- ナノ -

■ 15.気まぐれ



会場から出た二人は、迷うことなく本館へと足を進める。
遠くの方から喧騒が聞こえ、会場の電気が復旧したのだとわかった。

「で、いつまで付いてくるつもりだ?」

二日酔い、というのが冗談か本当かよくわからないが、最初にあった時よりも幾分顔色がマシになっている。
ユナは体力を回復させるためか、いつのまにか絶をしていた。

「だって、あそこにいたって巻き込まれるだけだし、何盗むのか気になるし」

「面倒くさがりじゃなかったのか?」

「その質問が既に面倒なんだけど」

ユナは眉をひそめると、苦しいのか少しドレスの胸飾りをゆるめる。
俺が男だなんてことは全く気にしていないようだった。

「お前、変化系か?」

「それは私が気まぐれで嘘つきだって言いたいの?
失礼だね」

これはあくまで勘でしかないが、変化か操作か、そのどちらかのような気がする。
というか、すぐさまその返事が返ってくる辺り、ヒソカとも知り合いなのだろう。
当然だがユナは自分の系統を答えることなく、さらりと話題を変えた。

「そういや、今日は一人なの?」

「ああ、今日は俺の個人的な物だし、あるかどうかも定かではなかったからな。
ちょっとした暇潰しのつもりだったんだ」

「ふーん」

適当な返事の割には、クロロがスピードをあげても全く遅れずに付いてくる。
盗む盗まないは別として、なかなか強そうな彼女の念が気になった。




「さて、ここだな」

「何?本なの?」

クロロがたどり着いたのは、ボスの書斎。
きっと持ち主はこの本の価値なんてこれっぽっちも知らなかったのだろう。
埃を被り、本棚の上の方に放置されていたそれは、確かにクロロが探していた物だった。

「ちょっと待って!それ…」

「ん?知っているのか?」

今はもう絶版になってしまっていて、何件古書屋を回っても置いてない、ほとんど幻に近い本。
クロロはこの本の下巻は所蔵していたのだが、肝心の上巻と中巻がなかなか見つからず、今日盗みに来た次第である。
ボスの書斎にあったのは、この本の中巻にあたるものだった。

「私、それの上巻だけ持ってるよ ?」

「…え?」

意外な言葉に、きっと俺は間抜けな顔をしていたのだろう。
そこで初めて彼女は笑った。

「上下巻かと思って、私も下巻を探してたんだけど、まさか中巻まであるとはねー」

「…俺は下巻だけ持っている」

「そうなの?
それはすごいね」

先ほどまでとはうって変わって親しげな様子に、やっぱり気まぐれな性格なんじゃないかと思う。
ただ、この本の存在を知っているということはなかなかの読書家か情報通であるのは間違いなかった。

「ねぇ、貸しあいっこしない?」

「…お前の上巻と俺の下巻とをか?」

「そう。あ、でも中巻も貸して」

「随分と虫の良い話だな…」

ぱんぱん、と手で埃をはらい、中身をめくって確認する。
悪びれもせず、勝手なことを言う彼女は「だってさ…」と続けた。

「上巻欲しいでしょ?
でも流石の団長さんも、ゾルディックに盗みにくるのは大変だよね?」

「……」

もっともすぎる言葉に、咄嗟に反論が思い浮かばない。
あくまで古書集めは俺個人の趣味であって、そのために団員をゾルディックとの全面戦争に巻き込むわけにはいかなかった。

「……確かに、一冊の本のためにはリスクが大きすぎるな」

「だよね。
だからここは穏便に貸し借りしよう」

決まり。と呟いてユナはぽん、と手を打つ。
冷たくしたり、警戒したり、そして今度は友達のように接したりと、本当に訳のわからない奴だ。
それでも不思議と不快に感じることはなかった。

「じゃあ、これ連絡先」

「軽い奥さんだな」

「誤解を招くようなこと言わないで」

イルミってああ見えて、意外と束縛キツいんだよ?

