■ 50.その役回り、誤算
パーティもそろそろお開きとなり、いよいよかとイルミは思う。
もう既に、今の時点で酷く疲れていた。
一人でユナを別室に残してきた後、初めこそイルミはわりと頑張って対応していた。
下らぬ世間話はまだいいとしても、好奇心に満ちた瞳で家のことを聞かれるのはとても面倒くさい。
だが、誰一人としていなくなったユナのことについて聞かなかったし、最終的にはもういいやと思って気配を消した。
そうすればもう一般人からすると、ほとんどいないも同然で。
誰も話しかけてこなくなってすごく助かった。
イルミは会場の壁にもたれかかり、油断なく辺りを観察する。
ターゲットは相も変わらずあちこちに挨拶をしていて忙しそうだ。
これからどうせ死んじゃうのに、ご苦労さまなことで。
これまで他のターゲットにはそんな感情を抱いたことなかったのに、なぜだかネイビスを見ていると皮肉な気持ちになった。
「母さん」
「ええ、こっちは大丈夫よ」
「ほんとに、上手く行くのかい?」
「大丈夫、あなたは何も心配しなくていいわ。あの女も自分が持ってきたワインなら疑わないでしょう。私は先に効かないように飲んでおくから」
まさかイルミが近くにいるとも知らないで、何やらユナの母親とネイビスは密談をしている。
もしかして、オレの狙いがバレてる?と心配したが、彼女らは『女』と言った。
ユナはワインなんか持ってきていなかったし、全くの別人の話だろう。
母親の言葉の端に滲む憎しみから、ワインで毒殺でもするのだろうかなんて想像してみたり……まぁ、イルミには関係のない話であるが。
いつも人を殺めるの仕事としているくせに、物騒だななんて他人事のように聞いていた。
「ねぇ、」
「え、わ!びっくりした!」
イルミが後ろからとん、と肩を叩いてやれば、面白いほどに飛び上がるネイビス。
やっぱり、オレがここにいることに気づいてなかったんだ。
だが、驚いたのはネイビスだけじゃないようで、ユナの母もこちらを見るなり会釈だけしてそそくさと逃げていった。
「お、おどかさないでくださいよ」
「そんなつもりはなかったんですけど」
「すごいなぁ、気配なんて全くしませんでした。
流石プロですね」
誤魔化すように笑ったネイビスはこちらを探るように目を覗きこんでくる。
よっぽどさっきの話なら聞いたよ、と言ってやろうかと思ったが、そんなことをイルミがするメリットはないので黙っていた。
「ホントに参ったな、もしボクがターゲットだったら、今ので殺されてましたね」
「そうですけど、仕事じゃないのに殺しはやりませんから」
「怖いなぁ」
それは、裏を返せば仕事だったら誰でも殺るということ。
確かに彼の言う通り、今ネイビスを殺してしまうことは容易い。
けれども彼が言った『渡したいもの』が気にならないと言えば嘘になる。
─ユナに関係すること。
そんな言い方をされて、気にするなという方が無理がある。
また、ネイビスはどこからどう見ても一般人であるため、それがまたいつでも殺せるというイルミの油断にも繋がっていた。
「そんなことより、渡したいものって」
「ああ、そうでしたね。
部屋にあるので、もうしばらくだけ待っててもらっていいですか?」
招待客があらかたお帰りになるまで、この場を離れられないんですよ。
ネイビスは苦笑しながら頭をかく。
「もう少ししたら、執事に案内させますね」
「…わかりました」
時間稼ぎか?
