- ナノ -

■ 44.ひとめ、後悔


携帯を握ったまま、しばらくはぼんやりとしていた。

こうやって誰との繋がりも無くなっていくんだろうなぁ、と思うと寂しいような馬鹿らしいような、寂寞とした思いで胸がいっぱいになる。
仕事を辞めるなら、他の客にもちょっとずつ言っていかなきゃ……。
これじゃまるで死ぬ前の身辺整理だが、けじめだけはつけておきたい。

ユナは数字ばかりの電話帳をスクロールして、そこからヒソカの番号を見つけた。
そういえば前に告白されて以来、連絡を取ってない。
あの時はイルミにバレるかどうかで頭がいっぱいだったけど、よくよく考えればヒソカともかなり気まずいことになっているのだ。

どうしよう……
今はまだ、先伸ばしにしていいかな…

彼にイルミとのことを聞かれるのが嫌だった。
彼の言った通り、二人に壁ができてしまったことを自分の口から言いたくなかった。
迷った末に、携帯をしまう。

だが、ただ一つ幸いなことに、ユナが自分の行動に言い訳を見つけるよりも早く、ドタドタとこちらに走ってくる足音がした。


「ユナ姉!入るぜ!」

「…足音くらい消しなさいよ。それでも暗殺一家?」

バタン、と大きく扉が開けられて、姿を現したのは汗だくの次男だ。
彼はひとまずふぅ、と息をつくと、すがるような目でこちらを見た。

「悪いけど、ちょっと手伝ってくんねー?」

「なに?」

「見たらわかるから。
マジやべぇことになったんだ」

「そんなやばいことに巻き込まないで欲しいんだけど」

口ではそう言いつつも、ユナは腰を上げる。
他のことに意識を向けられるのなら、今はなんだっていいような気がした。

「どこ行くの?ミルキの部屋?」

「あぁ。
…そういや、聞くの忘れてたけどユナ姉って虫大丈夫?」

「虫?」

この歳になって廊下を走りながら、ミルキの部屋へと向かう。
もしかして、ゴキブリかなんかでミルキはこんなに騒いでいるのだろうか。

そうだとしたらとても情けない一方、まだユナの手に負える範囲だからよかったとも言えるのだが……

「執事達に頼みたいところなんだけどさ、俺の聖域に理解者以外を踏み込ませたくねーんだよ」

私はいつから君の趣味の理解者になったのだろう。
思い返してギャルゲーか、とユナは一人苦笑した。


**


「うわぁぁあ!!!何やってんの!?何これ!嫌ぁ!!」

ゴキブリというのは予想の範囲だった。
だが、この数は尋常じゃない。
何も知らずに扉を開けたユナは思わず引き返そうとしたが、ミルキの巨体に阻まれ部屋に。
足元に蠢く虫の大群に、いくらなんでも悲鳴をあげた。

「無理無理無理無理無理!!!!どうやったらここまで放置できるの!?」

「いや、放置してたわけじゃねーんだよ!奴らの繁殖力を何かに生かせないかと思って、実験したら大変なことに……」

「バカとは聞いてたけど、あんたホントにバカじゃないの!?」

「聞いてたってなんだよ!?」

とりあえず、行儀は悪いが仕事机の上に避難する。
とはいえこの仕事机も、パソコンやらお菓子やらフィギュアやら、色々なものがごちゃっとしていて、立っているのが精一杯だった。

「ねぇ、私にどうしろっていうの!?殺虫剤しかないじゃん、ほら、部屋に置いて煙をたく拡散タイプの!」

「ダメだって、それやるとフィギュアが痛むだろ!
ホイホイ持ってくるから、ユナ姉は虫集めといてくれよ!」

「そんな無茶な!」

そう言って部屋を逃げるように出ていくミルキに、わずかながら殺意がわく。
こんなところに放置するなんて、男として最低だ。
ユナはとりあえずもっと楽な姿勢になろうと、狭い机の上で体の向きを変える。
するとパソコンの画面が付けっぱなしになっていて、何気なく、本当に何気なくそれを見た。

そして─

「嘘………なんで………?」

信じられないものを見た。

「なんで……ウチの実家が………」

慌てて確認してみたが、それはどう見ても暗殺のターゲット。
見ようと思って見た訳じゃないだけに、ユナの頭の中は真っ白になった。


**


「いやぁ、ユナ姉の念がこんな形で役立つとはなぁ」

「次にこんなことがあったら、速攻イルミに言いつけるからね!」

「それだけはマジで勘弁!
本当にフィギュア壊されっからな」

結局、ユナの念で強烈な光を発し、それを嫌がって逃げたゴキブリ達を一網打尽にしたのだ。
1つのホイホイに10匹前後かかっているとしても、実にホイホイ23箱分。
虫が嫌いとかそんなの関係なく、確実にトラウマになりそうなレベルだ。
だが、今のユナにはゴキブリよりも、暗殺対象として実家の名前が上がっていることの方がショックだった。

