■ 43.今更過ぎて泣くことも
あれ以来、イルミは私を避けている。
最初は気のせいかと思った。
話しかければぽつりぽつりとは返事を返すし、別に怒っている風でもない。
ただユナが彼に触れようとすれば、それは全てするりとかわされ、逃げるように仕事に行く。
少し前まではちょっとうざったくなるくらいベタベタしてきていたのが嘘のようだ。
そして、そうなると今度は寂しかった。
イルミの温度が恋しいと思った。
ワガママな自分に気がついて嫌になるも、離れてみてようやくわかったのだ。
自分はイルミのことが大切なだけではない。
好き、なのだと。
だけど、今度は初めて抱いた感情にどうすればいいかわからなかった。
言葉にしたところで、どうせたくさんの嘘をついてきたこの口。
それにもう、結婚してからしばらく経つのだ。
今更だろう。
気持ちを伝えることも触れることも叶わない今、ユナにできるのは少しでもイルミを気遣うことだけ。
情報屋の仕事も、最近は全て断っていたし、母からの依頼も実質放置状態だった。
「はぁ…」
本当に読書してイルミの帰りを待つ夜は、想像の何倍も長く感じられた。
そんな折、久々に仕事用の携帯が鳴る。
着信を見ればシャル。
情報屋を辞めるなら辞めるで、彼には一言いっておかなばならないだろう。
とはいえ、はいそうですかと辞められる商売でもないと重々承知していたから、どんよりとした気持ちで電話に出る。
「もしもし」
「久しぶりだね、メリル。
また頼みたいことがあってさ」
当たり前だが、シャルからの内容は依頼。
断ったうえで、正直に辞めることを言おうと思った。
「ごめん…受けられない」
「忙しいの?」
「そうじゃなくて…
もう辞めるの」
「え?」
そりゃそうだろう。
突然すぎるから。
それに辞めるって言ったって、記憶を消すわけにはいかないんだから、まだ私が色んな情報を持っていることには変わりない。
命を狙われる危険性だって、十分にあった。
「なんで……?何かあったの?」
「限界感じちゃって」
わざとおどけた風に言ってしまうのは、悪い癖のようなものだ。
「誰かに狙われてるの?」
それなのに真剣に聞いてくれるシャルの優しさに、思わず泣いてしまいそうになったがぐっとこらえた。
「何か困ってることがあるなら言ってよ。
メリルの能力ってレアだし、正直辞められるとオレも困るんだよね」
「……ごめん」
「ねぇ、辞めるくらいならさ、オレのところで働いてみない?安全は保障するよ。
他にも仲間がいたりするんだけど、オレの上司が知ったらたぶん、スカウトしたがるんじゃないかな。それくらいメリルの能力って」「シャル、ごめん」
こんなにも周りの人たちが優しかったなんて気づかなかった。
ずっと自分のことだけしか考えてなくて、自分さえよければそれでいいと思っていた。
「ごめんね、シャル…ありがたいけど、私本当に辞めるのよ…」
「そう……」
気まずい沈黙が流れる。
理由も言わずに、一方的に辞めるって本当に酷いと思う。
というか、普通は許されない。
「信じてもらえないかもしれないけど、シャルの今までの依頼に関するデーターはしっかりと破棄させてもらう。
それだけはちゃんとケジメつける」
「……もしかしてヒソカと何か関係があるの?」
「えっ?」
不意に出てきた名前に、思わず言葉を詰まらせる。
そういや彼には、ヒソカと一緒にいる所を見られていたのだった。
「………違うよ。ヒソカは関係ない」
「そっか、ごめん。変なこと聞いた」
「ううん」
「じゃあ……もう連絡を取ることもないんだね」
「………うん」
思えば、顔こそ見られてしまったものの、彼とは仕事の繋がりしかない。
こんなに長く会話したのも珍しいことだった。
「なんか…よくわかんないけど、そう思ったら寂しいね」
「え」
「あ、いや、冗談」
彼は取り繕うようにそう笑ったが、寂しいと言われればユナもそんな気がした。
彼とはもしかしたらいい友達になれたかもしれない。
腹黒い要注意人物だって警戒こそしてたけど、決して嫌いじゃなかったし、対等に話せる数少ない人間の一人だった。
「じゃあね、もし信用できなかったら、私を探して殺してくれても構わない。恨まない」
