- ナノ -

■ 45.誰のための決心か


母がなぜゾルディックのことを調べろと言ったのか、やっとわかったような気がした。

おそらく、母は母なりに親戚内での不穏な空気を感じ取り、探りを入れてきたのだろう。
もしかしたら、依頼を請け負ったのがゾルディックだという確証まではなかったのかもしれない。
だが、皮肉なことにユナのお陰で、実家に唯一関わりのある暗殺稼業はゾルディックくらいのものだった。

結局のところ、母も叔母も私がどうなろうと構いやしないのだ。
それは昔からわかっていたことたがら、今更嘆く気にもなれない。
だが、イルミはどうだろう。
私の実家を知らないわけでも、ましてや、私がどんなに家を大事にしてるか知らないわけではない。

私が夜にうなされて、泣いていたことだって知っているはずなのに。
それなのに、全部わかった上で引き受けたの?

もちろん、彼らにとって暗殺は単なる仕事でしかなく、私情を挟まないことはユナだってよく知ってる。
だけど実際、ゾルディックだって来た依頼をなんでもかんでも引き受けているわけじゃない。

裏切られた、と感じた。
てっきり、最近イルミが私を避けているのは例の怪我の一件のせいかと思っていたのに。
あの人は私に今回の仕事を気取られないように避けていたに過ぎないんだ。
そう思うと、すっかり癒えたはずの腕の傷がじくじくと傷んだ。
きっと彼は素知らぬ顔で私の大事なものをめちゃくちゃにして、何食わぬ顔で慰めるのだろう。

ユナは震える手で携帯を握り締めた。
どうせイルミは今日も遅い。
仕事、仕事というけれど、もうそれすら信じられなかった。

響くコール音。
自分でも知らないうちに泣いていた。

「もしもし」

「私です…先日の件でご報告があります」

先に裏切ったのは、あなたよ……
イルミ……


**



自分で伝えるとは言ったものの、いざとなると喉の奥がつかえたようになって、うまく言葉が出てこない。
イルミは隣で眠る彼女の寝顔を見ながら、眠れぬ夜を過ごしていた。

暗殺の結構日は一週間後。
その日にちょうどユナの実家でパーティーが行われる。
ターゲットである次期当主が皆に婚約者を紹介するとともに、正式に当主の座につくのだ。
当然、その日は親戚としてユナ、それからイルミも参加する。
いつも以上に難易度の高い、いや心の重い仕事だった。

「ユナ……」

小声で名前を呼んでみても、彼女は目を覚まさない。
最近オレの帰りが遅いから、それを待つ彼女は疲れているのだろう。
柔らかそうな頬に触れようとして逡巡。
結局イルミはくるりと背を向けた。

もしも、もしも彼女にこの仕事のことを伝えて泣かれたら?
泣いて、やめてくれと言われたら?

ユナが来てからオレは変わったと思う。
変わっちゃいけない。
闇人形でなければならないのに。

イルミは固く目を閉じた。
いくら多少寝なくても平気とはいえ、こうしてもやもやと考え事ばかりしているのは精神衛生上良くない。
おそらく自分は彼女に今回のことを告げられないだろう。
告げれば、しくじるような気がする。
そして、しくじるなんて中途半端なことは一番してはいけなかった。
ユナを家から解放することもできず、いたずらに彼女を傷つけてしまうだけだ。

「待ってて、すぐに楽にしてあげるから…」

それがたとえ、オレの独りよがりだとしても。


**


自由参加なのに、珍しく仕事にヒソカが来たかと思えば……

「ちっ」

フェイタンがその細い目をさらに釣り上げ、殺気をまき散らしているヒソカを睨む。
他の団員たちも奴の殺気に当てられて気がたっているのか、だいぶ空気が悪かった。

「あいつ何ね、さっきから」

「さぁな、いつもの挑発ってわけではなさそうだが」

もともと人に喧嘩を売るように殺気をまき散らす奴ではあるが、今日のは単に機嫌が悪いらしい。
誰かれ構わず所構わず、な様子を見るに、ヒソカもイライラしているのだろう。