「ああ見えて」の意味もわからないし、「意外」だとも思わなかったが、ユナは少し呆れたように笑った。


「ユナ、探したよ」

「おっと……」

ユナが笑った後、間髪いれずに飛んでくる針。
クロロが咄嗟に後ろへ下がってかわしたため、本棚の他の本たちが犠牲になった。

「オレ、あそこで待っててって言ったよね?」

「うん」

見れば、部屋の入り口を塞ぐようにして仁王立ちするイルミ。
仕事終わりなのだろうが、返り血などは一切浴びておらず、スーツは綺麗なままだった。

「変な男に声かけられても付いていっちゃ駄目って言ったはずだけど」

「うん、言った…」

謝るわけでも言い訳するわけでもないユナに、見てるこっちの方がヒヤヒヤする。
イルミは不機嫌そうにきゅっ、と目を細めた。

「じゃあどうして言い付け破って移動して、挙げ句の果てにこんな厄介な奴と一緒にいるの?」

「…成り行きかな。
この男がゾルディックのことを知ってるみたいだったから、捨て置くわけにいかなかった」

だから仕方ないでしょ、とでも言うように、彼女は小さく肩をすくめる。
あまり夫婦らしくない淡々とした会話にクロロは口を挟むタイミングを完全に見失っていた。

「クロロは前に仕事を依頼されたってだけだから、気にしなくていいよ。
ユナ個人が関わることはないから」

「それがそうでもなくなったんだよねー」

答えたのはユナなのに、きっ、と睨まれるのは何故かクロロ。
イルミは殺気をびしびしと飛ばしながら、どういうこと?と首を傾げた。

「待て待てイルミ、誤解だ」

「でもたぶん、クロロから声をかけたんだよね?」

「それはそうだが…お前の奥さんとは知らなかったんだ」

「へぇ…じゃあ純粋にユナののことをいいなって思ったから話しかけたってこと?」

「おい、落ち着けよイルミ」

ああ、なんでこんなにも厄介なことになったんだろう。
意外と束縛がキツい?
冗談じゃない。
殺人は仕事だから、だなんて家訓を打ち捨てて、今にも飛びかかってきそうじゃないか。

次から次へと面倒な質問を続けてくるイルミに、クロロは持っていた本を掲げて見せた。

「俺はこれを盗りにここへ来た。
お前の奥さんに話しかけたのはたまたまだ」

「たまたま?」

「…まぁ、たまたまというか、アレだ。お前と一緒にいるのを見たから、針人間かそうでないのか気になった」

「ふーん」

ここまで言ってようやく、殺気を弱めたイルミにはもはや呆れを通り越して尊敬するしかない。
女の方は政略結婚だと言ってあっさりとしていたが、どうもイルミはそんな考えではないようだった。

「で、どうして今後も関わるわけ?」

「えっとそれはね、ちょっと本の貸し借りを…」

「本?」

ユナの言葉にこてんと首をかしげるイルミ。
彼にとってはきっと本なんて取るに足らないものに違いなかった。

「そんなもののために、旅団と関わるって言うの?」

「すっごく貴重な本なの。それに何も敵になるわけじゃないしね。
イルミの好きなギブアンドテイクだよ」

必死に頼むという姿勢ではなく、さも当たり前のことのように説明するユナはなかなかのやり手だと思う。
こういう場合こそ、変に下手にでると「ダメ」と言われる可能性が高かった。

「本くらい買えば?
クロロ、それいくらなの?」

「馬鹿。貴重だって言っただろう」

「わかってるよ。だからいくらなら売ってくれるのって聞いてるんだけど」



……これだから金持ちは……
クロロは苦々しい思いで、こほんと一つ咳払いをした。

「売らないさ、いくら積まれてもな」

「ほらね、だから貸しあいっこが丁度いいの」

「……」

イルミはいかにも不機嫌だ、と言わんばかりのオーラを発していたが、ユナが大丈夫だよ、と後押しすると、やがて小さくため息をついた。

「じゃあもう絶対にオレに内緒で会わない?」

「うん」

「危険なことは?」

「しない」

「用事は?」

「本だけ」

「じゃあ、オレにも笑ってよ」

「うん……って、え?」

唐突な話の流れに、今度はユナがきょとんとする番だった。
しかし、戸惑いながらもこんな感じ?と笑って見せる。

「……うん、いいよ」

頷いたイルミが何を思ったのか、クロロには少しだけわかる気がした。

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