■ 26.口説き文句と上の空
「いい?
その念は慣れるまで時間がかかるから、30分。
30分ここで待機してからバーに行くのよ。
ちょうどそれくらいの時間にターゲットも来店するらしいから」
「わかったよ💛」
「って、その喋り方禁止!」
メリルの念ですっかり見た目を変えたヒソカは興味深そうに自分の体を見回す。
黒い髪に、切れ長の大きな瞳。
そっくりというわけではないものの、どことなくイルミに似通った雰囲気のの姿にヒソカは少し呆れていた。
「キミ、これ絶対イルミを意識しただろ☆」
「え?
あぁ…ターゲットのタイプがわかんなくてね。
やっぱ旦那に似せておこうかと」
メリルは一瞬きょとんとしたあと、バツが悪そうに付け加える。
でもちゃんと、どこからどう見てもヒソカには見えないので、問題は無さそうだった。
「……まぁいいよ💓
それより、やっぱりキミも変化系だったんだね。
周りのオーラを変化させて、違う見た目にしてるのかな★」
「『も』って言うのやめてくれない?
ヒソカと同類だって言われてるみたいで不愉快」
「酷いなぁ💛」
念をかけてもらったはいいのだが、詳しくは教えてくれない。
効果が切れるのもメリル次第らしく、仕事が完了したら店を出てワンコール入れろと言う指示だった。
「ヒソカから電話が来たらその念を解除するから、その後は上手くイルミに声かけてね」
「はいはい☆」
「それじゃ、私はこれで」
「……ん?キミはその間どうしてるんだい💓?」
まさかとは思うが、この依頼をまるごとヒソカに投げるつもりなのだろうか。
メリルは「私は裏方よ」と答えると、さっさと立ち去ろうとする。
「一応イルミは私が男役やってると思ってるからね。
この姿じゃまずいわけ。
適当に変装して念の効く範囲に紛れ込んでるから、後はよろしく」
じゃ、と短く言い残し、メリルは出て行ってしまった。
あと30分。
ヒソカは改めて自分の姿を鏡でまじまじと見つめた。
「やっぱりボクにはちょっと地味すぎるなぁ★」
***
「隣、いいかい?」
「……ええ、どうぞご勝手に」
─来た。
ユナは何気ない風を装い、自分の目の前のグラスを見つめる。
隣に座った男、つまりヒソカの扱いなら慣れているけど、今日はそんなに飲まないようにしよう。
イルミもどこかでこの様子を見ているわけだし。
「君、よくこの店には来るのかい?」
「……いいえ、めったに来ないの」
なるほど。やっぱりヒソカを抜擢してよかった。
はっきり言って堂々としすぎなナンパだけれども、不思議と様になっているのだから仕方が無い。
ヒソカは艶っぽく片眉を下げて見せた。
「そう、それはとても残念だな。
せっかくこうして出会えたのに」
うっわ……
でもやっぱりキザ。
クロロも大概だったけど、ヒソカもなかなかだな。
というか中身を知っている私としては、真顔でこいつがこんなクサい台詞を言ってることに吹き出しそうになる。
ユナはそれを誤魔化すように、グラスに口をつけた。
「じゃあ、今日はどうしてここに?」
「…気分よ。わかったらもう無粋な詮索はやめて頂戴」
ヒソカには悪いが、イルミが見ている前で浮気まがいのことは命取りだ。
たとえこっちにそんな気は一切無くても、不用意な発言は誤解を招きかねない。
もっとも、隣の変態は心配せずともこの程度ではめげないだろうが。
「悪いけど、その頼みは聞けないな。
僕はもっと君のことが知りたいよ」
……ほらね。
変装のおかげで爽やかな笑みに見えるが、ユナにはその下のニヤついた表情がありありと想像できた。
**
─ユナ、なんであんなお洒落してるわけ?
オーラを一般人のように垂れ流し、こちらも変装して客に紛れていたイルミは、妻の格好を見て溜め息をつく。
確かにTPOには合っているし、この店を勧めたのもオレだけど、ちょっと露出度高くない?
