■ 36.諸刃の愛
─もしかして疑ってるの?
そう聞いたイルミは、いかにもやれやれと言わんばかりに腕を組んで壁にもたれかかった。
「さっきから黙ってばっかだし、なんだかよそよそしいし…元はといえば電話に出ないユナが悪いんだろ」
「……」
「携帯はどうしたの?まさかホントにずっと無視してたわけ?
何回かけても出ないから、そんな気はしてたけど」
取り敢えず、イルミの流れるようなお小言を聞いているが、さっぱり話が見えてこない。
だが彼の口ぶりでは、どうやら怒っているのは私の方らしい。
どこからそういう話になったのか、皆目見当つかないが、答えられる質問には答えた方がいいだろう。
ユナは下手にボロが出てしまわないように、出来るだけ短く簡潔に返答した。
「携帯は水没した」
「は?何言ってんの?」
そりゃ、当然の反応だ。
だって水没したっていうか、させたんだし。
イルミに電話に出なかった理由を聞かれた時のため、先手を打って携帯を亡きモノにしていたのだが、それをイルミは勘違いしたのだろうか。
だが、彼の方も次第に見えてこない話に苛立ち始め、僅かに眉をあげた。
「なんで?なんでそんな馬鹿なことしたの?ユナそんなに怒った?
言っとくけど仕事だからね、オレ、ユナに疑われるようなこと何もしてない。そりゃ帰れなかったのは悪いけど、オレだって急な依頼で腹立ったし、てゆーかそう、依頼。ヒソカが悪いんだよ、だからオレは別に」「ヒソカ?」
ユナはその名前に思わず反応してしまった。
「そう、ヒソカが急に依頼してきたんだよ。だからあくまで仕事で、ユナに疑われるようなことはしてない」
「……疑う?」
あっ、なんかようやく話が見えてきた。
今、必死になって弁解してるのは私じゃなくてイルミ。
つまり昨日ここに不在だったのはイルミの方で、彼の浮気を疑い、ユナが怒っているという話の流れになっているのだ。
だが、それにしてもイルミに急に入った依頼がヒソカから、となると訳が分らない。
あのピエロは結局人をさんざんからかっただけで、本当にバラすつもりではなかったのだろうか。
何はともあれ、イルミが私を疑っているわけではないようで良かった。
「ホントは…信じてるよ」
イルミは良くも悪くも正直だ。
だから、もしもユナを裏切るようなことがあっても、弁解はせず堂々としているだろう。
けれどもせっかくの勘違いを、わざわざ解いてやるメリットはなかった。
「ごめんね、私もちゃんと電話に出れば良かった。
携帯壊れたのは偶然なの。
でもイルミが帰ってこなかったから、もしかしてって思っちゃってそれで…」
「そう…怒ってないならいいけど」
「うん、イルミのこと一瞬でも疑うなんて私最低だね。ごめんね」
……………ホントに最低。
徐々に柔らかいオーラに戻るイルミを見てたら、だんだんと自己嫌悪に陥ってきた。
こんなに必死に弁解するってことは、イルミはイルミなりに私のこと愛しててくれてるんだろう。
─キミがそうやって家に執着する限り、いつかイルミはキミの家族を殺すだろうね
だけど、これじゃまるで諸刃の剣だ。
ヒソカの言葉を思い出したユナは無意識のうちに、唇に手を当てていた。
「でも、そんなに怒るほど寂しかったの?」
「えっ?」
イルミの言葉に、考え事をしていたユナはきょとんとする。
確かにそうだ。
イルミが浮気してたかもしれないなんて思って、嫉妬して怒ってた─
という設定なのだから。
そうなると、初めは疑われて不愉快そうだったイルミも満更ではないようで。
「オレがいないと寂しい?」
いつの間にかユナのすぐ傍までやってきて、僅かに口角を上げた。
「ち、ちょっとね」
まずい。
もしかしなくてもこれは、変なスイッチ入れちゃったかもしれない。
近づくイルミに身の危険を感じてユナは下がるが、そのまま後ろに下がっても扉。
すぐに追い詰められて、「なんで逃げるの?」と聞かれた。
「イ、イルミ、まだ朝だよ」
「ふーん。オレまだ何も言ってないんだけど、ユナはそういうこと想像しちゃったの?」
「違っ、違うけど!」
あー、墓穴掘った。
どっちかというとSっ気のあるイルミは、内心この状況を楽しんでいるに違いない。
壁ドンならぬ扉ドンの状態で、ユナにもはや逃げ場はなかった。
「素直にオレが欲しいって言ったら?」
「馬鹿なこと言わないで」
「可愛くないよ」
「別にいい」
イルミは見た目に合わず、意外とそういうことをしたがる。
やっぱ、人を殺した後って神経が昂って欲が強くなるものなのだろうか。
イルミの顔が近づいてきて鼻と鼻がぶつかりそうな距離まで来た時、ユナは手のひらで彼の口を塞いだ。
「……ふぁんで?」
「なんでって…今は嫌」
「ひまふぁだめなほ?」
「何言ってるかわかんない。ちょっとどいて」
望んでそうなったのではないとはいえ、ヒソカにキスされた唇でイルミとキスしたくない。
歯を磨こう。まずはそれが先だ。
ユナがイルミを押しのけるために手を離すと、彼は何を思ったか逆に抱きついてきた。
「もう、どいてったら……」
「しないよ。だけどこれくらいいでしょ?」
「重いよイルミ」
「だったら今日はユナが上になる?」
何言ってるのこの人。
と、いう思いはひとまず置いといて。
やたらと甘えてくるイルミに幼児退行?と首を傾げながらも背中をさすってあげた。
「イルミ変。気持ち悪いよ」
「……ユナが怒って出ていっちゃったらどうしようかと思った」
「心配しすぎ」
いつからイルミは私にこんな依存するようになったんだろう。
出会った当初から、私達はとてもよく似ていた。
拠り所となるものは家しかなく、そのためなら自分を捨てることなど厭わなかった。
そう考えるならば、イルミはもう私のことを家の一部であると見なしているのだろうか。
そして私がいつまでたってもイルミを家の一部であると考えられないのは、性差─つまり、嫁いで来たものと嫁にもらったものとの差なのだろうか。
「イルミは…私のモノになってはくれないね」
「え?」
「私はイルミのモノ?」
「うん、そうだよ」
事も無げに答えたイルミは、当然だろと言わんばかりに頷いた。
「だから、もしもユナが出ていくって言っても、認めないつもりだったよ。
監禁してでも針刺してでも逃がさないから」
「病んでるね」
イルミの口からそんなこと聞いたら、やっぱりヒソカが言ったことって当たってるんだろうと思えてきちゃうよ。
そして、もしもヒソカの言った通りになったら、その時私は…………
「ユナ、やっぱり今じゃダメ?」
「ダメ無理嫌…やっ…」
せっかく人がシリアスモードだったのに、耳たぶを甘噛みされ、力が抜ける。
そしてそのままイルミの手がするりと私の脇腹を撫でた時─
「イル!!!ユナさぁぁん!!!!!!!」
勢い良く扉が開けられ、ユナは後頭部を強打した。
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