■ 23.無理難題
「ちょ、コーヒスさん、こんな所では……やっ!」
ほんと無理。ほんっっっと無理。
腰をいやらしい手つきで撫で回され、思わず悲鳴が漏れる。
あの後、なんとか二人きりでパーティ会場を抜け出し、夜のテラスでいいムードにこぎつけたユナはまんまと彼から情報を引き出した。
だからもうこいつは用済み。
あとは薬なり何なりで眠ってもらおうと思っていたのだけれど、ここまでセクハラが酷いと手刀で気絶させてやろうかとすら思えてくる。
しかし、薬にしろ手刀にしろコーヒスに疑いを抱かせてもいけないので、個室に誘導した方がいいに違いなかった。
「ロアナ、君が好きだ愛してる…」
「ええ、私もですわ」
彼の猛烈なアピールに思わず殺気が少し溢れ出てしまう。
さっき会ったばかりなのに、愛してるだなんて頭沸いてるとしか思えない。
ユナは妖艶な笑みを浮かべると、ほとんど覆いかぶさってきているコーヒスを押しのけて、耳元で甘く囁いた。
「どこか休めるところに移動したいわ…」
「お、おぉロアナ…わかった、すぐに用意しよう」
男の目の色が変わる。
あぁ無理ホントに気持ち悪い。
ユナは早く解放されることだけを願って、彼の案内のままに廊下を歩いた。
─その時
「…っ!危ない!」
何か、恐ろしく速いものがコーヒスのすぐ近くを掠める。
とっさに反応したユナが、彼を押したから良かったものの、あのままでは確実に命を落としていただろう。
そして間髪入れずユナは物が飛んできた方向へと、警戒の視線を走らせたが、そこには誰もいなかった。
「ロ、ロアナ…どうしたんだい?」
殺されかけたのにわかんなかったの?
あなたは暢気でいいわね、と忌々しく思うも、仕方が無いから誤魔化すように微笑んだ。
「あ、いえ…ごめんなさい。
何か大きい虫がいて、私怖くて…」
我ながら苦しい言い訳だが、今はそれどころではない。
というのは、廊下の突き当たりの壁に刺さっていた物が何であるか気づいてしまったからだ。
コーヒスを狙って放たれたそれは、紛れもなくイルミの針だった。
どうしてイルミが……
パーティが被ったことは知っている。
だけど、彼のターゲットはコーヒスではなかったし、ユナだって見た目も名前も違うんだから狙われる理由が無かった。
「ロアナ…」
「ええ、早く入りましょう」
二回目の攻撃は来ない。
様子を伺っているのかわからないが、とにかく部屋に入ってしまった方が賢明だろう。
部屋に入るともう待ちきれないとばかりにコーヒスが抱きついてきたから、素早く手刀を落として気絶させておいた。
「ったく、気持ち悪いのよ…」
イルミの目的はわからないが、とりあえずよいしょ、と彼の体をベッドまで運び、服を少し乱しておく。
バスルームも濡らしておき、いかにもそれらしく見せかけておいた。
きっと目覚めたコーヒスはあれ?と思うだろうが、お酒も入っていたことだし大ごとにはしないだろう。
コーヒスの方はこれでよしとして、ユナは深呼吸するとドアノブに手をかけた。
「殺したの?」
「…」
ドアを開けた瞬間は誰もいなかった。
それなのに、いつのまにかイルミが廊下の端に立ってこちらを見ている。
出かけに見たすらっとした黒のスーツ姿で、血で汚れてこそいないものの、既に仕事は終わったのだろう。
ユナはあくまで一般人を装い、目を丸くして見せた。
「こ、殺した……?どうして私が。
急に現れて、あなた一体誰なんです?」
「君こそ何者なの?
一瞬だけどすごい殺気が漏れてたよ」
あぁ…なるほど。
確かにコーヒスにイラっとしたとき、ちょっとだけ殺気を飛ばしてしまったかもしれない。
まさか一般人に向けるわけにもいかなかったので、その辺に発散させたつもりだったが、運悪くイルミに感づかれるとは……
「オレの針にも気づいたし、君ホントにただ者じゃないよね。
もしかして同業者?」
「なんのことをおっしゃってるかわかりません。
私はただあの人にしつこくされて、迷惑していただけですもの」
「そのわりに庇ったじゃん」
「だから知りませんってば」
殺したいのは山々だったんだけど、そうはいかなかったの!
