■ 48.上っ面の仲直り
とうとう望まないその日がやってきた。
朝からきっちりしたドレスに身を包み、正装したイルミと並んで歩くのは、いつぞやクロロと出会ったパーティ以来かもしれない。
プロというものは本当にすごいもので、出かける前に勇気を出してイルミに話しかけてみたのだが、彼はいつもと一切変わらない様子に見えた。
「イルミ、今日は…」
「わかってる。大事なユナの家のパーティだ。
いつまでもこんな雰囲気じゃいけないよね」
その『大事な』という修飾語はいったいどこにかかっているの?
イルミは私の言葉を遮るように早口で喋り、それからごめんと謝った。
そのごめんが何を意味するのかははっきりとしない。
普通でいうならここ最近の気まずさに対するものなのだろう。
だけど、ユナは今日イルミが何をするか知っている。
だから謝られてとても複雑な気分になった。
「いや、私こそごめんね」
「仲直りしよう」
じゃあ、私のごめんねは一体何に対するものなのか。
口先ばかりで心のこもらないそれに内心で自嘲していると、不意にイルミに抱き寄せられる。
イルミにこうしてちゃんと触れられるのは久しぶりのことで、一瞬体が強ばってしまった。
「本当は今すぐにでも抱きたいけど」
「……懲りないねイルミは」
「パーティ終わったら覚悟しといて」
ちゅ、と音を立てて首筋を吸われる。
今までのことは何だったの?と思えるほど和やかな雰囲気に、戸惑いながらも素直に嬉しかった。
「パーティ、終わったらね」
きっとその頃、私達は今のような関係に戻ってはいまい。
なんだかんだでイルミも嘘つきだ。
それでもたとえ今だけだとしても、ユナは彼の温もりに体を委ねて微笑んだ。
**
「まぁ、よく来てくださいましたわ」
「この度は、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
上品ぶって頭を下げて見せる女に、これがユナの母親かと薄ら寒い気持ちで挨拶をした。
もちろん、結婚式でも一度顔を合わせたのだが、今日は以前にも増してすこぶる機嫌が良いらしく、所作のひとつひとつがかえって鼻につく。
彼女はひとしきり息子の話をベラベラと喋ると、他にも挨拶しなければとこの場を立ち去っていった。
血の繋がらない息子のために着飾って、結局実の娘には目もくれなかった。
「イルミ…なんかごめんね?」
「ううん、こういうの慣れてるし」
「でも、好きじゃないでしょ?」
「いいよ」
小声でそう囁いたユナは申し訳なさそうに首をすくめる。
彼女らしくない。
気のせいだろうけど、小柄な彼女がいつにも増して小さくなったような錯覚に陥る。
実際ユナの家のパーティなのに、ユナに声をかける人間は誰一人としていなかった。
代わりに、と言ってはなんだがゾルディック家の者と関わりを持ちたいのか、皆イルミに声をかける。
今でさえこんな状態なのだ。
昔の彼女の肩身の狭さを想像するだけで、どいつもこいつも憎く見える。
「初めまして、あなたが…?」
「ええ、こちらこそ初めまして」
イルミは適当に会話をしながらも、先程からずっとパーティを抜け出す機会を伺っていた。
なぜなら今日はただ、彼女の付き合いでここに来ただけではない。
イルミにはやらなければならない『仕事』があった。
いつもなら人に紛れ、機会が来るのをただ待っているだけでよかったが、今回は身内ということあり常に注目されている。
加えて常にユナが傍にいるとなると、尚更バレないように殺るのは難しかった。
「あ、ユナさん、来てくれたんだね」
不意に、妻の名前が呼ばれて、呼ばれた当の本人よりもイルミが反応してしまう。
すっかり、呼ばれないことが当たり前みたいに思っていたから、一体どこのどいつかと振り返る。
だが、呼んだ人物が誰であるか視認すると自分から軽く会釈をした。
「この度はおめでとうございます」
「あぁ、貴方がゾルディックの…。
いえいえ、お忙しい所わざわざこんなパーティにお越しいただけるなんて感激ですよ」
そう言って、快活に笑う目の前の男は紛れもなくターゲット。
二重の意味で本日の主役である男だ。
ふと見れば彼の隣にはとても大人しそうな女が寄り添っていて、そうか婚約者かと納得した。
「どう?ユナさん?」
「…え?…どうって?」
「だってほら、一応結婚生活の先輩だし。色々と今後の参考に聞きたいなと思って」
「あぁ………」
胡散臭いくらい気さくな様子で、男はユナに笑いかける。
何が目的だ?
男の癖に妙に高い声をしていて、それがまたなんとも不愉快だった。
「参考には、ならないと思いますよ」
「ま、そうだよね。そっちは大変そうだよ」
突然の話に彼女の方も戸惑っているのか、曖昧な笑みを浮かべている。
参考にならないのは、うちが特殊だから?それとも上手く行ってないから?
聞きたいけれど、聞けない。
男─確か、ネイビスという名前だったか、彼はそこまで話すと急に意地悪く口角をつり上げた。
「でもさ、心配しないでね。
この家は僕がきちんと守っていくから」
その言葉に、隣のユナの肩が小さく揺れる。
あぁ、やっぱりこいつは殺さなくちゃ。
こんな奴のためにユナがずっと苦しい思いをしてきたなんて許せない。
殺しても殺したりない。
ありがとう…、泣き出しそうな笑顔でそう返した彼女が、嘘つきになった理由を知ったような気がした。
「あ、そうだ、イルミさん。
後であなたに渡したいものがあるんですが」
「え?」
ぽん、と思い出したかのように手を打ち、ネイビスは笑顔を向けてくる。
初対面なのに、どういうことだろう?
こいつはユナとオレとの結婚式にも来ていなかった。
初めは養子だからそっちこそ肩身が狭くて、出席すら許されていないのかと思っていたがどうやらそれは逆らしいし。
だが何にせよ、ターゲットに接触するチャンスが増えるのならば願ったり叶ったりだ。
イルミとしては別に断る理由もなかったため、素直に頷く。
「いいですよ」
「そう、それはよかった。
でも、今は少し忙しいから、パーティが終わるまで待ってもらわないといけないかも」
「別に構いません」
渡したいものってなんだろう?
ネイビスはそれに関しては具体的なことを明かさなかった。
ただ、会釈して立ち去る寸前、イルミにだけ聞こえるように「ユナさんに関わることで」と言った。
「…大丈夫?」
「え…あぁ、うん。ありがと」
彼が立ち去った途端、ユナがほっとしたのがわかった。
「少し、休んだら?」
「でも……」
イルミの提案に、ユナは迷う。
おそらく、気分的にはこんな所から離れて早く休憩したいのだろう。
だけどイルミを一人で残していくのは申し訳ないとでも思っているのか、首を振る。
「オレなら平気だよ」
「……」
「はぁ、仕方ないな…。
ユナ、これは命令。
休んでおいで。顔色が悪いよ」
彼女一人ではなかなか動かないので、イルミは腰に手を回して誘導する。
屋敷の見取り図は既に頭の中に入っているから、会場を出て、適当な部屋を探すことには苦労しなかった。
「ねぇ、ユナ。
パーティが終わったら迎えに来るから、それまでここで休んでおきなよ」
「……ごめん」
「ここで待っててね」
そう言って、念を押したのは本当に彼女を想っての行動だったんだろうか。
とにかくイルミはこれで一人になることができ、仕事へと集中することができた。
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