「………わかった。
じゃあホントにさよなら、メリル」
そう言って彼は電話を切った。
しばらく耳をすませてみたけれど、もう繋がってない携帯に向かって、ユナは小さくごめんと呟く。
結局最後まで彼に本当の名前を教えることができなかった。
**
「ごめん、受けられない」
「忙しい?」
「そうじゃない……
………もう辞めるの」
久々の依頼。
今までだって何回も彼女に頼もうかと思ったことはあったけれど、結局なんだかんだで頼めずにいた。
たぶん、また話せばヒソカとのことを問い詰めてしまうようなきがしたから。
実際、そんなことはビジネスに何の関係もないし、シャルがいちいち気にするようなことでもない。
それなのに、こんなにも気になってしまう自分が変だと思った。
自分が変になるのが嫌で、彼女に仕事を依頼するのをずっと尻込みしていた。
そして、今日はやっと彼女に『頼らざるをえない』ほどの大仕事が入ったから、少しワクワクしながら電話をかけたというのに……
「なんで…?何かあったの?」
突然辞めるだなんて、どう考えてもおかしい。
彼女は隠居するような年齢でもないし、なにより優秀だ。
限界なんて感じるわけもない。
となると、あと考えられるのは、情報屋としての彼女の身に何か危険が迫っているということだった。
「何か困ってるのなら言ってみてよ。メリルの能力レアだし、正直辞められるとオレも困るんだよね」
「………ごめん」
自分でもなんでこんなに必死になっているんだろう。
たかだか一介の情報屋じゃないか。
確かに彼女の能力はレアだが、無くては旅団の活動に差し障りが出るというほどでもない。
どちらかといえば、シャルが心配すべきは彼女が未だに持っているはずの情報の方。
なのに─
「辞めるくらいならさ、オレの所で働いてみない?
安全は保証するよ。他にも仲間がいたりするんだけど、オレの上司が知ったらたぶんスカウトしたがるんじゃないかな。
それくらいメリルの能力って」「シャル……ごめん」
電話の向こうで、彼女は本当に申し訳なさそうに謝っただけだった。
「ごめんね、シャル……ありがたいけど私、本当に辞めるの」
「そう………」
辞めちゃうんだ……
もう彼女が決めてしまったことなんだ。
本来、感じるはずのない喪失感。
ほらやっぱりオレはおかしい。
メリルは優秀な情報屋で、弱みを握ってるから今後が面白い玩具の一つで、ただそれだけなんだから。
こんなにがっかりするのは、どう考えたっておかしいことだ。
シャルが自分の心情すらも掴めずに混乱している間にも、メリルは決して情報は悪用しないと断言した。
「……もしかして、ヒソカと何か関係があるの?」
改めておかしいと認識した以上、ヒソカのことを聞かずにはいられなくて。
この件とはきっと関係ないだろうとわかっていたけれど、それでもするりと疑問が口からこぼれた。
「……違うよ、ヒソカは関係ない」
少しの間の後、彼女は答える。
おそらくオレが変なことを聞いたから、びっくりしたのだろう。
所詮、オレは彼女のことなんて何も知らない。
だからメリルが仕事を辞める理由を知らなくたって、別に何の不思議もないのだ。
そしてもう、この仕事の繋がりすらも無くなってしまえば、二度と彼女のことを知る機会もない。
「…なんかよくわかんないけど、そう思ったら寂しいね」
「え」
「あ、いや、冗談」
本当は、冗談ってのが冗談。
いい歳して自分の気持ち一つ分からないってどうなの、と思えど、なぜだか彼女とさよならするのが嫌だった。
「じゃあね、もし信用出来なかったら私を探して殺してくれても構わない。恨まない」
「…わかった。
じゃあ、ホントにさよなら、メリル」
今までのオレなら、間違いなく君をこの世から消していただろうね。
迷いを振り払うかのように、シャルは自ら電話を切る。
「結局、本当の名前すら聞けずじまいだったなぁ………」
自分のこの気持ちがなんであるか。
携帯から彼女の番号を消した瞬間、ふとわかったような気がした─。
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