もしもイルミの針でコーヒスが命を落としていたら、セクハラに耐え続けた私の努力が水の泡だ。
だが、依然としてシラを切り通すユナに、イルミの機嫌もどんどん悪くなっていく。
「ふーん。ま、いいや。別にそこまで気になったワケじゃないしね。
どうやらさっきの男も生きてるみたいだし」
ぶわっ、と円を広げたイルミはもう興味が無さそうに呟いた。
もしかして、私を試すためだけにコーヒスに針を投げたの?
ヒソカとは違って他人にあまり執着のない彼は、もう飽きてしまったようでくるりと背を向けた。
それを見てユナは別に正体がバレたわけではないのだとわかってホッとする。
そして今度はイルミよりも早く自宅に帰らねば、とそんなことを考えつつイルミとは反対方向へと歩き出した。
「あ、メリル、一つ言い忘れてたんだけど」
「ま、まだいたんですか?」
去ったはずのイルミの声に飛び上がり、ユナはばっとふりむく。
そうしてから自分が大失態を犯したことに気がついて青ざめた。
「へぇ、当てずっぽうだったんだけど、本当にメリルだったんだ?」
イルミの声は珍しく、どこか楽しげな響きを含んでいた。
「メリル……?誰…?」
「もう無理だって。
いいじゃん、オレにバレても何も問題ないでしょ?知り合いなんだし」
確かにその通りなのだが、自分の初歩的すぎるミスに泣きたくなる。
だってだって、最近はヒソカ、クロロ、イルミ、シャル…と知られている範囲が微妙にズレていてややこしいんだもの。
しかしユナはまだ「ユナ」であることがバレたわけではないと、自分に言い聞かせて気丈に振舞った。
「仕方が無いですね……
どうしてわかったんですか?」
「言っただろ、当てずっぽうだって。
ただ、さっきの男が死んでないことを考えて、同業者であるセンは薄い。
となると、ハニートラップでもう一つ有効なのは情報収集でしょ?
あとはオレの思い出せる範囲で、あんな殺気を出せそうな情報屋の名前を呼んでみたら、ビンゴだったってワケ」
「……なるほど」
当てずっぽうと言った割にはそれなりに筋が通っていて観念するしかない。
しかし、前回イルミの前では非常に大人しくしていたから、殺気の出せそうな、と形容されたのは腑に落ちなかった。
「それにしても、随分と見た目が違うよね。
メリルだってわかってからなら似てる気もするけど、オーラだって雰囲気違うし」
「えぇまぁ、変装くらいは」
「変装ね…オレもやるけど。君の方が便利そう」
「あ、ありがとうございます」
あまりこの変装には触れないで。
ユナがイルミに隠し事を続けていられるのも、ひとえにこの能力のお陰なのだ。
しかしイルミはそんなユナの内心も知らず、さらに質問を重ねる。
「ねぇ、その変装って性別も誤魔化せる?」
「へ?できなくはないですけど…」
私のはあくまで「光」を操って視覚的に騙しているだけ。
だから動くときに多少のリーチの長さにさえ気をつければ、元の本人の身長や体格はさして重要ではない。
もちろん声などは変えることが出来なかったが、人間の外界から得る情報の80%は視覚からというし、少々低い声くらいは素人にだって出来るだろう。
でも急になんで……?
ユナの嫌な予感を的中させるかのように、イルミはぽん、と手を打った。
「うん、ちょうどいいや。君に頼みたいことが出来たんだけど」
「……うーん、私少し今は仕事が立て込んでいて…」
「じゃあ料金の二倍出すよ」
「いや、そういう問題じゃなくて…」
イルミとこれ以上関わりたくないというのが本音だ。
だが、家でのイルミはなんとなく騙しやすいけれど、気を張っているのか仕事モードの彼は嫌になるくらい鋭い。
そして、横暴さにも拍車がかかっているようでイルミはユナの断り文句もさらっと無視し、とんでもない依頼を突きつけてきた。
「ハニートラップやってみてよ。オレの奥さんに」
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