だが、こいつは何も知らないはずだ。
イルミは理由のはっきりとしない不信感を抱えたまま、静かに頷くことしかできなかった。
**
「ご案内致します」
「彼は?」
「何やら準備があるとかで、先にお部屋でお待ちになっているようですよ」
「準備……」
人も減ってきたので気配を消すのもやめ、ひたすらにネイビスを待っていれば一人の執事が声をかけてきた。
準備、と言われていよいよ罠かと疑う。
それでも、行かないなんて選択肢はイルミになかったし、何より早くしないとユナが部屋から出てきてしまうかもしれなかった。
それだけは困る。
今彼女の顔を見てしまったら、決心が揺らぎそうだ。
イルミは自然、早足になりかけるが、どうにも案内の男が遅いのでいらだちがつのる。
わざわざ案内してもらわなくったって、ネイビスの部屋がどこにあるかくらい知っているのに。
部屋の入口まで着くと執事は軽く扉をノックし、声をかけた。
「お連れしました」
「…ありがとう、入ってください」
返事が聞こえたのを確認して、執事は会釈して下がる。
イルミはさっと、その執事の頭に針を打ち込んだ。
そしてここまで案内したという記憶を改ざんする。
これでいよいよ、二人きりと言うわけだ。
ネイビスはここで死ぬ。
ユナには彼と会うことを知られているため、殺したのがイルミであることはすぐにバレるだろうが、どのみち一生隠し通せるものでもなかった。
大事なのは『殺した後』にバレること。
殺してしまった後でなら、どんなに彼女が泣き叫ぼうが取り返しが付かない。
どんなに強くオレを恨もうがどうしようもない。
イルミはただ彼女の感情を受け止めて、後の解決は時間に委ねるつもりでいた。
謝るつもりも許しを乞うつもりも毛頭ない。
ただひたすらに彼女の傍にいることが、イルミにできる唯一のことであった。
執事が去ったのを確認してから、イルミは顔を変えた。
針はもちろん使わない。
これだと効果は短いが、暗殺するのにそう時間はかからないだろうし、いくらなんでも顔面針だらけだと警戒されるからだ。
そしてわざわざ顔を変えた理由もちゃんとある。
バレてもいいとは思っているが、出来ればバレるのが遅いに越したことはないからだ。
それは別にユナだけに関することではなく、この屋敷から脱出することも考えてのことだった。
「お待たせしてすみま……せん、ね?」
部屋に入ると、ネイビスは棚の上に置かれた写真立てを見ているところだった。
にこやかに微笑むユナの母と幼い頃のネイビス。
彼は話しながらこちらを向き、そして見慣れぬ男がそこに立っているのを見て固まった。
「え?あの、どちら様ですか?」
イルミはそれには答えず、後ろ手で扉を閉める。
ネイビスの表情には、わかりやす過ぎるほどまでの困惑が浮かんでいた。
「すみません、執事が間違えたのかな」
「……」
じわじわと距離を詰めていくと、困惑が次第に焦燥へと変わる。
彼はゆっくりと後ずさりをして、それから部屋の壁に背を打ち付け、ハッとしたような表情になった。
「こ、殺すの?」
あれ、誰かに狙われてるってこと気づいてたんだ?
元から高いネイビスの声が、恐怖からかより高い。
「誰なの?こんなの聞いてない」
そりゃ、聞かれてたら困るんだけど。
内心でそんなツッコミをしつつも、イルミはなんだか様子がおかしいと思い始めていた。
なんでこいつこんなオカマみたいな口調になってるんだろう。
気持ち悪いからさっさと殺そう。
イルミはゆっくりと手を伸ばし、ネイビスの首に触れた。
針で殺せばまた、犯人の手がかりになる。
かといって切ったり刺したりでは血がかかる可能性もあるしで、古典的だが絞殺が一番手っ取り早いだろう。
びくりと肩を震わせたネイビスは、いやいやをするように首を振った。
「イ、イルミじゃないなら、お断りよ!」
「……え?」
突然名前を呼ばれて、ぴたり、と固まる。
オレ今変装してるよね?
なんで…?
なんで、その名前が出てくるの?
流石のイルミも今回ばかりは動揺した。
その一瞬の隙を、相手はもちろん見逃さない。
どん、と後ろに力いっぱい突き飛ばされ、思わず2、3歩下がってしまった。
「お前……」
「何よ、こう見えて私だって弱くないのよ」
残念だったわね、と先ほどの怯えも何処へやら、彼は不敵に笑う。
そしてそのまま驚くイルミの目の前で、ネイビスはその姿を変えた。
「貴方のターゲットはここにはいない」
「……っ!」
そう言ってこちらを睨みつけているのは、
紛れもなくユナだった。
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