- ナノ -

■ 14.裏の顔



「あの、大丈夫ですか?」

半ば、窓から身を乗り出すようにしている彼女に向かって、クロロはそう声をかけた。

「……」

振り向いた彼女はこちらを見たが、何も喋らない。
クロロがにっこりと笑いかけても、表情ひとつ動かさなかった。

「顔色が悪いですよ?どこかで少し休まれた方が…」

「じゃあ…とりあえず黙ってもらっていいですか?」

可愛らしい顔に似合わず辛辣な台詞を吐いた彼女は緩慢な動きでまたくるりと背を向ける。
窓からの風にふわりと髪がなびいて、甘やかな匂いが鼻孔をくすぐった。

「今はちょっとした物音でも頭に響くんですよね」

「…そうですか」

なるほど、イルミが手を焼くだけのことはあるらしかった。
オーラの流れは一般人のようにも見えるが、もしかするとなかなかの使い手で上手く垂れ流しているのかもしれない。
とにかく彼女は全てにおいて、謎めいて見えた。

「すみません、とてもお辛そうだったのでつい…」

「二日酔いです、薬はさっき飲みましたから」

「それはよかったです」

「ご親切にどうも」

短く、そっけない返事はどこかイルミに通じるところがある。
顔は全然似ていないが、ゾルディックの兄弟に女がいたのかと思うくらいだ。
女に冷たくされた経験のないクロロはなんだかこの不思議な状況を楽しみ始めていた。

「えっと…まだ何か?」

会話が終了してしまってからも、なかなかその場を去らないクロロにしびれを切らしたのか、彼女はそう声をかけてきた。
ラッキーだ。
このまま無視されてしまうよりかは、いいに決まっている。

クロロは内心の企みを押し隠し、親切そうな表情を作ってみせた。

「僕がいた方がいいんじゃないかと思いまして」

「どうして?」

「貴女はお美しいから、近くに男がいなければすぐに声をかけられてしまいますよ。
そうなれば鬱陶しいでしょう」

少々キザでも、女は褒められると嬉しい生き物だ。
だが、この女はその中でも例外だったらしい。

「なるほど。
今も鬱陶しく思ってますものね」

さらっと酷いことを言うと、彼女はふぅ、と小さくため息をついた。
とても腹立たしいが、悔しいことに後ろ姿の背中から腰にかけてのラインがとても艶かしい。
クロロは少し、鎌をかけてみることにした。

「お連れの方が来たら、僕は退散しましょう。
それにしても体調の悪い貴女をおいて、どこへ行ってしまったんだか…」

「そのお連れの方が来たら、困るのは貴方だと思います。
死にたくなかったら、早く私から離れた方がいいと思いますよ」

彼女はにこりともせずにそんなことを言う。
普通なら女の下らない冗談のはずの言葉でも、イルミ関連だとシャレにならない。
クロロは「へぇ……」と呟いた。

「…おかしいな、あいつは無料でも仕事をするようになったのか」

「……っ!?」

その瞬間、
ばっ、と振り返る彼女。
彼女の瞳は大きく見開かれ、冷たかった表情に人間らしさが垣間見えた。

「…あなた、何者なの?」

見開かれた瞳にはすぐさま警戒の色が浮かぶ。
ぶわっ、と大量のオーラが彼女の体を包んだ。

「やっぱり念が使えたか…」

「答えて」

お互い猫を被るのはもうやめだ。
もともと彼女の方はそこまで被っていた訳ではなさそうだったが、クロロはそうじゃない。
表向きの爽やかな笑みの代わりに、ニヤリと妖艶に微笑んで見せた。

「前にあいつに依頼したことがあってな。今でも少し関わりがある」

「…私に声をかけたりして、どういうつもりなの?
もし私を使ってイルミを脅すつもりなら、検討違いも甚だしいけど」

「いや、俺もたまたま仕事でここに来ていてな。
お前に声をかけたのは単なる好奇心だ」

なかなか面白いことになってきた。
警戒心剥き出しの彼女は猫のようだが、こんなに人がいたのでは攻撃もできまい。
彼女はちらり、と壁にかけられた大きな時計へと視線を走らせた。
それにつられるように、クロロも時間を確認する。

カチリ、と長針と短針がそろい、日付が変わった。
ここの娘の誕生日だ。

「きっと忘れられない誕生日…」

一瞬だけ切なそうな表情になった彼女の呟きが聞こえてきたと同時に

会場内は暗転した。






なんだ?演出か?と会場がザワザワとなる。
きっと次に明かりが灯った時には、ここのボスは死体で発見されるのだろう。
会場が混乱に包まれてからが、クロロの仕事だった。

「時間か…いいところだったが仕方がない。
俺もそろそろ…」

「待ってよ。いくら元の依頼人でも情報漏洩の可能性がある限りは、はいさよならってわけにはいかない」

あれだけ鬱陶しいと言ってたくせに、
クロロが立ち去ろうとすると引き留める彼女。
それがとても愉快でクロロは、わざと意地悪をする。

「だったら付いてくるといい」

形勢逆転とはまさにこのことだろう。
今度はこっちが冷たく背を向ける番だった。

はたして彼女はどうでるのか。

「えぇ…めんどくさ」

ため息と共に、ポツリと漏らされた本音。
期待していた反応とあまりに違って、呆れたクロロは思わず振り返った。

「……お前な、じゃあここにいろよ。
どうせイルミには動くなとか言われてるんだろうから」

「いや、あなたの身元がわからないと安心できない。
私、二日酔いだから無理したくないんだけどね」

「ワガママすぎるな」

夜目がきくクロロには、彼女が真面目な表情でそんなことを言っているのがわかった。

「俺からすれば、お前の身元も謎だよ。
イルミの女とは言え、一般人じゃないだろ」

人に名前を聞くならまず自分から、と同じ原理で、正体を明かすならフェアでなくてはいけない。
歩き出したクロロのすぐ後を付いてくる彼女は、特にためらう様子もなくあっさりと口にした。

「うん。一応、妻。
ユナ=ゾルディック」

「は……!?」

ザワザワと騒がしい会場だからか、聞き間違えたのだろうか。
イルミに妻?
あいつ、いつの間に結婚したんだよ。
確か、俺より年下だったよな?

何も言葉にしてはなかったのだが、クロロが驚いていることに気づいたらしい彼女は「政略結婚だけど」と付け加えた。

「…なるほどな。道理で普通の女じゃないわけだ」

「ほら、次はあなたの番」

ゾルディックの女なら、隠す必要もない。
イルミは嫌がるだろうが、俺たちは基本的に同類なのだから。

「……クロロ=ルシルフル。
イルミの妻なら、名前を聞いただけでわかるんじゃないか?」

「なるほどね、自分で『団長』とか言うのは恥ずかしいよね」

「……」

裏の人間って言うのは、どうしてこう一癖も二癖もある奴らばっかりなのだろう。
クロロは黙って少しだけ、歩くスピードを上げた。

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