■ 38.悪気のない悪魔
プリン、と聞いてミルキの心は踊った。
しかもよくよく話を聞けば、例のミオーレ地区にある有名な洋菓子屋のものらしい。
自分が注文した覚えはなかったから、今日の執事は気が利いてるな、と軽い足取りで部屋を出たところまでは良かった。
だが、母さんのわかりにくいキンキン声を注意深く聞くと、どうやら我が家に天変地異が起こったらしい。
「イルミが買ってきてくれたのよ!!!
人気店らしくて並んだんですって!!!!」
「それ……逆にやばくねーか?」
ミルキの頭に真っ先に思い浮かんだのは、新種の毒だ。
あのイル兄が、なんのメリットも無いのにわざわざ土産なんか買ってくるはずもない。
まず、土産と言う概念すら思い浮かばないだろう。
今まで何度も仕事の関係で遠出したりしていた兄だったが、ただの一度とて買い物なんぞしてきたことはない。
第一、並ばなくても普通に取寄せればいいんだし、ここは例の歪んだ愛とやらでプリンに何かを仕込んでいると考えるのが普通だろう。
ミルキはさてどうする………と悩んだが、イル兄直々に買ってきた以上、食べないという選択肢はないと思った。
それに、たとえ毒だったとしても、目の前にプリンが用意されていて食べないなんて俺のポリシーに反する。
「味見させてもらうぜ……イル兄……」
ミルキは静かな決意と共に、広間へと足を踏み入れた。
「あら?ユナさんは?」
「なんか、歯を磨くって言ってたからオレだけ先に来た。
ミル、だからこれは食べちゃダメだよ。ユナのなんだからね」
広間に入るなり、まだ何も言わないうちからそんな風に牽制される。
食べ物に執着のないイル兄が、わざわざ一つだけ別の皿にプリンを取り分け、大事そうにミルキから離れた位置においた。
それを見て、なんだそういうことかと察してしまった自分が悲しい。
2次元での恋愛経験もあながち無駄ではなかったな、とかそんなことを思いつつ、ミルキは自分の席についた。
「豚くん……平気なのかよ?
あのイル兄が買ってきたプリンだぜ?」
席に座ると、隣のキルアが青ざめた顔でこそっと囁く。
こいつも俺と同じで、毒か何かの想像をしているのだろう。
母さんの隣に座るカルトだけは素直にプリンだと信じきっているようで、特に嫌がっている素振りはなかった。
「甘いな」
ミルキは弟を一瞥すると「たぶん普通のプリンだぜ」と囁き返す。
「どういうことだよ?」
キルアは怪訝そうな、でも少し期待したような眼差しをこちらに向けてきた。
「だから、これはユナ姉のために買ってきたんだって」
元の兄の性格を知るミルキ達からすれば、本当にユナ姉は快挙を成し遂げたと思う。
キルアはくるんとした猫目を見開くと、あーなるほど、と呟いた。
「健気なイル兄って………」
「言うな。聞こえるぞ」
「聞こえてるけど」
意外な健気さを垣間見せた兄は地獄耳も持ち合わせていたようで、じろりとこちらを睨みつける。
ミルキとキルアはプリン楽しみだなぁと言わんばかりの顔をして、さっと目をそらした。
「すみません、お待たせして」
程なくして、本日の主役が満をじして登場する。
既にプリンはメイドたちの手によって綺麗に皿に盛り付け直され、たかがプリンごときに……と思わないでもないが、ユナを待ち構えていた。
「これでいま家にいる全員揃いましたわね!!!頂きましょうか!!」
「はい、これユナの分」
「「いっただきまーす」」
イル兄に手招きされ、ユナ姉は言われるままに席につく。
毒さえなければこっちのもんだぜ、とミルキとキルアはすぐさまプリンへ飛びついた。
「え、なにこれ?プリンパーティ?」
「別にパーティのつもりはないけど。
食べなよ」
「う、うん」
おかしい。
ユナ姉に特別喜んだ風はない。
まさか、俺たちと一緒で、毒の有無を警戒してるのか?
早々に食べ終わったミルキは二人の様子についつい注目してしまう。
まぁ!美味しいわぁ!と叫ぶ母さんをちらりと盗み見てから、ユナはようやくプリンを一口食べた。
「どう?」
「あのさ………イルミ」
非常に申し訳なさそうに母さんを見てから、ユナは小声で何かを言った。
この距離じゃ流石に聞き取れない。
ミルキは自然、彼女の唇の動きに注意深く見守った。
─私、プリン嫌いなんだよね
カラン、と金属スプーンが落ちる音がしてハッとすれば、音の元凶はイル兄と隣のキルアだ。
キルアもなんだかんだ言って、二人の様子を見ていたようで、ユナ姉の衝撃発言に固まってしまっている。
これは…………とミルキはおもった。
これは、流石のイル兄も大ダメージなのではないか?
いつも以上に無表情になった兄に、ミルキは関係ないのに背筋が凍った。
「ふーん」
「せっかくキキョウさんが用意してくれたの、悪いから食べるけど」
「いいんじゃない別に?無理して食べなくて」
テーブルの上に落としたスプーンは、さっと後ろに控えていた執事が交換する。
新しいスプーンを手にとったイル兄がすぐにそう返事をしたのを聞いて流石だと思ったが、よく見ると僅かに手が震えていた。
「え、でも悪いよ」
本人に一番悪いことしてるぞ!!!
どうやら彼女は、このプリンを用意したのが母さんであると思い切っているらしい。
あんなことを言ったのがもし俺だったら、間違いなく拷問部屋行きだろう。
「ユナ姉まじすげぇよ………」
新しいスプーンを手にとったまま、ぽつりとキルアが洩らした言葉にミルキは全力で同意した。
「いいよ、オレが食べてあげる。
その代わり今キスして」
「ぶっ!!」
今のは俺が紅茶を吹き出した音。
イル兄はああ見えて怒ってる………んだよな?
だからこそ、わざとユナ姉が恥ずかしがるようなことを言ったんだろう。
まさか、イル兄だって本当に家族の前でキスしたいなんて思ってないだろうし、思われていたら弟の俺達はいい迷惑だ。
今やミルキ達は、二人の成り行きを固唾をのんで見守っていた。
「え、イルミ何言ってるの?
今キスしたら、プリン味でしょ。
嫌いだって言ったよね?」
「……今、紅茶飲んだから紅茶味だよ」
「だめ。プリンの甘さナメないで。
紅茶くらいじゃ誤魔化されないんだから」
ユナ姉は一体どこまで本気で言っているのか。
天然?いや……あれは策士だよな?
自分が食べたくないという理由で、突如イル兄に向かって「あーん」を始めるユナ姉。
なるほど、あれなら母さんに怪しまれず、プリンを抹殺できる!!!
結局イル兄は、腑に落ちないと言わんばかりに眉をよせつつ、ユナ姉の言われるままに口を開いていた。
「美味しい?」
「……うん」
美味しい?じゃねーよ!
あんたそれ、嫌いなんだろうが!!
「まあまあ!!!ラブラブね!!
私も父さんとのことを思い出すわぁ!!!」
女って怖ぇ……。
良くも悪くも、母さんはストレートな性格だ。
だからこそ、ユナ姉が小悪魔……いや悪魔に見える。
イル兄も、すごい奴に惚れちまったな……
ああいう女はギャルゲーにもいない、とミルキはまだ見ぬ世界を思い知らされた気分だった。
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