それならわざわざ仕事に来なくていいのに。
来いと言った時はなかなか来ないくせに、来なくていいときに来るから本当に迷惑な奴だ。

結局、ヒソカの鬱陶しい殺気のせいもあり、今回は皆半ば憂さ晴らしのように大暴れしたのだった。


「珍しいな、お前までイライラしてるなんて」

浮かない顔。
目が合ってすぐにいつもの感じに戻ったが、長い付き合いだから誤魔化されない。
シャルはへら、と笑って横目でちらりとヒソカを見た。

「ヒソカのせいだよ。
誰だってあんなオーラに当てられたらムシャクシャするって」

「そうか?
お前の場合、ヒソカが来る前からそうだったぞ?」

シャルは下準備なんかがあるから、集合よりはいつも先に来る。
今ほどではないものの、こいつもその時からずっとこんな調子だった。

「…団長には隠し事できないなぁ」

ため息をついたシャルは苦笑を浮かべる。
それから言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

「ちょっと、失恋しちゃったみたいでね」

「……ほう」

何か悩みがあるのだろうか、と思ってはいたが、これは予想外。
シャルを惚れされた挙句ふるなんて一体どんな女なんだ?
クロロは別に続きを促しはしなかったが、興味を惹かれていると伝わったようで、シャルは自分から話始めた。

「謎めいてるよ。
結局、本当の名前すら教えてもらえなかった」

彼の話では、どうやら前のハニートラップに協力してくれた情報屋の女らしい。
そういえばあの時、やたらシャルが任せてくれと張り切っていたが、気になる相手と接触できるからはしゃいでたのか。
だが、相手も裏稼業ならそこまで大した心配はいらない。
というか、そんなに好きなら一度ふられたくらいで諦めないだろう。

「なんで諦めたんだ?」

「……廃業するんだって。
理由は教えてくんなかったけど」

「なんだそれ、普通の理由だな」

「悪い?オレだって普通の恋愛くらいするんだよ」

おどけたようにシャルはそう言ったが、目は寂しそうだった。
普通の恋愛か……なんにせよ欲しいものは力ずくで奪えばいいのにな。
オレと同じでシャルはそういうタイプだったはずだ。

「あ、今力ずくでって思ったでしょ?」

だが、そんな俺の考えを読んだかのように、シャルは違うんだなぁと首を振った。

「確かにオレなら、彼女にアンテナを刺して好きにさせることもできる。
だけど、操作系には操作系なりの苦労ってものがあるんだよ。
手段を持ってるからこそ、タチが悪かったりするんだよね」

「…なるほどな」

誰しも多かれ少なかれ独占欲というものはある。
自分だけを見て欲しい。
自分だけのものになって欲しい。
そんな思いを抱いてしまうことは、別にそこまでおかしいことではない。

だが、普通の一般人なら思うだけで終わりだ。
実際に実行することは極めて難しいし、そうするまでの勇気もないだろう。
けれどもシャルにはそれができる。
たったの一本アンテナを刺す、それだけで。
手段を持ってるからこそ、というシャルの意見は、核心をついているのかもしれないな、と思った。

「そうか、じゃあヒソカはあれか?
変化系は変化系ならではの悩みに苦しんでいるというわけか?」

「変化系ならでは?なにそれ?」

シャルがきょとんとした顔でこちらを見る。
冗談半分、本気半分で、クロロは口元に笑みを浮かべた。

「そうだな…たとえば、『嘘に嘘を塗り重ねて、本当のことを言っても信じてもらえない』とか」

「…なにそれ、あいつは嘘が好きでわざとやってるから、そんなことで悩んだりしないと思うけど」

「じゃああれかもな。
お前と一緒で失恋だ」

「もっとありえないってー」

シャルは真面目に聞いて損したとでも言うように、口を尖らせる。
だがクロロはなんとなく自分の勘が当たっているような気がした。

あのイルミですら、愛を知ったんだ。
今更ありえないことなんてないように思えた。

[ prev / next ]