■ 28.束の間の日常
結局、いつものように昼過ぎに目が覚めた。
皆は私が仕事をしてるのを知らないし、これじゃほとんどニートである。
キキョウさんはこんな嫁でホントによかったんだろうか……
そんなことを思いつつも、まずはシャワーを浴びようと考え、ユナは体を起こそうとした。
「ん…重い……」
5cmくらいしか頭が上がってないような気がする。
呆れて隣を見れば、抱きつくというより巻き付くと言った感じでイルミにがっちりホールドされていた。
さらに細かく言うならば、寝転んでいる時はさほどでもなかったのに、起き上がろうとした瞬間、信じられないほどの圧力がかかってユナの体は再びベットへと沈み込むハメになったのだ。
「イルミ……絶対起きてるよね?」
「……」
そしらぬ顔で寝たふりしてるけど、流石に誤魔化されないよ。
昨日やっと決心してカミングアウトする気になったのに、二重の意味で寝たら言う気が削がれてしまった。
今だってこうしてイルミの腕の中にいると、このまんまでいいや…と思えてくるくらいだし、わざわざ自分から家庭に波風立てるなんて馬鹿げてる。
それならむしろ、仕事辞めたいな…
ユナはだんだんとそう思い始めていた。
「イルミったら……私が起きれないじゃないの」
「……」
「寝たふりなの、バレてるからね」
そう言って、動かせない手足の代わりに軽くおでこに頭突きする。
あれ……私、イルミにもうちょっと優しくしようとか思ったような思ってないような……
頭突きをすると観念したのか、イルミはぱちりと目を開けた。
「……まだ起きなくていいでしょ」
「もう昼過ぎだよ?」
「昨日…遊びに出かけたの、どうだった?」
猫のように肩口に擦り寄って来て、寝起きのちょっと掠れた声で聞いてくるのは、これこそハニートラップだと思う。
知ってるくせに、と言いたいのを堪え、ユナはじっとイルミを見つめた。
「なんかね、変な奴に声かけられて気持ち悪かったよ」
「へぇ……それでどうしたの?」
「お酒一杯奢ってもらって逃げてきた」
「賢明だね、ユナはそんな奴相手にしちゃダメだよ」
イルミのホールドがふわり、と緩んで、彼はそのままユナの髪を撫で始める。
絶対自分の方が触り心地良さそうなのに……と、こちらからイルミの髪に手を伸ばせば、大きな瞳が一瞬丸くなった。
「……ユナからオレに触れてくるなんて珍しいよね」
「そう?」
「うん。そもそもユナは他の女と違ってあんまりベタベタしないし」
他の女、が指すのは大方、ユナ以前の婚約者候補達のことだろう。
イルミに限らず、他人とのスキンシップをあまりしないユナは、言われてみればそうかも…と思った。
「もっと触れた方がいい?」
基本的に人との適度な距離感を掴むのは苦手だが、それに加えてイルミは私と同じで嫌がるタイプかと思ってた。
あ……でもそれにしたら、結構くっついてくるか。
やっぱり私はイルミに冷たくしすぎていたのかな、と少し反省……
「…それ、誘ってる?」
したのも束の間、太ももに当たる硬いものを感じてユナは飛び起きた。
「馬鹿、イルミの馬鹿!」
「朝だから仕方なくない?」
「知らない!」
ようやくベッドから抜け出したはいいものの、流石に裸ではバスルームまで行けない。
地面に足を付けるなり、下腹部に鈍痛が走ったが、怒ったユナはまだ寝ているイルミから上布団を取り上げてそれを体に巻き、ぷいと背を向けた。
「うわ、ユナからオレを脱がすなんて大胆だね」
「服着ろ!」
まったく……
イルミは子供っぽいと油断してたら、不意にとんでもないこと言い出すから心臓に悪い。
ユナは追って来られる前に、無駄な抵抗とは知りつつも脱衣所に鍵をかけた。
「髪乾かして」
「うん…いいよ」
ここまで来たら、髪を乾かすくらいどうってことない。
あの後、案の定バスルームへと乱入してきたイルミは手こそ出さなかったものの、かなり面倒くさかった。
そもそもシャワーなんだから二人で入ったってどうしようもない。
たぶん鏡の前で所有印に気づいたユナの反応を見たかっただけだろう。
今も相変わらず無表情のくせに、どこか楽し気なオーラを纏わせて大人しく座っていた。
「ドライヤー、あてるよ」
「うん」
切ればいいのに、と思う。
確かに髪は羨ましいくらい綺麗だけど、傷めないようにいちいち冷風で乾かすのも大変だし、仕事の邪魔にならないんだろうか。
まぁ、この歳になって自分で伸ばしてるんならお洒落かもしれないし、そういやシルバさんも髪が長いな…
ユナはとりとめもないことを考えながら、ひたすら手を動かす。
まさか、「切ればいいのに」と思われているなど夢にも思ってないのだろう。
その間イルミは気持ちよさそうに目を瞑っていた。
ブーン、ブーン
その時、僅かに聞こえたバイブ音。
ユナは一瞬手を止め、音の発生源に思い当たると、さっと青ざめた。
「……ユナ?」
「え、あ、ごめん」
不意に動きを止めたからか、イルミが不思議そうに声を上げる。
ユナはハッとしてまた手を動かし始めたが、バイブ音は未だに止まない。
仕事用の携帯……
昨日、ヒソカからのワンコールを受けた後、切っておくの忘れた…!!
ユナは黙って、ドライヤーのスイッチをHOTの強にした。
すると途端に、激しい音が洗面所に響きわたる。
「え、ユナ熱いんだけど」
「うん」
「いや、『うん』じゃなくて」
「冷風と熱風交互の方が、髪にコシが出るんだって」
知らない知らない。
そんな麺類じゃないんだから髪のコシがどうとか知らない。
それでも、もっともらしく理由をつけるとイルミは怪訝そうな顔をしながらもされるがままになっていた。
「ねぇ…ユナ、さっきからオレの耳乾かしてない?」
「ほら、あれ。末梢神経温めると冷え性にいいんだって」
「別にオレ冷え性じゃないんだけど…」
ドライヤーを耳元に集中的に当てることで、幸いにもバイブ音には気づかなかったようだ。
携帯が鳴り止んだのを確認したユナは再び冷風にスイッチを合わせると、何事もなかったかのように毛先を乾かし始めた。
「はい、終わりー」
面倒くさがっていた割には、仕上がったサラサラの髪の毛にユナは満足した。
唐突な熱風のダメージも、あの短時間では大して影響を及ぼさなかったようだ。
「ん…じゃあ、オレそろそろ仕事行くね」
「うん、行ってらっしゃい」
あぁ、なんか『日常』だって感じ……
暗殺者なら行ってきますっていうより、 殺ってきます、の方がしっくりくるはずなんだけど、なんか普段のイルミを見てたら実感沸かないなぁ。
もはや、ベランダからの出入りもその『日常』に組み込まれていることを思い出し、ユナはちょっと苦笑いをする。
「気をつけてね」
私だって、やり方がわからないだけでいい奥さんになりたいんだよ。
この言葉はその一歩。
遠ざかる背中が見えなくなるまで、ベランダからお見送りをする。
「さてと、携帯……」
私だっていい奥さんになりたいんだけどね……
[
prev /
next ]