■ 1.似たもの同士
「おはよう」
「…おはよう」
当たり前のように挨拶されたから、当たり前のように挨拶を返す。
まだ半分寝ぼけた頭で、ユナはくるりとイルミの方へ体を向けた。
「昨日は…何時に帰ったの?」
「うーん、正確には今日の朝5時」
「また寝ちゃったのか、私…」
いつもいつもイルミの帰りを待ってようと、本を読んだりなんだかんだしたりして時間を潰しているのだが、その努力は虚しく。
今もこうして気づいてみれば、ふかふかのベッドの中でイルミに抱き枕にされている。
しかも時計を見ればおはよう、なんて挨拶をしたことに笑ってしまうくらい、とっくに昼は過ぎていた。
「ごめん…睡魔にはまだ勝てないみたい」
「いいよ。別にユナが起きて待っててくれてもすることないし」
「それはそうなんだけどさ…」
イルミは気にするな、と言いたいらしいのだが、もっと他に言葉があるだろうと呆れる。
確かに彼の言う通り、ユナが起きてても別段彼にしてやれることはなかった。
「でもさ、なんかね、イルミが頑張って仕事してる時に私は寝てるって悪いじゃん」
「でも、夜起きてたら今日みたいに昼に寝るだけだろ。ユナはオレと違って寝なくても平気、ってわけじゃないんだから」
ああもう…
正論すぎてなにも言えない。
ユナはため息をつくと、上体を起こしてベッドから這い出ようとした。
が、
「…だからさ、そんなにオレを待ってたいなら昼間に寝ておきなよってこと」
寝転んだままのイルミに腕を掴まれ、そのままベッドへと逆戻りする。
ふわり、と彼の髪の香りに包まれた。
「そうは言っても、これ以上昼間から嫁がごろごろしてるわけにはいかないでしょ」
さりげなく、服の中に滑り込まされたイルミの手を掴んで、ユナは牽制するように微笑む。
「でも大抵の事は執事がするし」
「だから余計に申し訳ないの」
腰回りに絡み付いてくる腕を振りほどくようにして、ユナはベッドから抜け出した。
背中に感じる名残惜しそうな視線。
別にイルミとそういうことをするのが嫌なわけではなかったが、真っ昼間からは流石に恥ずかしかった。
「ユナ…」
男にしては高めの甘い声で名前を呼ばれる。
だが、ここで誘惑に負けては駄目だ。
嫁いできてビックリしたのだけれど、この家は大家族。
加えて、全員暗殺者ともなると…
まぁ、言うまでもなく聴覚とかも優れているわけで。
まだ年端もいかない弟たちがいるこの家ではなかなかに気を遣うというわけだ。
そのため、ユナは聞こえなかったふりをして、さっさと顔を洗いに洗面所へ向かった。
「ねぇ、じゃあさ、ユナはオレがいない間は何してるわけ?」
気配もなく後ろに立った彼はどことなく気だるそうだ。
イルミがいないのはだいたい仕事に出ている夕方から翌朝の間。
ユナの実家は家柄こそ立派なものの暗殺家業ではないので、前線にはたたず、基本は家でお留守番だ。
「んー、ダラダラしてるかな」
「なにそれ、ごろごろは駄目でダラダラはいいの?」
「うん、まぁ。ダラダラは許容範囲かな」
適当にそんなことを言って、ユナはするり、とイルミの横を通りすぎて再び寝室へと戻る。
後ろでイルミのため息が聞こえた。
「ユナってホントに謎だよね。
見た感じは普通の一般人なのにさ」
「一般人にゾルディックの見合いの話なんて舞い込まないよ」
そう。イルミとユナは恋愛結婚じゃない。
親同士が勝手に決めてしまって、子同士もそれに特に異論はなかったから決まってしまった結婚。
けれども、どちらも淡白な性格だからか、意外なほどに夫婦仲は良好だった。
「初めて会った時なんて、弱そうって思ったのに…」
***
「まあまあまあ!よくいらしてくださったわ、ユナさん!」
毎度のことながらテンションの高い母親にイルミはもう慣れている。
