■ 31.ムードはいらない
午後8時。
そろそろ帰りたい。
食事もあらかた終了し、ユナは時計を確認した。
きっとまだ、イルミは帰ってないだろう。
「この後、もう少しどこかで飲まないかい☆?」
「えっ、ごめん。帰る気マンマンだった」
「……キミは高校生かい💛?
まだ8時だよ、バーとかで飲むくらいいいじゃないか」
そりゃ確かに今日はパドキアにいるため、もう少しくらい付き合っても十分イルミより先に家に帰れるだろう。
それに曲がりなりにも今回のはヒソカに対する報酬だ。
少しくらいは要求を呑んでやらないと、今後何かを頼んでも、もう引き受けてくれないかもしれない。
ユナは少し考えて「バーは嫌だな」と言った。
「私、そんなに飲めないし」
─あんまりいい思い出もないし。
「そう?じゃあホテr」「死ね」
冗談だよぉ💓
そうにやけるヒソカはいつも通りのヒソカで。
気持ち悪い、と思った反面ユナは何故か少しほっとして、呆れたようにため息をついた。
「やっぱり帰る」
「そう言うなよ。
キミが行きたいところならどこへでも連れていくからさ★」
「え、じゃあそうねぇ……」
行きたいところか。
昔はたくさんあったけれど、大人になるに連れてだんだんと無くなっちゃったな。
でも本当は『どこへ行きたいか』ではなく、『誰と行きたいか』の方が大事であることを、ユナは子供の頃から知っていた。
「どうせなら、普通に街とかぶらぶらしたいな。
あ、お祭りとかいいかも。屋台の物って一度食べてみたかったの」
「お祭り?
でも今、そんな時期じゃ……💛」
ヒソカの言う通り、今はそんな時期ではない。
パドキアは夏には花火大会など行われるので賑やかであるが、それ以外はとりたててお祭りらしいイベントは無かった。
「お祭りじゃなくてもいいよ。
なんか下町グルメ的な。
ヒソカ知らない?」
たぶんイルミは知らないだろうし、興味も示さないだろう。
言えばたぶん、屋台ごと屋敷に呼んではくれるんじゃないかな。
でも、ユナが体験してみたいのは雰囲気そのものだから、それでは意味がない。
─せっかくヒソカと行くのなら。
そういう意味でユナは提案した。
「わかったよ…。
知ってるには知ってるけど、ボクあんまり乗り気じゃないなぁ☆」
「なんで?」
「だって、ムードの欠片もないじゃないか💓」
ヒソカは少しだけ拗ねたように呟いた。
「ムード…か」
それは……否めない。
デートっぽくはないし、今のこのちゃんとした服装も不釣り合いだろう。
ホントはそんなものどうだっていいんだけど、『彼女ごっこ』をやるんなら必須条件なのかもしれなかった。
「じゃあ、危なそうな所に行こ。
この格好なら、カツアゲされるかもしれない」
「え…カツアゲされてどうするんだい★?」
「守ってよ」
ユナが真剣にそう言うと、ヒソカはぷっ、と吹き出した。
「何がおかしいの?」
ムードがどうのこうの言うから、わざわざそれっぽいことしようと思ったのに。
女性を守るシチュエーションなんて、一般的にはなかなかロマンティックなんじゃないかな。
もっとも、ユナだって弱いわけじゃないから、守られる必要なんて全くないのだけれど……。
ヒソカは余程ツボにハマったのか、肩を震わせてしつこく笑っていた。
「キミってときどき、ワケわかんないよねぇ……💛」
「だ、か、ら、いつもワケわかんないヒソカに言われたくないんだけど」
悔しいがこいつの性格判断はなかなかに当たっていて、私が気まぐれだってことは認める。
けど、気まぐれな奴に気まぐれと言われるのはまた話が別だ。
同族嫌悪と言われても仕方がないが、その同族であるということすら不愉快だった。
「キミのそう言うとこ好きだよ」
「……だから…」
どうせそれも気まぐれなんでしょ。
だったら急に真剣な顔で言うのは、やめてよ。
**
「あれ、食べてみたい」
「いいよ。
……それにしてもやっぱりこの格好は目立つねぇ☆」
ユナが指差したのは、屋台で売ってる1本200ジェニー程度の焼き鳥だ。
先ほど食べたばかりではないかと思わないでもないが、レストランの食事というものは、えてしてそんなに量のあるものではない。
ヒソカはユナの希望通りの物を購入すると、彼女に手渡した。
「ありがと。
でもたぶん、普段のヒソカの格好の方が目立ってるよ」
「それはどうも💓」
ヒソカにはそう言ったものの、自分達がかなり注目を集めていることはユナもわかっていた。
無理もない。
実際、焼き鳥のようなタレのかかったものを食べるには白いワンピースは適していなかった。
「うん、美味しい」
焼きたての熱々だから食べるのが大変だけど、とろりとした濃厚な味付けが絶妙だ。
「ボクにもちょうだい★」
「いいよ」
初めから自分の分も買えばいいのに。
まぁ、どうせこいつのことだからあーん、とかしてもらおうと思ったのだろう。
ろくに冷ましもせず、残りを強引に口に押し込んでやると、少しの間大人しくしてくれたので非常に助かった。
「でも、全然絡まれないね」
「……うん。
絡まれたいのかい?
きっと今は警戒されてるだけだと思うよ💛」
ヒソカはなんとか飲み込むと、珍しく苦笑して周りを見回す。
そして何かを見つけたのか、一瞬ぴたりと動きを止めた。
「どうしたの?」
「いや、少し知り合いを見つけたからね☆」
どこ、と聞く間もなく、ぱっと手を引かれ、有無をいわさずそちらへ連れていかれる。
ヒソカの知り合い、と聞いて、まさかイルミ?と焦ったが、彼がこんなところにいるはずもなかった。
「やぁ、奇遇だね💓」
「……もしかして、ヒソカ?」
薄暗い路地裏から出てきた明るい金髪に、ユナは声を上げそうになる。
なんでこんなところに─!!
だが驚いているのは向こうも同じようで、警戒と好奇心の色が瞳の奥でちらちらと瞬いていた。
「びっくりしたよ、そんな変な……あ、いや、いつもが変なのか。
とにかく、珍しい格好でこんなとこにいるなんて」
「彼女が来たいって言ったものだからねぇ…★」
ヒソカは何を思ったか、ユナの手を引き、シャルの視界へとばっちり晒す。
げ、とは思ったが、姿を変えているため、黙っていればバレないだろう。
「へぇー、彼女ってそういう彼女?」
「そうだよ💛」
「……」
訂正したいけど、なぜ一日だけなのかとか説明するのは厄介だ。
黙ったままのユナに気を大きくしたのか、ヒソカは図々しくも肩を抱いてきた。
「うわ……君、男の趣味悪いって言われない?」
「そんなことないよ☆
ボク達ラブラブだからね、ねぇ
メリル」
ばちり、と視線が合い、ヒソカの目に自分の姿が映っているのが見える。
瞳の中の私は、怒ったような泣き出しそうな、そんな複雑な表情をしていた─。
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