ミルキがいない僅かな時間の間にわかったことと言えば、ターゲットが次期当主。
つまり、養子となりユナの代わりに家を継ぐ予定の男だ。
ユナの父は随分と前から半身麻痺を患い寝たきりで、今では形ばかりの当主であるがそろそろ限界なのだろう。
跡継ぎの死は家の存亡に大きく関わる。
だが、肝心な依頼主が誰かを見てみれば、それもまた実家の人間だった。

母の妹でユナの叔母にあたる女性……
いつも金銭以外の家の内情からは遠ざかっていたユナだからこそ、一体何が起こっているのかわからない。
ただ、依頼主も実家の人間であるならば、単に依頼主の方を片付けて終わりにすることもできなかった。

そして何より、最もショックだったのが─

「ミルキはこんな発明ばっかしてる暇があるんなら、少しはイルミの仕事も手伝いなさいよね」

「ちぇ、ユナ姉までそんなこというのかよ。
イル兄は好きでやってんだって。最近のイル兄はやけに仕事くれくれってうるさいくらいだし」

この暗殺の依頼を受けていたのが、他でもないイルミだったということだ─。



**


今日の仕事はこれで終わり。
イルミはちゃんと針の本数が揃っていることを確かめ、ようやく少し気を緩める。
いつもなら早く帰りたいと思うのに、ユナに会うのが辛くてわざと少し遠回りをしていた。

最近、彼女とはほとんど口を聞いていない。
だからこそたまに声を聞くたび胸が苦しくなって、抱きしめてめちゃくちゃにしたくなる。
触れないようにすれば?とヒソカは軽く言ってくれたが、実際はそう簡単なことではなくて…。
我慢すれば我慢するほど欲求が強くなって、彼女を守るためにはできるだけ顔を会わせないのが一番だった。

ゆっくりと飛ぶように指示を出した飛行船の中、イルミは何かから逃れようとするように目を閉じる。
だが、目を閉じれば余計にとりとめのない考えが浮かんでは消え浮かんでは消え、心を蝕んでいった。

そして今、イルミにはユナに関してもう一つ気の重いことがある。
それは一昨日、親父から告げられたことだった。




仕事を終えて帰宅すると、珍しく親父が二人で話したいと言い出した。
説教でもない限り、こうして改まって親子で話すなんてなんだか変な気分だ。
いや、もしかしたら説教かもしれない。
仕事を詰め過ぎであることは自分が一番よくわかっていた。

「…なに?親父」

「………単刀直入に言うぞ、ユナさんのことで話があるんだ」

ユナ、の名前に嫌でも反応してしまう。
かろうじて表情には出さなかったが、もしや気まずくなっている今の状況のことがバレたのかと、内心ドキドキしながら頷いた。

「依頼が来ている」

「え?」

「暗殺の依頼だ。彼女自身にではないが、彼女の家族に」

「……え」

はねる心臓。
親父は目を反らさずに、どうする?と聞いた。

「もちろん、断わることも可能だ。
ただ、一応お前に先に聞いておこうと思った」

「…なにそれ、オレが決めていいの?」

ゾルディック家は『家族』は殺さない。
だが、それには妻の実家などは含まれない。
そうやって繋がりを広くしていけば、どんどん殺せない人間が増えるし、守るべき人間も増えていく。
特に、ゾルディックと婚姻関係を結ぶような家柄は裏稼業が多く、恨みも買いやすいのだ。

だから家族と親戚は分けて考える。
イルミ自身にももしかすると親戚達がいるのかもしれなかったが、関わりを持ったことはなかった。

「…断る理由なんかないよ」

それがウチのルールだ。
たとえ、それでユナが悲しむことになっても。

「いいのか?」

「当たり前でしょ。
仕事に私情は挟まない」

自分でそう言ったくせに、特別な感情をさし挟んでいた。

「オレがやるよ」

ユナが家族のことを異常なほどまでに大事にしてるのは知っていた。
それこそ『オレ』以上に大事にしていることも。
だからこそ、仕事とはいえそれを自分の手で壊せることを考えるとたまらなくゾクゾクしたし、一方では夫というケジメとして自分がやらなくてはならないと感じた。

─ユナを壊すなら、オレの手で。

イルミの答えに、シルバは驚かなかった。
きっとここまで予想済みだったのだろう。

「……そうか、なら」

「ユナにはオレから頃合を見て伝える。
他の皆にもそう言っておいて」

「わかった」

この件がオレ達二人の関係にどんな影響を与えるかなんてわからない。
だけど仮に最悪の結末を迎えたとしてもオレは─

ユナを離さないし、
逃がさない。

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