それも自分で見つけてきた婚約者候補を目の前にすれば、ますます歯止めなど効くはずもなくて。
上機嫌なキキョウとは対照的に、イルミは冷めた目で自分の前に座る女を見ていた。
「ワタクシ、あなたの戦いっぷりとその容姿に一目惚れしましたのよオホホホホ!是非、我が家に嫁いできてくださると嬉しいわぁ!!」
「はぁ…ウチの両親も今回の話は喜んでました」
長い睫毛に覆われた瞳、赤い唇。
顔の一つ一つの造作がとても丁寧で、どこか人形めいた雰囲気さえ漂わせているその女は確かに母が気に入っただけのことはある。しかし暗い雰囲気と無感動な受け答えのせいか、残念ながらあまり美人だという印象を受けなかった。
「まあまあ素敵!!それなら話が早いわぁ!!ユナさんさえ良ければ、いつでもウチに来ていただいていいのよぉ!」
事前に聞かされていた話では、歴史だけで言うならゾルディックより随分由緒ある家柄だ。
もちろん裏に通じている家系ではあるのだが、これと言って突出した話は聞かない。
だが、あの母親が認めたということはきっとそれなりに強いのであろう。
イルミはそうは見えないんだけどな…と思いつつ、ティーカップを傾けた。
「ええ…私は別にいつでも」
そう言う彼女はひどくつまらなさそうで。
どうでもいいって、顔をしてた。
無表情のオレが言うのもなんだけれど、本当にただ受け答えしてるだけの人形。
それでもキキョウはその返事に小躍りしそうな勢いで喜んでいた。
「オホホホホ、嬉しいわぁ!!
ね?イルミ、あなたもユナさんなら良いでしょう?」
「んー、まぁ…」
その瞬間、ばっちりと目が合う。
暗い色の瞳は何も語らなかったが、イルミは何となく頷いた。
「まぁ、いいんじゃない」
どうしてこんなに簡単にOKしたのかはわからない。
ただ、オレ達は互いの中に「道具」としての自分を垣間見た。
「それじゃあ、決まりねぇぇ!!
そちらのお宅にも改めて挨拶に伺いますわ!オホホホホ!
そうと決まればああ、忙しい!
後は若い二人で楽しくお喋りしてちょうだいな!」
思い通りに事が運んで、喜色満面といった表情のキキョウは、高らかに笑うとさっさと部屋を出ていってしまう。
後には無言の二人だけが取り残された。
「…よかったの?あんなに簡単に決めて」
しばらくして、ユナがぽつりと呟くように聞いてきた。
そこでイルミは目の前の彼女をまじまじと見つめる。
「君こそよかったわけ?
ウチ、暗殺一家だよ」
「うん、知ってるけど」
「…興味ない、ってこと?」
それはイルミにとっても同じこと。
別に、この女でなければならない、というような相手がいたわけではないし、何より一番うるさい母さんが気に入ったのなら後々面倒くさくなくていい。
ユナは少し考え込むような素振りを見せた。
「いや、興味ないんじゃなくて…関係ないって言った方が正しいかも。
この家に生まれた時点で、結婚に自由なんてなかったしね。
だから…むしろ、あなたの方がこれでいいのかなって、思ったの」
「へぇ…」
イルミはあくまで興味がなさそうに相づちを打った。
どうにも不思議な女だ。
今までだって何度もこの手の見合いをしたことがあるが、その時の女は選ばれようと必死になり、媚びていることが多かった。
それなのに、こいつは婚約が決まってからも尚、本人を目の前にして「関係ない」と言い切るのだ。
「まぁ、オレもね。
長男だけどこの家継がないし、相手は誰だって関係ないんだよね」
「ふーん」
「だけど、君なら鬱陶しくなさそうだから丁度いいかもしれない。
…ユナだっけ?」
「そう」
「よろしく。
関係ない者同士、うまくやっていけるんじゃない?」
それがイルミとユナの最初の会話だった。
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