■ 47.不要な言い訳
「それでも…イルミと別れる気はないんだ…?」
どこか責めるようなその響きに、ユナはぐっと押し黙る。
確かに、もとはいえば政略結婚。
家のために結婚したのに、家を潰されてしまうのでは結婚した意味も、し続ける意味もない。
だけど私は……
「離婚…したからって、この件は変わらない。
だいたいあのイルミがさせてくれるとも思えないしね」
「…へぇ、じゃあキミは実家よりイルミを選ぶんだね★?」
「別に、そういうわけじゃないよ。
気づいた時には選択肢なんてなかった。
……皆、最低だよ。
実家は実家でゾルディックを探れって言うし、蓋を開けてみればゾルディックだって私達を裏切ってた」
口に含んだ酒は苦い。
喉の奥が焼け付くような感覚に襲われたが、今の心境にはとてもぴったりだった。
「……情報、流したの☆?」
「流すつもりなんてなかったのよ……だけど、先に裏切ったのはあっち」
「だから、キミは悪くないって★?」
顔を横に向ければ、思ったよりも近くにヒソカの顔があった。
黙って見つめ合う二人。
鋭い彼の瞳が、こちらを詰問するような光を帯びていた。
「……何が言いたいの」
本当はわかっていたけれどあえて聞く。
遠まわしな言い方が癪に触ったのだ。
ヒソカはイライラする私に向かって、深い深いため息をついた。
「ボクにはどうも、キミが逃げてばっかりのように思えてねぇ💛」
「……」
「一番最初にイルミを裏切っていたのは、どこの誰だい?
キミが初めから仕事の事を隠してさえいなければもっと事態は変わって─」「うるさい!」
出した大声に、店内が静まり返る。
だが、恥ずかしいと思う余裕すらなかった。
それほどにヒソカの指摘は的を得ていて、自分でも何度も思ったことだった。
「あんたに……あんたに何がわかるのよ…私だって、好きで隠してたんじゃないもの!」
「わかるわけないよ。
キミはいつも大事なことは話さないんだから」
遠慮のない好奇の目が二人に集まる。
おおかた、カップルが喧嘩している位に思われているのだろう。
それまで黙っていたマスターも、控えめながら口を挟んだ。
「あの、お客さん…」
「あ…ごめんなさい……」
ユナは周りを見回し、思わず浮かしかけた腰を下ろすと拳を握り締めた。
「ボクもね、これでも怒ってるんだよ?」
「……なんでヒソカが」
押し殺したように返事を返したのはいいが、心なしかヒソカの声も尖っている。
彼はもうこちらを一切見ないで、どこか遠いところを見つめていた。
「キミ、ホントはイルミのこと…好きなんだろ?」
「……」
「別れる気がないか聞いた時、キミがそう言ってくれるだけでよかったんだ…。
イルミが好きだから。だから実家を潰されても離れられないって」
それなのに、とヒソカは吐き捨てるように言う。
─離婚したからってこの件は変わらない。だいたいさせてくれるとも思えないしね。
─気づいた時には選択肢なんてなかった
ユナは自分の答えを思い出して、ハッとした。
「だけどキミは全部言い訳ばかりだった。
仕方ない、私のせいじゃない、とでもいうふうに。
ねぇ……聞き方を変えようか?
キミはイルミが好きなの?好きじゃないの?どっちなんだ?」
ようやくこちらを向いたヒソカの目は真剣で。
今更ながら、彼が私を好きだと言ってくれたことを思い出し、強く戸惑う。
ここまで来てはぐらかすことはもちろん、嘘をつくことも絶対に許されないような気がした。
「私は…」
裏切られて、こんなにも傷ついているのはなぜ?
裏切られても、彼に対して仕返しをしようと思わないのはなぜ?
「私は……
好きなんだよ、イルミのことが……」
言葉にすると、泣きたくなるくらい切なさがこみ上げてきた。
まるで叶わない恋をしているみたいに、胸がぎゅうっと締め付けられる。
「………そう」
呟いたヒソカの声は、抑揚を欠いていた。
「じゃ、晴れてキミは実家から解放されるわけだ」
「………そうね」
「おめでと」
嘘とはまた違う空虚な言葉に、ユナは返す言葉を見つけられない。
そもそもイルミと結婚してる時点で、ヒソカとは上手くいくわけなかった。
それでも、もっと別の別れ方があったようにも思う。
仕事も辞めてしまうし、もうきっとヒソカと会うことはないのだろうなと、どこか他人事のように考えてしまっている自分がいた。
「さよなら、だね☆」
「うん……」
またひとつ、心にぽっかりと穴が空いたが、今更それがどうしたっていうんだろう。
せめて泣き顔は見せないでおこうと、ユナは意味もなくグラスに視線を注ぎ続けた。
カウンターにお金を置くと、ヒソカは立ち上がる。
ぽつんと一人取り残されて、これで良かったのだとユナは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「…お代わりください」
すぐには帰る気になれないで、特に美味しいとも感じられないお酒を頼む。
だってどこに帰ればいいのか、胸を張って言える場所なんて思い当たらなかった。
**
「…遅かったね」
久々に発した妻への言葉は、自分でも驚くくらい冷たい声色だった。
「……………うん」
顔を赤くして、帰宅するなりぐったりとソファに倒れ込むユナ。
お酒を飲みすぎていることは、一目見てすぐにわかった。
「飲んできたの?」
「……そう」
─誰と?
いつもならすぐに問い詰めるのに、今の自分にはそれすら聞く資格がないように思えた。
だから、遠巻きに彼女を見つめるだけで精一杯。
ユナはくるり、と寝返りをうった。
「ん……誰とって、聞かないの?」
ぽつり、と眠そうな声。
イルミは驚いて、言葉が上手く出てこない。
まさか向こうから聞いてくるとは思わなかったのだ。
だが、ゆっくりまばたきを繰り返していた彼女の瞼は、やがてぴったりと閉じられた。
どうやら寝ぼけているらしくて会話を続けるべきかどうなのかわからず、イルミは彼女の反応を伺う。
すうすう、と子供のような寝息が聞こえてきて、安堵する反面少し寂しく感じた。
「……ユナ」
「…」
「ねぇ、ユナ」
そんな所で寝たら、風邪引くよ。
そう言ってみたけれど、もちろん返事はない。
イルミは少し困って彼女の顔を覗きこんだが、幸せそうな顔で眠っているものだからさらに困ってしまった。
ベッドへと運ぼうか……。
でもそうなると、彼女に触れることになる。
スカートから覗く無防備な素足が視界に入り、どうしようもない想いが胸のうちに渦巻いた。
「ユナ、起きてよ」
そんなお洒落して、一体誰と、どこへ行っていたの?
そこでどんな話をして、どんな表情を見せていたの?
恐る恐る艶やかな髪に手を伸ばす。
頭を撫でてやると、彼女は気持ちが良さそうに丸くなった。
「……ん、イルミ……」
寝ぼけているのか酔っているのか、ただ名前を呼ばれただけで胸が苦しくなる。
そっと抱き上げてみても、目を覚ます気配はなかった。
「ユナ、好きだよ……」
本当は、起きてる時に言わなきゃならないんだけど。
久しぶりに触れた彼女の体は熱っぽく、そして柔らかい。
ベッドに移して布団をかけて、最後についばむ様な口づけを一つ落とした。
「これは、運んであげたお礼に貰うから」
イルミは自分に言い訳するように呟くと、部屋の電気を消してしまった。
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