまで声に気を遣わなくていい。
入るように返事を返したあと、ユナは名残惜しそうに写真立てを見つめた。

今度はイルミのことを思いながら……。

彼はユナとの子供が欲しい、と言ってくれた。
それがゾルディックのためなのかどうかは未だに判然としないが、もしかしたら私もこんな笑顔を彼との子に向けていたかもしれない。
そう思うと酷く苦しかった。
私は一体いつ、選択を誤ったんだろう。
可能性として、イルミと幸せに過ごすハッピーエンドがないわけではなかったろうに。

「お待たせしてすみま……せん、ね?」

人が入ってきた気配に、顔をあげる。
これがきっと最後に見るイルミの顔だ、と悲しみをこらえてそちらを見れば、イルミとは似てもにつかない全くの別人がそこに立っていた。

「え?あの、どちら様ですか?」

我ながら、酷く間抜けな声を出したと思う。
本当に驚いたのだ。今までのセンチメンタルな気分も、出かかった涙も嘘みたいにすうっと引いていく。

誰こいつ?
ユナの頭の中はひたすらにその疑問で占められていた。

「すみません、執事が間違えたのかな」

「…」

思いついた考えを咄嗟に口にしたが、すぐさまそれはないだろうと自分の中で打ち消した。
いくらイルミが気配を消すのが上手くても、案内されるのを待っている状況で消し続けているとは思えない。
となると、彼の長身と長髪はとても目立つし執事が間違えるわけがないのだ。

だが、ゆっくり状況を見つめている場合ではないのも確か。
じわじわと距離を詰めて来る男に、ユナは後ずさりする。
もしかしてイルミは、他の誰かを雇ったのだろうか?
引き受けたはいいが、流石に自分の妻の実家を潰すことに抵抗でも感じたのだろうか?

残念ながら、ユナの実家の部屋はそう広くない。
いくらもしないうちに、背中に壁が当たり、逃げ場がもうないことを悟った。

「こ、殺すの?」

もはやこれは、疑問というより事実確認。
イルミ以外の誰かが、私を殺そうとしている。
目の前の男はこちらの質問に答える気がないのか、少し首を傾げただけで歩みを止めない。
その圧倒的な余裕さは、彼自身の腕が相当なことを物語っていた。

「誰なの?こんなの聞いてない」

声が上ずる。
そこには恐怖とそれから困惑、怒りも混じっていた。
私はお前なんかに殺されるためにここにいるんじゃない。
イルミだから、とこの場に立ったのだ。

相も変わらず一言も発さない男は、ただ黙ってこちらに手を伸ばす。
ひんやりとした指先が首に触れた瞬間、ユナの中で現実の理不尽さへの怒りが溢れた。

こんなのないよ。
嫌だよ、イルミじゃないなら嫌だ。
気づけばまるで子供が駄々をこねるように、いやいやと首を振っていた。

「イ、イルミじゃないなら、お断りよ!」

「……え?」

溢れた本心に、男の動きが一瞬止まる。
確かに抵抗や命乞いにしては意味のわからないものだろう。
だが、ユナは相手のその一瞬の隙を見逃さず、力いっぱい胸を押して突き飛ばした。

「お前……」

「何よ、こう見えて私だって弱くないのよ」

不意をつかれた男は、2、3歩後ろへ退く。
イルミが雇うだけの男であるから、きっとなかなかの手だれであることは間違いないが、こっちだって大人しく殺されてやるわけにはいかない。

「残念だったわね」

本当は、母の作戦成功の知らせが入るまでは変装を取るつもりなんてなかった。
だけど、イルミじゃないなら私はこの男を殺してでも止める。
ギリギリの所でターゲットに抵抗されたのが余程驚いたのか、男は目を見張ってこちらを見ていた。

だから精神的なダメージも有効なのだろうと考え、ユナは元の姿を現す。

無表情な男の顔が驚きの色に染められるのは、見ていてとても気分が良かった。

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