あんな背中の大きく開いた服装で一人で飲んでいたら、ハニートラップじゃなくても声をかけられそうだった。
「隣いいかい?」
やがて現れた人物は、黒髪黒目の色男。
先にメリルから聞いていた特徴と一致するため、これからいよいよスタートなのだろう。
イルミが片時も目を離すまいと見守っていると、ユナはあっさりと隣に座るのを許した。
「君、よくこの店には来るのかい?」
「……いいえ、めったに来ないの」
男、つまりメリルは慣れた様子で、逆にちょっとびっくりする。
イルミも今まで仕事で女を口説いたこともあったが、下手すると自分より上手いのではないか。
イルミがそんなことを考えていると、メリルは艶っぽく片眉を下げてみせた。
「そう、それはとても残念だな。
せっかくこうして出会えたのに」
……うわ、キザ。
メリルちょっとやり過ぎじゃない?
流石にそれは胡散臭いよ。
それとも女ってやっぱり甘い言葉が好きなのかな……
「じゃあ、今日はどうしてここに?」
「気分よ。わかったらもう詮索はやめて頂戴」
ユナは興味無さそうに、カウンターへと視線を落とす。
そうそう、ユナはあんな男に引っ掛かったりしないよね。
だけど……
ここに来たのは、『気分』じゃないでしょ?
相手に気を持たせるようなこと、言っちゃダメだよ。
**
─やっぱり、ユナは簡単にいかないなぁ…
ヒソカは相変わらず冷めた視線のユナの横顔を見つめ、小さく笑みをもらす。
実際、イルミが近くにいるのでなびかれたらなびかれたで面倒なんだけど、こうもツレない態度をとられるとちょっとくらいは振り向いてもらいたくなる。
隣にいるボクの正体には気づいてないんだろうなぁと考えただけで、尚更面白かった。
「マスター、彼女に…」
耳打ちするように注文を入れると、聞こえたのかユナはちら、とこちらを見た。
「奢ってもらういわれはないわ」
「ほんの気持ちってやつさ。そもそも君は結婚しているようだし」
彼女の左手の指輪は、薄暗いバーの微かな証明でも輝いている。
こっちからそんなことを言うと思わなかったのか、わずかにユナの目は見開かれた。
「それがわかってて…
声をかけるなんて悪い人」
「悲しい恋だって言ってくれないか?」
カタ…とヒソカの注文したカクテルがユナの目の前に置かれる。
そういえばメリルはあまり酒に詳しくなかったが、ユナはどうなんだろう。
その疑問が浮かんだからこそ、ストレートな誘いは避けたつもりだった。
「綺麗ね……なんてお酒?」
「名前を教える前に、一つ聞いて欲しい話があるんだ」
「……なに?」
グラスの中の液体は、妖艶な深い赤色をたたえている。
彼女は初めて興味を持ったのか、首を傾げて訊ねた。
「そのカクテルにはね、『ジン』って有名なお酒が入ってるんだけど、君は『ジン・マリッジ』って言葉を知ってる?」
「……いいえ、知らない」
ジン・マリッジという単語にマスターがピクリと反応する。
ヒソカはゆっくりと、彼女の左手の上に自分の手を重ねた。
「……『急ぎすぎた結婚。』
ジン・マリッジはそういう意味だ」
ユナとイルミは政略結婚。
しかもあったその日に結婚を決めたという話だ。
彼女は一瞬言葉を詰まらせたあと、そっと手を引っ込めた。
「……へぇ、それはまた随分と意味深ね」
「あぁ。でも奥さん一人でこんな所にいるのもとても意味深だけれどね」
自分のは適当に頼んだカクテルだったけれど、雰囲気的に口をつける。
ユナはそれに対しては何も応えず、目の前に出されたカクテルを同じように飲んだ。
「……で、となるとこのお酒は一体どんな名前なのかしら」
「ああ……それはね、とってもロマンチックな名前のカクテルなんだ。
だけど、今の僕には少し悲しいかな…」
結婚している彼女と、その彼女に気がある男という設定。
互いに惹かれあったとしても、決してその関係は日の当たるものではない。
「キス・イン・ザ・ダーク…」
─暗闇の中でキスを
頭のいいキミなら、ボクが口説いてるってことくらいわかるよね。
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